49:出陣、セント=ヌーヴェル

 ロザリアの第2月2日。予定より1日遅れで、セント=ヌーヴェルの北伐軍はラモアを出立した。


 正規兵15,000、ハンター3,000、エルフ3,000、輜重4,000の総勢25,000の大軍が長大な列をなし、ゆっくりと進んで行く。目的地はエミリアの森。方向から言えば、北伐というより東伐に近い行軍であった。


 ラモアを出立した北伐軍は南東にあるカラディナには向かわず、東方向の原野に向かって進む。過去の北伐の繰り返しではあったが、いくら人族共通の目的とは言え、2万を超える他国の軍が自国領土を通るのは良しとしない。そう言った国家間の事情により、セント=ヌーヴェルの北伐軍はカラディナを通らず、カラディナの北部に広がる原野を東進するのが通例となっていた。この原野は、以前柊也とシモンがセント=ヌーヴェルへ向かう際西進したカルスト台地の更に北に位置し、その原野の北方には数千m級の山脈が連なる。地理上で言えば、原野は北部の数千m級の山脈と南部のカルスト台地に挟まれ、東西に回廊の様に広がっていた。


 北伐軍は、細長い楕円形となって東へ進む。一番外側にはエルフを配置して探査に当たり、その内側にはハンターが連なり、豊富な経験と素質を活かして魔物の討伐に当たる。一番内側の正規兵は、決戦時の破城槌として温存された。


 多くの魔物達は獣の様に動き回り、集団行動はあっても軍レベルの集合体は形成しない。しかし、一部の魔物は人族と同様に集団生活を営み、軍レベルの集合体を形成して外敵に当たる事が知られていた。その代表がガリエルの白い魔物の末裔と言われる、ハヌマーンである。彼らは、場合により数千頭クラスの集団で行動する事が知られている。そう言った集団戦のために、正規軍は用意されていた。


 この原野には、ハヌマーンの生息は確認されていない。この原野の主な魔物は、南部はヘルハウンド、北部はガルム、バシリスク、リザードマン、そして少数のケルベロスであった。このうち、リザードマンはあまり遭遇の危険がない。比較的知能の高いリザードマンは、大軍を見つけると息を潜め、やり過ごす。その分、集団から離れると襲い掛かってくる可能性が高いので油断ならない相手ではあるが、今は気にする必要はなかった。また、同じ理由でケルベロスも襲ってこない。


 問題は、南のヘルハウンドである。彼らに飛び道具を撃たれるのが、一番痛かった。


「500メルド(約500m)先にヘルハウンド。数は約50」

「襲ってくるか?」

「いや、まだ様子見のようだ」


 数の暴力もあり、一戦すればすぐに勝敗はつくが、相打ち覚悟の火球を放たれるのは避けたい。北伐軍は盾を構えてゆっくりと進み、ヘルハウンドの群れに無言の圧力をかける。やがて、圧力に負けたのか、ヘルハウンドの群れは横へ駆け抜けて行き、道を空けた。




 そういう按排で進軍する北伐軍の中を、柊也は他のハンター達とともに歩いていた。周囲のハンターが比較的小さな背嚢を背負っている中、柊也だけは大きな背嚢を背負っていた。専属ポーター契約で従軍している以上、説明のつく程度には荷物を持ってカモフラージュすべきという理由である。その分、前を歩くシモンは軽装で、非常食以外はほとんど身に着けていない。もちろん柊也は「ライトウェイト」を駆使しており、見た目とは違い疲労はなかった。


 重くはないが、物量的な理由で下を向きがちな柊也の目の前で、シモンの尻尾がリズミカルに左右に揺れる。シモンの形のよい腰と合わさって、柊也の理性に無視できない継続ダメージを与えていた。


「トウヤ、大丈夫か?」

「ああ、体力的には問題ない」


 時折シモンが後ろを振り向き、柊也を気遣う。そのシモンの心配りに柊也は感謝しつつ、体力的以外の問題については言及せず、口を閉ざしていた。


 そのシモンだが、出立して数日が経過した現在、明らかに気落ちし、大人しくなっていた。元々柊也以外の者とは率先して話を交わす事が少ないが、それを踏まえた上で周りのハンター達から見ても、彼女は出立前に比べ明らかに口数が減り、不機嫌に見えた。


