みんな自己承認欲求が強いだけ

 M-1グランプリ2022における、審査員として初登場の山田邦子の採点をめぐって、賛否両論の議論が巻き起こっている。

 山田邦子がお笑いのことが分かってるかどうかとか、軸が分かりづらい(ブレブレ)だとか、この問題の本質はそんなところにはない。



●結局批判する人たちは、自分の評価と違うものがキライなだけ。



 批判というものは、自分の中にある考え方の基準というものがあって、その基準からズレていると判断できる場合にしか生じない。

 大勢多数が、表立って誰かにケンカを売るかのような正面衝突勝負をしないのは、その自分の判断が「絶対ではない」と謙虚に自覚しているから。

 算数の計算のように、1+1=2のところを3と書いてあったら、それは3でしょと誰もが思う。そしてそれを指摘しても誰も悪口だ批判だなどと思わない。それはただの事実の指摘である。

 ただし、言論の場であるとか文系の内容、さらには人生訓や宗教などで扱われるお話(よいことをすればよいことが返ってくる・この世で徳を積めばいい霊界に行ける、よい生まれ変わりができる)に関しては、正しいと証明できない一方で絶対間違いとも証明できないので、皆言いっぱなしのまま無数の言葉が世にあふれている。計算間違いのようにちゃんと間違いを指摘できる話でもないので、賛同できる人は賛同し、受け入れられない人は「無視」しかない。だって、さっきも言ったようにそれが絶対に間違いだということもまた証明不可能だから。



 でも、世の大勢が「自分にはそれが絶対に間違いだと指摘できない」謙虚さをもっておとなしくしてるのに、ドン・キホーテ並の蛮勇さをもった人が一定数いる。SNSやコメントを残せるニュースサイトのコメント見ていたらよく分かるでしょう。

 人情的に、良識的に頷ける批判ももちろんある。でもその多くは「それはその人の思いであり感想」にすぎないものを絶対として「違うものはゆるさない」ぐらいの勢いで牙をむいている。

 なぜ、1+1=3は違う、という明らかに指摘できるものとはちがう、無数の解釈や感想が生じて当然な内容に関してまで、まるで自分は絶対正解のように批判してしまえるのか?

 彼らは一見、知的な雰囲気を匂わせる様々なデータを提示して、いかにも論理的なふうを装って武装してくる。気の弱い人や批判にビクビクしている人なら、よくよく考えて対抗する以前に白旗を上げてしまう。この世界が「ノイジーマイノリティ」によって言論が牽引されてしまう(その声は実は少ないのに、声が大きいのでそれこそが世の主流意見と勘違いされてしまう)



●あるひとつの例外を除いて、声高らかに批判をする人間というのは自己承認欲求が強い、こらえ性のない人である。大人であっても精神性は幼い人である。

 自分が認められたいだけ。他より優れている・正しいと思われたい(そして確認したい)願望が強すぎる。ただ、それがあからさまにバレるのは恥ずかしいので、それと分からないよう理論武装するのだが、頭のいい人にはまるわかりで通じない。



 絶対の正しい基準を示せない、精神世界(目に見えない内的世界)での生き方在り方、心理的法則などについて反論をするのは頭が悪い。そんなものはもう好き好きの領域だからだ。ただの好き嫌いでものを言っている批判が、スピリチュアル界においては大半である。色んな根拠をあげてくる人もいるが、その根拠自体がどうだろうな?ってなものも多い。~先生によればこう。キリストは、釈迦は、般若心経ではこう言っている。聖書では、日月神示にはこう書いてある——

 それ自体、絶対正しいなんて決まってないし。ただ、あなたはそれが好きなだけでしょ? それを腐されたから、あなたのちっぽけなプライドがうずいて思わず息巻いたんでしょ? 人間は理性をもって「反射的反応」を抑える知恵と力があるんです。その特権を使わない、使えないでダダ洩れにするあなたは、人間デスカ?



 さっき、あるひとつの例外を除いて……と書いた。

 さて、その批判が不健全ではないそのケースとは?



●批判の対象が野放しになることによって、迷惑(もっといけば被害)を被る人間が出る恐れのあるものに対して、注意を喚起するための批判



 これならかまわない、というのが筆者の考えだ。

 私が時折何かを批判するような文章を書く時は、例外なくこれである。個人的な好き嫌いで書くことはない。世には、ウケるため注目されて集客してお金を稼ぎたいからか、「一線を越えた」煽りすぎ、言い過ぎなスピリチュアルもある。大半は引っ掛からないだろうが、世に大勢人がいたら若干名は、ハマって熱狂的になる人も出る。そうしたら、その人物の目が覚めるまでに出るお金・費やす限りある人生の時間がもったいない。たとえば旧統一教会への批判記事などは、まさにこれに当たる。

 スピリチュアルと陰謀論は、悲しいことに親和性が高い。トランプ大統領やコロナワクチンの話題さかんな頃から、イタい言説をスピリチュアル界でも目にする機会は多かった。

 お願いだから、「自分は他人より物事をよく分かっている」という勘違いをはやくやめて。

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