ハッピーエンドが好きなのは構わないけど

 週刊女性PRIMEが出どころのネット記事で、興味深いものがあった。



●アニメがっかり最終回ランキング、不朽の名作が「最後があまりにひどすぎる」と2位に



 それまでよかったのに、アニメ作品の最終回が「残念・ひどい」ものになるのには、この記事によると3つのケースに分類できる。



①監督(製作責任者)の精神不安定によるもの

②原作ありのアニメで、アニメのほうが原作に追いついてしまい最終回が存在せず、それでも原作がないのに終わらせなければいけない中とってつけたようなしっくりこない内容になってしまう

③バッドエンド(悲劇で終わること)が受け入れがたい



 では、実際に1位から10位までを、①②③どの理由に当たるのかも交えて紹介してみよう。


全国男女30代~50代1000人に聞いた『アニメ“がっかり”最終回』


1位 新世紀エヴァンゲリオン('95年~)234票……①

2位 フランダースの犬('75年) 146票……③

3位 うる星やつら('81年~) 92票……②

4位 機動戦士Zガンダム('85年~) 65票……③

5位 美少女戦士セーラームーン('03年~) 44票……②③

5位 魔法少女まどか☆マギカ('11年) 44票……③

7位 ベルサイユのばら('79年~) 41票……②

8位 海のトリトン('72年) 32票……③

8位 伝説巨神イデオン('80年~) 32票……③

10位 無敵超人ザンボット3('77年) 21票……③



 ※ちなみに②に分類はしているが、そもそも原作と違う設定にしてあったり原作の描写をはしょっていたりというのが残念というのもある



 皆さん、ざっと見ただけでも③が多いのがお分かりになるだろう。



●人間はハッピーエンドが好きでバッドエンドが嫌い。



 悟りの視点からは、どちらも同価値である。

 だから筆者は、見る映画やドラマの結末がそのどちらでも構わない。その視点が徹底しているから。何なら、7割以上バッドエンドが続いても筆者のメンタルは大丈夫である。むしろ好物だ。

 悲劇が好物というのは、別に私の心がねじけているとか精神異常だとかいうことではない。サディズムでもない。



●世の中は、物語のようにハッピーエンドに調整できない現実が多い。

 その「思い通りにいかない」ことの可能性をたくさん辿る(知る)ことで、様々な感情が疑似体験できる。そうやって平和な日常で感じておけると、いざという時ほんの少しかもしれないが役に立つ。



 特に私のようにモノを書く人や、人を相手にしゃべったりそれでアドバイスもしたりということを仕事にする人には重要だ。どれだけ悲劇の引き出しがあるか、が「どれだけ大勢に寄り添えるか」に関わってくる。

 筆者は、有名なある霊的指導者が「魂がけがれる(悪い影響を受ける)ので、凶悪な犯罪や暴力シーン、心が喜ばないバッドエンドな映画は見ないようにしている」と言ってるのを聞いた。個人的には、これにはまったく同意できない。

 世界のあらゆる可能性を、ありのままに見受け止めそれでもその可能性と共に生きていこうとすることこそ、霊的指導者のあるべき姿。悪いものに触れないからきれいな心ができるんじゃないぞ。そのきたなさ醜さも含めてすべてを見、それでもこの世界を肯定し生きるに値すると踏ん張れることこそ、美しいと言えるんじゃないか。



 私は、世間の人がバッドエンドに拒否感を覚えることに少し危機感を感じる。

 いいじゃないか。作者はそういう作品を描きたかったんだから。

 たとえば2位の『フランダースの犬』などは、アメリカ版ではネロが生き返るというオチに変えられているのだそう。いかにも、ハッピーエンド好きなアメリカって感じだよね! ディズニーやハリウッドの映画見てたらまぁそうするのも分かる。

 もちろん、皆さんが日々生きるのに大変だということは理解している。仕事も人間関係も楽にはいかない世の中で、家に帰ってきて自由な時間くらい気分よくいたいというのは言い分として理解できる。バッドエンドなど見て気分ダダ下がりはいやだろうとは思う。

 生き物の習性として仕方がないとは思う。生物に強く働くのは「自己保存」の欲求である。死ぬことなく生き続けること。そしてただ生き続けるだけではなく、その質も問われる。質が良いとは「幸せであること」。気分よく過ごせる、ということもそのひとつである。だから生理的に「悲劇・理不尽な出来事・不幸が受け入れがたい」。嫌悪感を少なからず感じるようにはなっている。



 しかし、人間でも激辛が好きとか、ホラー映画が好きという人もいる。

 元来、陰陽の両極(相対関係の極と極同士)は同価値なのだ。本来どちらも同じに認識できるはずが、生き物という習性上どうしても多数が「陰より陽」「マイナスよりプラス」「影より光」のほうに偏ってよいイメージを持ってしまう。そうしたほうが生物単体としては生きやすいからだ。

 ただ皮肉なことに、ハッピーエンドばかり考え続け見続けると、その本人単体では精神状態が良好に保たれるかもしれないが、外的要因(自分の外側の事情が襲い掛かってくる)のせいでいとも簡単に潰れる。受け止め考える力、抵抗力を培っていないからだ。宇宙のいい側面ばかり見て、暗部を見ないようにしてきたツケがくる。

 思考が現実化するので、よいものを見続けてそういうもので心を満たしていれば、現実にもそれが投影されてよい現実を引き寄せるようになる、という考え方があるが、筆者の宇宙ではその考え方は見当違いである。そう本気で思えるのは、人生の一時期だけである。



 バッドエンド好き、というのはゲテモノ趣味だということではない。

 ただ、世のあらゆる可能性を拒まず知る、ということろに筆者の意図はある。

 そこでなにを考え、どう後の人生に生かすかが大事。ない袖は振れない、というがまさにその通りで、ハッピーエンドばかり選び続けて悲劇を見ようとしない人間は、何かあった時に打撃で立ち上がれないし、他人がそうなった時語るべき言葉を持たず、あまりに無力である。

 一般人は、まぁそれでもいい。問題は、人様を指導する、導く側の「先生」と呼ばれる立場の人間には、そんな甘々な姿勢でいてほしくない。後々あなたに教えられる人間がかわいそうなことにならぬよう、何からでも学べ気づきを得られる人になってほしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る