【1-11】サリバン家の罪

「サリバン家は私の父が一代で築き上げた伯爵家でしたが、爵位が剥奪され、地に落ちてしまいました。──その原因は、私にあります」


 膝に乗せている両拳を強く握りながら、リアムは彼らしくない吐き捨てるような口調で言った。彼が必要以上に己を責めているのではないかという予感はあったが、キリエはひとまず話を聞こうと、小さく頷いて先を促す。


「……どういうことなのか、聞かせていただけますか?」

「御耳汚しになってしまいますが、お伝えしておくべきことだと思いますのでご容赦ください。……私の父は、周囲には貧しい農家出であると言っておりましたが、本当は孤児院育ちでした。苦しい環境で育った父は、将来は絶対に成功して裕福になるのだと心に決めていたそうです。孤児院を出てから必死に商売や経済・その他多岐に渡って様々な勉強をしながら少しずつ大きな仕事を手掛けてゆき、その功績が上流貴族の目に留まり、次第に国政の一端にも関わるようになり、先代国王陛下──というより、実際は宰相殿の取り計らいによってですが、サリバンの家名と伯爵位を賜ったそうです」

「立派なお父様ですね」


 キリエは本心からそう思い、しみじみと言う。同じ孤児として、リアムの父の努力は相当なもので、数多の血が滲む努力を重ねてきたのだと分かる。孤児院育ちで爵位を賜るなど夢物語のようなもので、それを実現したのは立派なことだ。

 しかし、リアムは眉根を寄せ、せつない表情のままだ。


「……立派な父だと、私もそう思っていました。今後サリバン家を発展させてゆくのだと、幼い頃から言い聞かされていましたし、父のような立派な男になりたいと剣の稽古にも勉強にも真剣に打ち込みました。父は非常に厳しい男で……、そう、厳しすぎました。私は耐えられましたが、母は耐えられなかったのでしょう。……だから彼女は、不貞を働いたのです」

「不貞、というと、その……」

「敬虔な信徒でいらっしゃるキリエ様はご不快に思われるでしょうが、母は私の家庭教師と通じておりました。──そして、私はそれを知りながらも、見て見ぬふりをしていました。本当は咎めねばならなかったのに、罪深いことです」


 神は不貞を禁じている。生涯添い遂げると誓い合った者以外と情を交わしてはならない、と定めている。礼拝日に神への祈りを忘れないような生真面目な男が、なぜ母の不貞を見逃していたのだろうか。


「リアムさんはなぜ、お母様と家庭教師のことを見逃していたのですか?」

「……家庭教師と寄り添っているときの母がとても幸せそうだったので、どうしても咎められませんでした。母は私を大切に育ててくれましたし、夫である父に対しても誠心誠意尽くしていました。しかし、父はあまりにも母に対して冷たかった。父がいないとき、母はいつも泣いていたのです。私に対しても、そんな必要などないのに、こんな母親で申し訳ないと謝罪するばかりで。……それが、家庭教師と心を通わせてからは、幸せそうな笑顔を見せるようになりました。だからといって母や妻としての務めを疎かにすることもなかったので、私はつい、気づかぬ振りをしてしまいました」


 リアムを責める気にはなれず、かといって彼の母の不貞を肯定するわけにもいかず、キリエは押し黙る。騎士はキリエの無反応を気にすることなく、ほの暗い口調で先を続けた。


「五年前、私が郊外視察の護衛任務についていたとき、──父が母を殺しました」

「えっ?」

「不貞現場を目撃して激怒した父が、母と家庭教師を刺殺したのです。家庭教師から教わっていたのは私が十八歳になるまででしたので、その後も屋敷へ出入りしている家庭教師を前々から不審に思っていたようで、試しに予定よりもかなり早く帰宅してみた結果そうなってしまった、ということらしく」

「……」

「その家庭教師がとある侯爵家の遠縁にあたる男だったこともあり、話は重く大きく広がっていき、父は爵位を剥奪され、サリバン家は没落しました。……それだけではなく、その一件から三ヶ月後に父は外出先で何者かに殺されました。おそらくは血の粛清ではないかと思われます」

「……」

「私には兄弟はおりませんし、父は孤児で、母も生家から絶縁されている身でしたから親戚も無く──私は独りで取り残されました。世間が私に向ける目は冷たいもので、それは当然のことであると弁えております。こういう経緯がありますので、私をキリエ様の御友人の座に置いていただくのは不釣り合いかと存じます」


 語るべきことを語り終えたと思ったのか、リアムは小さな吐息を零した。精神的な疲弊が滲み出ている端正な横顔を眺めながら、キリエは首を傾げる。


「お話は分かりました。でも、サリバン家の没落の原因がリアムさんにあるのではないかという点がちょっと分かりませんし、結局リアムさんは僕の友人になるのが嫌なのかどうかもハッキリしていない気がします」

「──はい?」

「爵位を剥奪されたのはお父様の行いによるものですし、お父様にそうさせてしまうきっかけを作ってしまったのはお母様です。リアムさんに責任はありませんよね?」

「私が……っ、私が、母の不貞を止めることが出来ていたならば、あんなことにはならなかったのです!」


 ずっと冷静に語り続けてきたリアムが、声を荒げた。動揺と後悔が色濃く出ている声音が妙に痛々しい。彼はきっと、五年前からずっと自分自身を責め続けてきたのだろう。


「僕は、リアムさんのお父様、そしてお母様がしてしまったことを肯定するつもりはありません。人の命を奪うことも、伴侶への裏切りも、してはならない罪深いことです。本当なら、あなたはお母様の不貞を止めなければならなかった。それは確かにその通りなのでしょうが、お母様が幸福を感じられた数少ない時間をそっとしておいてあげたかったというあなたの優しさを否定したくはありません」

「キリエ様……」

「サリバン家の没落の直接的な原因は、お父様の罪による爵位剥奪です。そのきっかけの一端に関わりがあるかもしれませんが、あなたの責任とは言えないのではないかと、僕はそう思います。……でも、リアムさんがどうしても自分の罪だと言い張るのなら、その罪が赦されるように僕も一緒に祈りましょう」


 キリエはやわらかく微笑み、両手を組んで頭を垂れた。もしもリアムに罪があるのならそれが赦されるように、彼が後悔や悲しみの念から抜け出して慰められるように。声には出さず、胸の内で熱心に祈る。

 銀髪が醸し出す雰囲気も相まって、青年が祈りを捧げる姿はとても清らかなものに見える。その聖人めいた様子をじっと見つめながら、騎士はしみじみと呟いた。


「キリエ様は、きっと神に愛されている御方。罪を犯されたことなどないのでしょうね」


 その言葉を聞いたキリエの細い肩が、一瞬だけ震える。祈り終えたキリエはそっと瞼を押し上げ、銀色の眼差しでリアムを捉えた。


「何の罪も犯していない者など、どこにもいないと思いますよ。僕だって、例外ではありません」

「御冗談を。ずっと御傍にいたわけではありませんが、キリエ様が正直でお優しくて信心深いまっすぐな人でいらっしゃることは分かります」

「信心深いだろうとよく言われますが、そんなことはありません。今でこそ神に全てを委ねていますが、かつての僕は聖書を嘘つきの書物だと思い、神を呪っていましたから」

「……、いえ、そんなはずが」

「僕は嘘をつきません」


 驚き狼狽えるリアムへ笑いかけながらも、目だけは真剣そのものでキリエは言い放った。


「僕は、神を呪っていたんです。──あなたに出会うまでは」

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