人類創世の最初から

『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』という海外ドラマを視聴中である。

 これは「ゲーム・オブ・スローンズ」という完結した作品の前日譚に当たり、いわばスピンオフ作品というやつである。

 面白くて引き込まれること請け合いのドラマだが、権力闘争というものが描かれる以上避けて通れない残酷な描写を、避けたりしないどころか「これでもか」とばかりに見せてくるので、そういうのがちょっとでもダメな人はアウト。また女性のヌードやセックスシーンもてんこ盛りなので、一人で見るか理解あるパートナーと見るかしかない。お子様にはムリ!

 もちろん、18禁作品である。



 皆に見てほしいが、残念ながらU-NEXTの独占配信となっている。筆者が契約しているのはNetflix なので残念がっていたところ、近所に住む筆者の妹がU-NEXTに加入していることを知り、幸運にも視聴できている。

 とある、架空の世界の国々の覇権をめぐる争いを描いている。その世界では豊臣秀吉みたく一応「天下統一」した王がいて、王都があり一応すべてを治めている体裁にはなっているが、力を持つ油断ならないのもいて、今は頭を下げていてもいつどうするかわかったものではない。統一と言っても世界は広すぎるので、当然支配に漏れている遠い国の蛮族がいたり、ファンタジーの世界なので恐ろしい魔物もいて、中でも知性を持った者は相当に厄介。そういうのも物語に絡んでくるため、物語はかなり複雑になっている。

 王の一族など、見ていてもうむちゃくちゃである。もちろん家族愛はあるのだろうが、政治第一なので歪みまくりである。どろどろどころか溶岩(マグマ)と言ってもいいほどの嫌な気分になるストーリー展開。韓国ドラマで主人公がいじめを受ける(たとえばチャングムとか)程度の話が甘口カレーに思えるほどだ。

 つくづく、多少貧乏とはいえ普通の家庭でよかったと思う。



 なぜ、人は等しく幸せを求めるはずなのに、権力者という人種はこのドラマが描き出すように「不幸まっしぐら」にしか生きられないのか?



●世界に人間が二人以上いたら、すでに不幸が生じる可能性は50%ある。

 つまり、人類創世(地球上に人間が数人程度だった)の初めから、もう仕方のないことだったのだ。別々の個が自分という視点を軸にものを見るという構造がすでに、問題をゼロにできない前提になっている。



 聖書には、アダムとイヴという人類最初の男女が描かれている。そしてその二人がアベルとカインという二人の息子を生んだ。(他にも子どもがいるがここでは省く)

 科学的にはおかしく、恐らくだが地上の最初の人間は男女1ペアだけではなく複数カップルができるくらいいたと推測する。でもまぁここではおとなしく聖書の言う通りだと考えてあげよう。

 人類最初の二人が生まれてまずやったのが「神様の言いつけを破ること」。そして人類最初の家庭の子どもたちがやらかしたのが「人類最初の殺人事件」。しかも他人を殺したんじゃなく家族を。だって、この時代はいやでも全員身内しかいないから!

 兄のカインは、弟アベルを殺した。動機はさておき、身内に手をかけるなんて相当である。地球に人間が10人にも満たない数しかいなくても、殺人すら起きるのだ。



●たった数人の家族内でこれだ。

 そこへ人が増え千人1万人10万人……今では数十億単位。これ、どうなるか分かりますよね?



 人が増えるだけでも問題なのに、もうひとつ輪をかけて問題なのが「組織」という概念を生み出したことだ。

 人が増えると、当然統率をする者が必要になる。そういう者は従う者と比べて「偉い」のだと区別するようになり、役得として余分な富や特別な権利を得て当然ということになる。そこに貧富の差ができていく。

 一度上に立つと、できるだけその立場を無くしたくないので(子々孫々まで受け継がせたいので)色々画策する。他にもなりたい者はいて当然対抗してくるので、ある意味相当なワルにならないと生き残れない。



●もうね、これ精神文明がどうとか心を豊かにしてとか、そんなことではどうにもならんのよ。

 人間が二人以上いることですでに、不幸(そうは呼ばずとも衝突やすれ違い)というものは世界からなくなりはしない構造になっている。

 宗教もスピリチュアルも、この世界では「消毒液」程度の働きである。生活に必要な(健康上必要な)殺菌はできるが、それでもって世界中の菌を滅することは絶対にできない。



 悲しい知らせですが、不幸は永遠になくなりません!

 なくすためには、今のような人間としての状態を捨てることしかないです。テクノロジーを使って意識構造や認識構造そのものを変えてしまうしかないです。そんな未来いつくるか分かりませんが。

 でもそれは、見方を変えたら良い知らせでもある。永遠に喜怒哀楽や感動や達成する喜びのある世界に生きられるということでもある。不幸(差異の認知)のない世界では、これらが存在できない。

 だから筆者は、ゲーム・オブ・スローンズとかそういうドロドロドラマを見て「人間って愚かやなぁ」って幻滅するのではなくむしろ「よっしゃ、もっと人間がんばろ!」と思えるのである。

 人が複数存在する時点ですでに問題は避けられないというすごい地球ゲームの中で、今私たちは生かされて在る。もちろん傷つき脱落することもできるが(たとえそうなっても筆者はそれを責めないしむしろねぎらうが)、そんな中でも「なんぼのもんじゃい!」と障害をはねのけて生きていきたいという気になるのだ。

 余計にファイトが湧くのですな。前提がすでに「高難易度」に設定されているので、泣いて暮らすよりは「やったろうかい!」という気に個人的にはなるのである。

 他人のエゴに翻弄される体験は、もう十分にした。残りの人生は、その上でなおこの世を肯定して生きてやる。決して呪うもんか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る