お金と精神は連動している
●人が人を殺す だが 今は 金が人を殺す
【映画『必殺!Ⅲ 裏か表か』のキャッチコピー】
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元陸上選手の為末大氏が、お金というものについてなるほどと思えることを述べている。以下、ネット記事からの引用である。
……お金がすべてではないと言う。確かにそうだが、しかしお金の信頼そのものが失われる時(インフレなどの経済危機)、失われるのはお金だけではなく人間性もそうなのだろうと思う。(中略)人間性も通貨も、それは(価値が)確かにあるのだとお互いが信じあうことで成り立っている、極めて危ういものなのだ。
【新潮社 波 2023年1月号 掲載】
まず最初に言ってしまうと、お金とは非常にスピリチュアルなものである。
一般の人のイメージとしたら、お金とは宗教やスピリチュアルとはベクトルの違う、極めて現実的なもののように考えてしまうのではないか。現に小銭は丸い金属だし、紙幣は紙だし。視覚的に見えるし触れられるし、金額を具体的数字を言い表すこともできる。
しかし、お金としての実物はあっても数えられても、それはあくまでも「モノ」でしかない。お店で500円玉や千円札を出してこれください、と言っても相手が「なんだこれ。ただの丸い金属じゃないか。なんでこんなもんとうちの商品を交換せにゃならんのだ」「なんだ、ただの紙切れじゃないか」と言われたら?
なぜお金がお金たり得ているかというと、その金属や紙切れに「価値がある」ということにある集団に属する皆が意識上同意し従おうという、目に見えない意識の世界での決定事項があるからである。
人気のスピリチュアルでは、このお金に関して「稼ぐ方法」「豊かになる方法」など、プラス面というか華やかな面しか扱われない。少し使い方を誤れば人生が危うくなるほどの負の変化をもたらすが、その辺の「取扱注意」的なことはあまり言われない。それはさて置き、お金というものが人々の信頼という見えない領域でのものである時点で、お金はどう言いつくろっても「関わる人間性そのものが強く現れる」媒介体であると言っていい。
包丁や劇薬と同じである。それが存在する本来の用途にのみ忠実に用いている分には大いに人の役に立つが、ひとたび心の中に悪意を抱き、本来の使用法とは違う「他者を攻撃する用途で」用いるなら、最悪の道具となる。その場合包丁や劇薬それ自体には善悪はなく、あくまで使用者によって結果としての善悪が左右される。
為末氏の言う通り、経済危機などによって世の中がうまく回らなくなった時、多分にスピリチュアルなものであるお金もまた当然、そこに生きる苦しむ人の心をそのまま反映する。世に詐欺や盗難が横行し、お金に絡んだ悲劇が多発する。
それを見て人は「いくらお金がないからといって」とか「お金がすべてじゃない。心まで貧しくなっちゃいけない」などと分かった風なことを言うが、それは一見正論に聞こえて実は見当違いである。
●お金と人の意識(精神)は連動している。太いパイプでつながっており、互いは互いを無視できない。
そこを切り離して考えることができるのは、精神的に突き抜けた本当に一握りの人たちだけであり、あなたがそれに該当する確率はまずない。あなたがその超越した人間にあたるかどうかは、宝くじ並みの確率であると思ってもらったらいい。
たからほとんどの人は不可抗力で、お金がほぼない状態になったら心が荒み、余裕のある状態になったら心にも余裕ができる。管子の『衣食足りて礼節を知る』というのは、実に的を射た言葉である。
人間ができてるとかできてないとか、そんなことはほぼ関係がない。小公女セーラのようなのはあくまでもお話の世界のことで、あれは皆がなるべき基準ではなく、ほぼ到達不可能な人の理想を描いたものである。数万人に一人くらいはそれに近い人はいるかもしれないが、ほとんどの人は該当しないので「いるじゃないか」という話をする意味が薄い。
●お金が絡む問題で、もしあなたが自分に幻滅するような言動を取ってしまっても、そこまで落ち込む必要はない。なぜなら、お金が減ればその程度や深刻さに応じて、連動してあなたの精神性も打撃を受け影響を受けるから。本人が悪いというより、ほとんどの人にとってその強制される感情行動は抗いがたいものなのだ。
抵抗できる人は限られる。
でも、だからといって筆者は「お金が絡んで起きる悲劇や不祥事を、仕方のない現象だからあきらめて全部ゆるせ」と言いたいわけではない。
ただ、そのように振舞いたくなるメカニズムは分かる、という話である。事情は汲むが、ダメなものはダメである。それはちゃんと、社会的責任を取るべきところは取ってもらわないといけない。
だから、こういう問題は「起きてしまったら、その時点でできることは少ない」。だから起きる前にやることしかない。
●すべての人間に、最低限度の文化的生活ができるお金を配り続けることである。それがいやなら、すべての人にきちんとしたお金が入ってくる社会的責任(いわゆる仕事)を与えることである。
心の余裕というものは、よほどの賢人か聖者でもない限り、経済的な余裕というものが影響している。今日食べるものがある寝る場所がある、そして一か月後も一年後も(よほどの大事件でも世にない限り)それは維持されているであろうという見通しこそ、人に生きた心地を与える。
自己責任を言うあまり、自由競争社会の利点を言うあまり、今の世界はその生きた心地を大勢の人に与えていない。与えていないくせに、必然的に起きる犯罪や不正の多さを嘆き、それをただ倫理道徳の観点から「盗みはいけない」「人を騙してはいけない」「殺してはいけない」「理由はどうあれダメなものはダメ。言い訳するな」とばかり社会不適応者を糾弾する。これでは、世界は一向によくはならない。
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