 それについては、柊也には理由が明らかだった。ラモアを出立して以降、二人の儀式は中断していた。ラモアの野営地とは違い、周囲には魔物が蔓延っている。二人で隠れて儀式を行う事は不可能だった。かと言って、万人の目の前で儀式を執り行うつもりは、二人とも毛頭ない。その結果、儀式の延期が続き、それに比例してシモンの機嫌が右肩下がりとなっているのである。柊也はせめて気晴らしになればと、隙を見てシモンの口の中に一口アイスやチョコレートを放り込むが、シモンは一時的に頬を緩めるも、すぐに元に戻り押し黙るのであった。


 それを心配する柊也だったが、周りのハンター達もシモンを心配し、早く元に戻ってほしいと願っていた。ただし、ハンター達が願うのは、別の理由にある。二人の儀式の存在を知らないハンター達は、シモンが別の理由で欲求不満になっていると誤解しており、シモンが早くその行為を再開する事を、心から願っていた。


 シモンを中心とした、悶々とした集団は、北伐軍の左翼中央付近に位置していた。柊也が左側を向くと、何人ものハンター達の頭の向こう側に、騎乗するエルフ達が見える。左翼側は右翼と違い、ヘルハウンドの脅威が少ない。今のところ柊也の耳が届く範囲で、警告の声が上がった事はなかった。




 ***


 細長い原野の回廊の進軍が40日以上続き、ロザリアの第3月の中頃、北伐軍はついに回廊を抜け出た。回廊ではほとんど被害は出ておらず、数十名の火傷と、数名の死者が出ただけだった。


 回廊の出口付近には開けた草原が広がり、眼下には長く緩やかな下り坂の向こう側に、鬱蒼と茂った森が広がる。左を見ると、北へ向けて連なるコルカ山脈が見え、右を見るとコルカ山脈最南端の支峰、レヴカ山の頂が遠くに見えた。


 ここからが本番だった。ここからは視界が遮られ、森に適した魔物達との遭遇戦や奇襲が増える。また、その先には、人族と同じように集団戦に長けたハヌマーンが控えている。ここからはゴールまでの間、気を緩める事の出来ない、厳しい戦いが続くのだ。


 本格的な戦いを前に、北伐軍司令官のルイスは全軍に2日間の休息を与える。ルイスは正規軍を使って草原の真ん中に土塁と堀を作ると、魔術師達にストーンウォールを建てさせ、簡易の砦を構築した。そしてエルフとハンター達を輜重とともに中心に入れ、正規兵から交代で見張りを立てた。1ヶ月に渡り外郭を守り続けてきたエルフとハンター達への、慰労だった。この時は景気づけも兼ねて、僅かばかり持ち込んだ酒も配られる。25,000もいれば、一人一杯が精々だったが、それでも司令部の気遣いに兵やハンターは感謝し、酒を旨そうに飲んだ。飲み足りない者達は、自分達がセント=ヌーヴェルから後生大事に持ち込んだ酒筒から、ちびちびと飲んだ。


 2日目、雲行きが怪しくなってきた事に気付いた人々は、慌ただしく動き出す。用意周到な者は、持参してきた2本の鉄棒と1枚の革布で一人用の天幕を張って中に入り、そうでない者達は、地の魔術師達が建てた「ストーンウォール」に群がり、その上に外套や革布を張り渡すと、その中に皆で寄せ集まった。


 やがて些か強い雨が降ってくると、一部の男達は垢で汚れた体を洗おうと雨の中に身を晒し、上半身裸になって体を擦り、洗い流した。その動きは、軍の中で数少ない女性達にも波及する。1ヶ月の間に出来上がった女性達のコミュニティの力によって、砦の石壁と「ストーンウォール」を利用した区画が所々に設けられ、そこに女性達が集まってくる。そして交代で見張りを立てながら、中で女性達は服を脱ぎ、天然のシャワーを浴びる。女性の水の魔術師が気を利かせ、上から「クリエイトウォーター」を流す所もあった。この時は、獣人もエルフも関係ない。シモンも、エルフの女性達も、人族の女性達と一緒に天からの恵みを一身に浴び、己の肌を磨いた。




