46:北伐、ラ・セリエ

 北伐がラ・セリエで発布された夜、ハンターギルドを取り囲む酒場の売上は、いつもの2倍を超えた。


 ハンター達は、選ばれた者は意気揚々と、留守番を仰せつかった者は不貞腐れながら酒場に入り、景気づけとやけ酒が入り混じったどんちゃん騒ぎとなる。ハンターギルドの右隣に構える酒場「右の鷲」亭も例外ではなく、威勢のいい掛け声と一気飲みが飛び交い、女給達は時折男達の手を躱しながら、ジョッキを持って走り回る事になった。


 そんな中、店内の片隅にあるテーブルだけは、周りの喧騒から隔離されたように、一人の男が黙々と杯を傾けている。周りの騒々しい掛け声も男の耳には届いていないようで、きつい蒸留酒を一気に流し込むと眉間に皴を寄せ、しばらく顔を顰めていた。


「…まったく。アンタ、まだ吹っ切れてないのかい?顔に似合わず、繊細だねぇ」


 独りで飲んでいた男のテーブルに女が立ち寄り、椅子に座る。そして、男のボトルを手に取って、勝手に自分のグラスに酒を注ぐと、景気づけに一気に飲み干した。すでに一杯引っかけてきていたのだろう、すでに頬に薄っすらと赤みが射し、元々の姐御肌と合わさって、大人の色気が醸し出されている。


「コレットか…。お前も選抜されたのか?」

「ええ、お陰様でね。まだまだ若い娘より私の方が良いって言ってくれる男が多いという、証左やね」

「レオは?」

「レオは居残りさ。ローランの差し金でね。イレーヌが身籠ったんだ、流石にあの男もそれくらいは気を回すさ」

「そうか、それは良かった。レオまで居なくなったら、イレーヌは立ち直れないからな」


 そう呟くと、ジルはコレットと乾杯をする事もなく、続けて杯を傾ける。そのジルの姿を、コレットは平然と、ただし瞳の奥に気遣わしげな光をたたえて、眺めていた。




 ケルベロスとの一戦の後4ヶ月が経過したが、ジルはあれ以降、旨い酒が飲めなくなっていた。


 ジルは決して自暴自棄になっているわけではなく、あれ以降もラ・セリエを代表するハンターとして、人々の規範となるような行動を示している。シモンを失い、今やラ・セリエ唯一のA級ハンターとなったジルは、シモンの穴を埋めるかの如く精力的にクエストをこなし、ラ・セリエを魔物達から守り続けていた。そのジルの姿を見ている街の人々は、戦いから戻った彼を労わり、今まで通り接してくれていた。


 それが、ジルには辛かった。


 ジルにとってケルベロスとの一戦は、彼の汚点とも言える惨敗だった。彼の読みはことごとく裏目に出て討伐隊は無力化され、A級であるはずの彼自身も彫像と化した。彼の剣の技量はA級に相応しく、もしケルべロスと1対1で相対したとしたら、おそらく相打ちに持ち込めたであろうほどの力量を有していた。しかし、老獪なケルベロスはジルの能力の高さと弱点に気付き、ことごとく無視した結果、彼は無力化され、陸亀と何ら変わらなかった。


 結局、ケルベロスの討伐にジルは何ら寄与する事ができなかった。ケルベロスの討伐に成功したのは、ひとえにシモンの奮戦と、D級ハンターであるトウヤの敢闘によるものである。しかし彼はその二人の功に報いる事も出来ず、シモンは悪魔に憑かれ、トウヤは撤退のさなかに命を落とした。


 そして、討伐隊は出発時の3分の1にまで激減して逃げ帰る事になった。ケルベロスの前では棒立ちし、悪魔の前では這う這うの体で逃げ出し、3分の2を失って退散したのである。この事は、ジルの自尊心を散々に打ちのめした。


 にもかかわらず街の人々は、ジルに何の罵詈雑言も吐かず、腫れものを扱うかのように遠くから眺めているだけだった。そして、その後のジルの贖罪とも言える奮迅の働きの後、人々は少なくとも表面上は以前と同じ様に、ジルに接する様になった。


 それが、ジルを苦しめた。ジルは、自分にこそ責があると感じていた。そして、その責を他者から責められる事で実感し、その償いを果たそうと考えていた。それは他者に対する償いではなく、自分に対する救済の術だった。


 しかし、誰も彼を責めようとしなかった。それにより彼は自分自身を救う事ができず、いつまでも苦悩と蟠りを抱える事となった。




 そのジルの苦悩を、コレットは諦観の念を持って見つめていた。コレットはジルより一回り年下だったが、辛酸の舐め方でいえば、コレットの方が上手だった。


 コレットは、貧しい猟師の家の出身だった。両親は貧しさのあまり彼女の身売りを企て、危険を察知した彼女は弓を手に15歳で家を出奔した。しかし、逃れた先も安泰ではない。誰でも受け入れるハンター業の中でも、非力な少女は相手にされず、相手にされる時は大抵色目が伴った。ロザリアの祝福を得るだけの財もなく、何の才もなかった彼女は止むを得ず自身の唯一の武器を使い、あるパーティに取り入りリーダーとねんごろになった。


