8:右腕の力

 寝室に閉じ籠った柊也は、打開策を求め、数々の魔法を検証してみた。しかし結局、深夜になっても妙案は浮かばず、未だに努力は報われていない。


「…あぁー、もぉー。どうすんだよ、この四面楚歌」


 寝台に寝転がり大の字になって、柊也は独り言ちる。大の字と評したのは比喩的表現であり、当然そこに右腕はない。差し迫る危険への対策に知恵を働かせ続けた結果、彼は気力を使い果たし、ぼんやりと宙を眺めている。その口調は、すでに他人事の様だ。


 天井を眺める柊也の視線の先には、小さな光の玉が不規則に動き回っている。先ほど詠唱した「ウィル・オ・ウィスプ」の光だ。羽虫のように左右に飛び回る光を目で追いつつ、柊也は愚痴を漏らす。


「どうせ召喚するなら、こんな小さな光ではなくて、空を飛べる生物なら良いのに。グリフォンとか」


 そうすれば、この王城から飛んで逃げるのに。柊也はそう考え、魔法の融通の利かなさを嘆いた。


 この世界には、元の世界の小説にあるような召喚魔法が存在しない。魔法が呼び出せるのは、光・闇・地・水・火・風に関連する物理現象だけだ。なお、光に属する魔法の一つに治癒魔法がある。これは傷ついた部位に対する回復が齎されるが、部位欠損等の再生はできず、また解毒や消毒、病気の回復といった効果はない。治癒魔法は厳密に言えば物理現象ではないが、いずれにしろ生物召喚と無縁である事には変わりはない。


 生物召喚について、これ以上考えを巡らせても無駄である事を知りながらも、柊也は考えを止めない。現実逃避の欲望に負け、夢想の世界に突き進んでしまう。


「他には何がいいかな。ヒポグリフっていうのもいるし、ワイバーンでもいいな。あー、でもどれも、あの大きさの窓から出られないか」


 寝ころんだ姿のまま、ちらと窓の方を向いて呟く。じゃあ何がいいか、と考えを再開しようとしたが、次の候補が全く出ない。疲労で頭が回らなくなった。


 現実逃避まで逃げ道を塞がれた柊也は、自棄になって八つ当たりまで始める。


「くそぉ、幻想生物大辞典くらいないのかね。ファンタジーだろ、ここ」


 こつんと右中指に何かが引っかかった。大の字を邪魔された柊也は、無意識にそれを掴み、目の前に持ってくる。


 目の前には「幻想生物大辞典」と題された書物があった。




「…は?」


「幻想生物大辞典」と日本語で書かれた書物が、そこにあった。


 柊也は飛び起き、目の前の書物を凝視する。書物は宙に浮いているように見える。…右手で持っているつもりだから。


 恐る恐る左手に持ち替え、見えない右手で表紙を捲ってみる。…表紙が捲れ、本扉が見えた。


「…何処から持ってきたんだよ、お前」


 思わず右手を見つめ、呟く柊也。そこには何もなく、視線の向こうにある絨毯が、ピンボケで見えた。


 しばらく絨毯を眺めていた柊也は、やがて左手で頬を叩くと、新たな検証を開始した。




 ***


 結局、一睡もせず朝を迎えた柊也は、眠い目を擦りながら検証結果をまとめる。右腕の能力は、驚くべきものだった。


 一、右腕は、こちらの世界の物を一切触れられない代わりに、元の世界の物を持ち込む事ができる。

 二、元の世界に実在する物であれば、直接見た事がない物でも持ち込む事ができる。

 三、元の世界から持ち込めるのは、無生物に限る。この場合の無生物は「生きていない」という意味であり、例えば生肉も持ち込む事ができた。

 四、元の世界からの持ち込みに回数制限はない。また持ち込むにあたり、魔力消費といった代償もない。

 五、持ち込んだ物は、右腕以外の部位でも触れる事ができ、そのまま利用する事ができる。

 六、持ち込む瞬間、その対象物の知識が柊也に流入する。その結果、使用した経験がない物でも、使い方を理解する事ができた。

 七、持ち込める物の大きさは、おおよそ半径2~2.2mの円内と推測される。縦横でいえば、縦3m×横3mがギリギリ持ち込めるようだ。奥行には制限がなさそうで、前述の円内に縦横が収まれば、それより長いものも持ち込めそうだ。