 柊也は、ハンター達の集団から離れ、砦の壁にへばり付いて「ストーンウォール」で取り囲み、シモンと二人だけの天幕を拵えていた。シモンの専属ポーターである柊也は、シモンの所有物扱いのため、シモンのためだけに行動しても表面上は何も言われない。行軍中は周囲にいるハンター達の目もあり、こうしてシモンのために「ストーンウォール」で天幕を張るような悪目立ちする事はしないが、今日は休息日で皆の気も緩んでおり、急造の砦のお陰もあって集団から離れていても危険がない。しかも強い雨のお陰で皆水浴びや天幕を張るのに忙しく、柊也が集団から離れても、気にする者は誰もいなかった。


 天幕を張った後、柊也も天幕の前で上着を脱ぎ、天然のシャワーを浴びる。そして、体がさっぱりしたところで天幕の中に入り、体を拭きながらシモンの帰りを待った。


 やがて激しい雨の中を、外套を頭から被り、砦の石壁沿いに駆け足で走り寄ってくる人影が見えてくる。シモンは外套の中に頭を隠したまま素早く辺りを見やり、人影がない事を確認すると、柊也の天幕の中に飛び込んだ。


「お帰り、シモン」

「…」


 そう言って出迎える柊也に返事もせず、その場を通り過ぎて天幕の奥まで走り込んだシモンは、そのまま振り返り、柊也をじっと見つめる。そして口を開くと、小さな声で呟いだ。


「今なら、誰もいないよ。…だから…」

「…」


 そう言って、シモンは口を噤む。それを見た柊也は入口へと振り返り、魔法を立て続けに詠唱した。


「汝に命ずる。石を纏いて大いなる巌を成し、我が前にそびえ立て」

「汝に命ずる。我の耳と音の袂を分かち、我の周りを静謐で満たせ」


「ストーンウォール」で入口を塞ぎ、自分に「サイレンス」をかけた柊也は、再びシモンへと振り向く。そして、静寂が絶対的な支配者となった空間の中、ゆっくりとシモンへと歩み寄る。シモンはそれに呼応するように外套を脱ぎ去り、後ろに下がって背後の石壁に背中を預けた。外套を脱ぎ去ったシモンの長い髪には天然のシャワーの残滓が残り、湿り、所々雫が流れていた。


 柊也が目の前まで来たところでシモンは後頭部を石壁に付け、覚悟を決めたように目を瞑り、大きく口を開いて舌を広げる。シャワー室からここまで走ってきたせいか、シモンの息は大きく乱れ、彼女は必死に深呼吸を繰り返していた。


 柊也はそのシモンの努力を無視し、左手を伸ばしてそっと舌を掴む。


「      」


 シモンが首を竦め、閉じた目と眉に力が入る。


 柊也は構わず舌を掴んだ指をゆっくりと動かし、舌をさする。


「          」


 シモンの吐く息が暖かみを増し、背後の石壁に添えた両手が、爪を立てる。


 柊也は構わず親指に力を入れ、舌を捻る。


「               」


 シモンの体が強張り、小刻みに痙攣する。


 柊也は構わず指を動かし、親指から小指まで使って舌の四方を取り囲むと、中心に向かって力を入れる。


「                     」


 音ひとつ赦されない天幕の中でシモンの腰が跳ね、空気だけが木霊した。




 ***


 柊也が入口の「ストーンウォール」と「サイレンス」を解除した時には、雨はすでに上がり、空は橙色から黒色へと移り変わりつつあった。柊也は雲に描かれた橙色の絵画をしばらく眺めた後、後ろへ振り返り、声をかけた。


「シモン。配給食を取ってくる。ここで待っていてくれ」

「うん…お願ぁぁぁい…」


 天幕の奥で女の子座りをしたまま呆けているシモンを見て、柊也は何となく幸福感に浸りながら、天幕を後にした。

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