 こうして彼女はようやく居場所を見つけたが、それは栄光の終着駅ではなかった。パーティはある時クエストに失敗しリーダーが命を落とすと、そのまま空中分解した。他のパーティメンバーに置いてきぼりにされた彼女は新たな居場所を探し、複数の男達の狭間をさ迷い歩いた。


 彼女は生きるためと自分の居場所を探して出会いと別離を繰り返し、その都度少しずつ傷ついていった。田舎者で素朴で純粋だった彼女の心は、男と出会う度にその男が齎す夢に期待して身を預け、そして別れを経験するたびに裏切られ、血を流し、かさぶたを作っていった。


 それは、男達が必ずしも不誠実だったわけではない。彼女にとって幸いな事に、彼女と関係を持つ男達は彼らなりに彼女を大切に扱い、一時とは言え彼女に将来を約束した。ただ、それが最後まで続かなかっただけなのだ。ある男とはその後の意思の違いによって別れ、また、別の男は最後まで彼女に誠実だったが、共に行動したクエストの途中、彼女の目の前で首と胴が離れた。


 それらは彼女にとって、全て裏切りだった。彼らは、彼女に対し将来を約束し、彼女はそれを信じて彼らについて行った。にもかかわらず、理由は何であれ、彼らの一方的な都合によって、彼女はいつも捨てられていた。そして彼女はその都度傷つき、血塗れになりながら、次の拠り所を探し歩いた。


 やがて彼女がロザリアの祝福を受け、長いD級ハンターとしての生活が終わろうとした頃、彼女の心はかさぶたで覆われ、胡桃の殻の様に堅くなっていた。そして、自分の弓に合致する素質を得た彼女は大きく飛躍し、ラ・セリエでも有数のハンターとして名を知られるようになっていった。


 だが、その頃から彼女に声をかけてくる男達の質が変わった。それまでの男達は、彼女を一方的に抱き、夢を語り、彼女の手を引いてその夢に引き連れていこうとした。彼女は、一方的に引き摺られながら、その夢に焦がれ共に歩もうとして、いつも途中で転んでいた。しかし、彼女が飛躍した後の男達は違った。彼らは彼女の力を求め、利用しようとするだけだった。彼らは彼女の陰に入ろうとするだけで、彼女を引き摺ってくれなかった。その姿に彼女は幻滅し、片っ端から蹴り飛ばした結果、彼女の隣に男はいなくなり、いつしか単独で行動するようになっていた。




 コレットは溜息をつき、ジルに声をかける。


「ジル。この街の誰も、アンタに神父をやれとは言っていない。墓守も望んでいない。アンタに望んでいるのは、門番だ。この街に無頼漢を誰一人通さない、屈強な門番だ。そして、アンタはそれができている。だから、アンタは門番だけに集中すればいいんだ」

「…コレット、お前はもう吹っ切れているのか?」

「吹っ切れるも何も、私の気持ち一つで、あいつらが土の中から這い出てきてくれるわけじゃないからねぇ。シモンも、ソレーヌも、ドナも、チックも、…ええと、あの片腕の若い子も、私の気持ちはお構いなしに、土の中で眠ったままさ。私がどうこうしたって、何も変わりゃしないんだよ」


 私を置いていった男達と同じで。コレットは口の中に残った言葉を、酒と一緒に流し込む。酒精の混じった息を吐くと、言葉を続けた。


「だったら、置いていかれた者同士で、勝手にやるしかないのさ。遺された者だけでも幸せになるためにね。どうせ、いずれ自分達も土の中に入るんだ。あいつらの事を考えるのは、その後でいいんじゃないかい?」


 そう言うと、コレットは杯を傾けながらジルの様子を窺う。そして、未だ浮かない顔のまま自分の考えに沈むジルを見て、内心で溜息をついた。


 ――― この男も、思ったより女々しいねぇ。私の王子様は、一体何処にいるのやら。


 そう結論付けると、コレットは脳内の名簿リストから、ジル・ガーランドを削除した。


 結局、彼女は未だに夢見る乙女だった。これまで数多くの裏切りと失望を経験し、彼女の心はかさぶたで覆われ胡桃の殻の様に堅くなっていたが、実は殻の中では、未だに甘く瑞々しい乙女の心が鼓動していた。そしてイレーヌの懐妊の報を聞き、それが4年ぶりに芽吹いていた。


 来月には、北伐のために多くの男達が集結する。彼女にとって別の意味での戦いが、始まろうとしていた。

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