 八、持ち込める物は、右腕一本で運べる重さまで。この重さの制限が一番厳しい。力一杯引っ張れば30~40kgまで持ち込めそうだが、引き摺る分時間がかかる。また、物の形状も影響し、取っ手等の掴みやすい部位がないと、持ち込みが厳しくなりそうだ。

 九、スマートフォンやパソコンも持ち込めたが、インターネットには繋がらず、情報端末としては利用できそうにない。また、元の世界からケーブルを引き込むといった、空間を跨ぐ使い方もできなかった。

 十、持ち込んだ物は、柊也の右肩を中心に半径2~2.2mの球内であれば存在し続けるが、それより外側に置くと5分程度で消失した。ただ、物の一部が球内にあれば、外側にある部分も存在し続ける事ができるようだ。検証を繰り返した結果、山積みとなったガラクタを前に、どう証拠隠滅したらいいか柊也は一時途方に暮れていたが、この制限のおかげで事なきを得た。


 要約すれば、右肩の部分に四次元ポケットがあり、柊也は常に右腕を突っ込んだ状態、というわけだ。


「フランチェスコさんの言う通り、召喚が完了していないって事か…」


 半分眠った頭で、柊也はぼんやりと考える。召喚の扉に右腕が挟まったまま、向こう側の物を手探りで探し回る自分の滑稽な姿が、容易に想像できた。


「…しかし、これで切り札ができた…後は、何処に自分の命を賭けるか…だ…な…」


 次第に押し寄せるまどろみに意識を侵食されながら、柊也は思考を続ける。


 柊也は、右腕の力を他人に伝えるつもりは、一切なかった。自分が逆境にある時に隠された力を開示する事は、事態の好転には繋がらず、むしろ自分の首を絞める事になるのを、自身の苦い経験で知っている。


 柊也は、小学校高学年の時、いじめを受けた事があった。その時、柊也は周囲を見返そうと勉学に励み、総合で学年10位に食い込むところまで成績を上げた。しかし状況は好転せず、かえっていじめは陰湿さを増し、柊也を苦しめた。


 幸い、父親の転勤に伴い遠隔地に転校した事が契機となりいじめは止んだが、柊也は人間が持つ暗い側面を、身をもって知った。なお、この経験は、その後彼の人格形成にも少なからず影響を及ぼす。彼の口数の少なさと、覇気の乏しい顔立ちを形作る一因となった。


 また、彼は本来、頭脳明晰で決断力がある。自分を取り巻く環境を正確に分析し、先を見据えフリッツに後を託したその行動に片鱗が伺えられるが、反面、その思考は自己完結型で、他人の力を借りようとする意思に乏しかった。幼少時の経験が、潜在意識に他者への不信感を植え付けていた。


 今、右腕の力を開示したところで、柊也を取り巻く環境は改善しない。王城の人々は皆一様に柊也を見下し侮蔑するが、それは柊也を、自分達より劣った人間であると認識しているからだ。ここで右腕の力を開示しても、人々は柊也を見直したりしない。むしろ、「自分達より劣っている」という事実が裏切られた事で、反感を持ち、警戒し、排除しようとする行動に繋がるのだ。美香にも話せない。美香が、柊也を弁護し庇おうとした結果、他者に漏れる危険性が拭えないからだ。


 相手が自分を見下している今なら、出し抜ける。しかし、この力を知られたら警戒され、敵として認識されてしまう。仕掛けるなら、今しかない。


 思考を進めた柊也は、しかしそこで意識を手放し、やがて静かに寝息を立て始めた。

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