もっとおおらかな心で

 所ジョージが自身の発信する文章の中で、童話にツッコミを入れていた。

 木こりが池に斧を落としたら、池から神様みたいなのが出てきて『あなたが落としたのは金の斧ですか? それとも銀の斧?』と聞く。正直な木こりはそのどちらも自分のじゃありません、と言うと褒められて、金銀どちらの斧ももらえる。それを聞いた別のきこりがマネして斧を落とし「私が落としたのは金の斧です!」と言うと嘘つき呼ばわれされ、持っているもともとの斧まで返してもらえなかった。



●なんで神様は池の底で金の斧や銀の斧を準備してまで、そんなトラップを仕掛けたのか? そもそもその行為の意味は?



●木こりは少なくともずっとそれで生計を立ててきたはず。(つまりプロ)それが手が滑ったからといって池に落とすほどのことになるか? 使う位置によっては、そのような危険の可能性を察知して、より慎重になるか別の場所で仕事してリスクを避けるかするはずでは? 要は木こりとしてプロ失格ということ。



●強欲な木こりの悪い結末は、最初の良い木こりの責任でもあるのでは?

 村に帰って、「こんないいことがあったよ!」と自慢げに言ったからマネをしたのだろう。強欲な木こりだって、普段はそう悪い人じゃないかもしれない。だって、誰だって金の斧ほしいもの! それが、たまたま欲が刺激される出来事に出会ってしまったということで、「自慢話はよくないよ」という教訓を言いたいのだと納得。



 うん、こうやって聞くと所さんの話は面白いし、何か「頭がいい」「発想の切り口がさすが違う」という感想を持たれる方は多いだろう。実際、私も面白いとは感じた。だが、この物の見方は決していい面ばかりではない。



●特に今の世では、もっとおおらかに物事を見る目のほうが大事。

 その話が一番言いたいことを汲み取り、それ以外で多少矛盾したり齟齬があったりする部分には目をつむる(気にしない)という話の聞き方が推奨である。



 世の中の口の悪い批判者というやつらの特徴は、その批判している相手の大筋での話(テーマ)に挑むというより、それ以外の部分で揚げ足を取ってくることだ。

 引き合いに出したたとえ話と合ってない、あるいはこの論理展開は矛盾がある、とか。ひどい場合は、記事とは関係ないその人の別での言葉や態度を引き合いに出してきて「こんなあなたに言う資格があるんですか」とか、プロレスの場外乱闘みたいなことを仕掛けてくる。ちゃんとしたリングで戦わず(そこだと負けるのが怖い)、人格攻撃を仕掛けるのだ。

 事実、イエス・キリストを死刑にするのに当時の裁判制度で「十分な証拠がない」のに踏み切った。その踏み切りに苦言を呈した議員に、何が何でもイエスを死刑にしたい派は「ガリラヤ(イエスの出身地)から良いものは何も出ない、という理由でいいじゃないか」と言って終わる。死刑にしたいという結論があって、あとはどうでもいいのに制度が邪魔するので、もうテキトーでいいだろ(そこで真剣勝負すると勝てない可能性がある)ということ。



●議論で勝てないアンチの最終兵器は、人格攻撃である。ただそれをしたらもう後がない。それで相手がへこまなかったら、もう攻撃手段がないからである。



 話が少々それたが、所さんのお話の視点は面白いが、人が話を聞く姿勢としてはよろしくない、ということが言いたい。

 そのお話が一番伝えたいことは何か。それが分かれば、あとは多少の矛盾点は大目に見る、というのが一番建設的で、ウィンウィンな関係を築ける。

 そもそも、現実に起きたのではない想像上の物語というのは、100%完璧な話にはならない。どうしても話者の主観や固定観念が入るし、あることを強く言いたいがために話が多少強引になってしまうこともある。千ページ以上の大作小説にもなると、人物も事件も細かく描写できるが、子ども向け童話程度の情報量だと「どうしてもその必然性や矛盾に関してカバーしきれない」ことになる。



●赤ずきんは、オオカミとおばあちゃんの区別もつかへんのか?

●オオカミも、腹切られて気付かへんなんてことがある?

●ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家、アリだらけになるやろ!



 眠れる森の美女が、ずっと眠り続けて王子様のキスで目覚めるというメルヘンな話になってはいるが、その間ずっと歯を磨かなかったから口が臭くなってたのでは? (キスする時うっとか躊躇せんかったん?)というのも面白い指摘だ。

 確かに、こういうツッコミは面白い。娯楽としてはいいが、人生の本番ではやめれ。あくまでも相手の話に茶々入れずしっかり聞き、聞いた後で多少のツッコミどころはあっても、まずはそのお話での最大のテーマに関して及第点であるか、そこの感想や意見をまず言ってあげること。そういう会話をひとしきりした後で「余談だけど、ここはこう言ったほうが相手も納得しやすい(聞きやすい)かもね?」と言ってあげたらいい。

 


 筆者も長いこと文章を書いてきたが、言いたいテーマに完璧にハマるたとえ話と言うのは難しい。いや、不可能だと言ってもいいかもしれない。

 だから、人によってはツッコミたくなることもあるだろう。でも、豊かな人生を送れる人というのは「枝葉末節にこだわらず、その時一番大切なものを大事にできる力のある者」だと思う。決して「くだらない矛盾や引っ掛かりに目を奪われて、その場で一番大切なことを見逃す(受け取れない)者」ではない。

 前者でいるためにも、普段から話の聞き方に注意するとよい。自分は人の文章を読むときにまずアラから探す(気になってしまう)人か? それとも一番大事なところをちゃんと読み取ってあとは、おおらかな気持ちで流せる人か? 

 もちろん相手の成長のために誤字脱字・言い方の改善・明らかな事実誤認などは指摘してあげたらいい。アホな人は「筆者さんのこの記事自体が、所さんのお話をアラ探しで読んでいるというブーメランになってませんか?」と言ってくるかもしれないが、それは論点が巧みにすり替えられている。

 テストで悪い点を取った生徒が、「先生、私に悪い点をつけるなんて、私のことがキライなのですか?」と言うのに似ている。アラ探しを指摘したらそれもアラ探しになるのですか?

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