希望の星にめぐり会うまで
今朝、NHKの情報番組『あさイチ』で、動画の倍速視聴に関する特集があった。その中で、倍速視聴に関する本を出した人が登場し、かつてはその人自身も倍速のヘビーユーザーだった経験も踏まえて次のような言葉を言った。
●2時間の作品を倍速で見て「1時間得をした」のではない。
1時間もかけて「その作品をちゃんと味わえていない」と考えるべき
筆者はここで、等速がいいのだ倍速はダメだということを主張する気はない。
確かに筆者は等速主義だが、自分がいいと思っているものをその証拠になるような事例をあげて「ホラみてみろ」とマウントを取る気もない。少なくともここでは、「この世界に絶対の真理はないのと同時に、絶対の間違いもない」と言ってきたのだから。少なくないケースで「等速で見る方が総合的にメリットが大きくデメリットが少ない」というだけの話で、倍速でもそれが当人にそう問題になることもなくむしろ成果をあげることもあり、どこまで行ってもこれは「個人差」のある話なのだ。
ただ、合う合わないがあるという話。ちょっとでもそれでストレスがあるなら、いくらタイパがよくてもムリはしないでというだけの話。
筆者もこんなことを文章で書くようになる以前の昔、失敗ばかりしてきた。人生の「遠回り」とも思えるような過ちを多くしでかしてきた。成果や合理性ばかり考えるなら「こんなことやらなきゃよかった」「この~年間は何だったんだ」というような暗黒の時期も人生にはある。
でも、じゃあそれは全く「なかった」ほうがよかったのかといえば、絶対に違う。
●それまでのすべてがあって、今の私がいる。今のあなたが在る。
先ほどの倍速視聴に関する本を出した人だって、倍速視聴にどっぷりハマるという一時期を経たからこそ、その問題点を浮き彫りにできるしその言説に説得力も出る。筆者も、旧統一教会の教義を真理と考え、信者として活動した数年間を恥じて「人生にあれがなかったらよかった」と人情的には思う。でも逆に、それがあるからこそ私にできるメッセージがあり、アドバイスがあり、今まさにその問題の渦中にいる人に人ごとや対岸の火事ではなく、気持ちに寄り添うことができる。
聖書では、イエス・キリストの青春時代の描写がほぼない。生誕時と幼少期・少年期の短いエピソードがひとつふたつあるのみで、そのあとはいきなりイエスが30歳になっている。まさに現代で言うイエスの中高生・大学時代や若さいっぱいの20代に何があった、という情報がないのだ。
これは筆者に降りた勝手なインスピレーションだが、イエスのいわゆる「なかったことにしたい暗黒時代」だったのではないか。だから、イエスを偉大で尊敬しかできない人物にしておく必要があるために、たとえ情報があってもあえて書かなったということもあるのではないか。
酒に、女に、暴力に。自身の能力を持て余し、尾崎豊ではないが「この気持ち(やり場のない怒り)をどこにぶつけたらいいのか」悩んだ十数年だったのではないか。
でもイエスは、迷路で散々迷った挙句、出口には出てこれた。そこからが彼の真骨頂で、イエスの三年の公生涯と言われる、我々が聖書で知る彼のドラマのスタートとなったのである。
聖書で紹介されているイエスのエピソードには、そうした「しんどい、遠回りした時期があったからこそ」悩める衆生(しゅうじょう。迷いの状態にあるすべての生き物を指す)に寄り添え、また救えたと思えるものもある。完璧でまったく間違えることのない人間の言うことなら、たとえ正しくても誰も耳を貸さない。大事なのは正しいかではなく、気持ちを分かってもらえるか、共感してもらえるかどうかなのだから。
合理的に考えたら、何かをいいものと思い込んで一定期間やったが、結局間違ってましたと言う時、それは「やらなければその時間を得したのに」となるだろう。でも、人生とは合理的に考えすぎるとどこかでうまくいかなくなる。
●人が何かを本質的に「得る」時、その逆をやる必要がある場合がある。それを合理的に「損した」と思うべきではない。むしろ必要な過程であったと思うこと。
ただ、人生には最短で皆が思う「正解」を最初から選べてしまう人もおり、それはもう個人差であり宇宙シナリオの違いなので、考えてずるいだの言っても意味がない。それよりは、すべては今在る自分のためにあったと考えたほうがいい。
銀河鉄道999というアニメの古い主題歌で、「人は誰でも幸せを探す旅人のようなものだ」という趣旨の歌詞がある。自分に一番合う、個々に住みたい! と思える星にめぐり会うまでは、いつまでも歩き続けるだろう、と。
私たち人間は、その人生をかけて「自分の人生とは、自分にとって生きるとはコレだ!」と胸を張れるものを見つけようとしている生き物だ。その過程で、ああでもないこうでもないはつきもので、色々な寄り道をするだろう。999だって、各駅停車するのだから。色んな駅に降り立ってみるのである。
そして、合うものを見つけるまで旅は終わらない。ちょうど、動画の倍速視聴をしまくってある時限界が来て、「これだ!」と自分なりの答えにたどり着き本を出版するまでになった冒頭の人物も、そのように旅の落ち着きどころを見つけたのだろう。
正解にたどり着くことそのものにフォーカスするのではなく、その過程をこそ優しく見つめる眼差しというか、視点が必要なのではないだろうか。あんなことなかったことにしてくれ、とネガティブに思うのではなく。
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