スピリチュアルな言葉はだいたい盛っている
あるスピリチュアルなブログの書き出しに、こんな文章があった。
●この宇宙は、自分のやったことがブーメランのようにそのまま返ってくる場所です。
文字通り考えたら、「この宇宙は~だ」と言ってるので、その内容は絶対的普遍的法則(真理)であると受け取って差しつかえないだろう。
自分のやったことが返ってくる、とは因果応報(人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ)のことを言ったものだろう。
筆者は、この言い方はずるいと思う。なぜずるいかとうと——
①絶対にひとつも例外がない、と精査されたわけではない。よい行いにはよい報い、悪い行いには悪い報い(たとえ個々のケースで幅広い時間差があっても)というのが、宇宙創世の初めから今に至るまで一片の例外もなく貫かれているかなんて誰も確かめられない。
ゆえに、ただのいち人間に過ぎない、過去から今までの世界を俯瞰的に見たどころかたかだか数十年生きただけの存在が「宇宙とは~です」とよく言いきれたものだ。
②ではなぜ、そんなことが言えてしまうのか。それは「その内容が反対しにくい内容である」「そうであるほうがいいと大勢が思う内容だから」。
そりゃぁ、いいことをする人にはいいことが起きて幸せになってほしいし、悪いことをした人間には感情的にいい目を見てほしくない。そこを攻めたら、いい加減なことを「これは真理です」と言っても、厳密に正しくない可能性を指摘するヤボな人はいない。
③ひろゆき氏ではないが、「それはあなたの感想でしょ?」
ブログ主は、たまたまその独自の人生の歩みにおいて「自分のやったことがブーメランのように返ってくる」と強く思える経験を多くしただけのこと。そのことをもって拡大解釈してしまう。自分の確信=正しいので、多くの人にも広めたい、と。
必殺仕事人ではないが、名も無き庶民が虐げられ、いいことをして普通に生きたのに悪者に殺される。一方、悪徳商人や代官は高級料亭でわいろを贈り合い「越後屋、お前もワルよのぅ~ハッハッハ」と高笑い。当たり前の話だが、仕事人の存在はある程度フィクション。いたとは思うが、悪人全員をカバーできるわけもなく、最後までのさばる者も当然いる。
徳川時代、ある領主は血も涙もない(今なら絶対に映像化できない)ような拷問を趣味で平気でし、女癖も極端に悪かった(好みの女性を見かけたら権力をかさに手あたり次第)。でもこの領主、歴史の文献では最後までその地位と財産を保ったまま、復讐もされず布団の上でちゃんと老衰で天寿を全うしていることが伝えられている。
もちろん、内面の幸せがどうこうまでは分からないが、あまりにも「うまく立ち回る悪人が力を持ち、正直に生きる人間がバカを見る」ような経験ばかりすれば、「どこに正義があるものか。お天道様が見ている、というが見ているなら今どうにかしてくれ。人間の一生は短いんだから、因果応報と言うなら分かりやすく見せてくれ。それとも、神様には百年二百年なんて一瞬だから、ちょっとゆっくりしてしまったなんて言わないよな?」と思ってしまっても仕方がない。
●やったことのすべてがブーメラン、というのは確かに生きる指針として、胸に秘めるべき内容としては申し分ない。
ただ、宇宙はそれで貫かれているとか絶対真理だとか言うとアウトである。せめて、おすすめの生き方だとしてほしい。宇宙とはそうしたところだというのは、一定の人には受け入れがたい。
そもそも、人間の認識力は非常に脆弱なのだ。
たとえば、親や先生の厳しさを、本当は愛でも子どもが幼ければ「自分がキライなのか」「自分は嫌われている」と誤解するかもしれないではないか。
人間が絶対に現象を見誤らず「正しく」評価できるのなら、その力をもって「観察の結果、いい行いにはいい報い、悪い行いには悪い報いが来ることが例外なく観察されました!」と言ってもよい。でも残念ながら、我々には「ものごとを正しく見る」力がない。自分という個の都合で、見たいようにしか見れない生き物である。
●百歩千歩譲って、因果応報が正しい真理だとして、でも人間にはその対応関係をすべて納得する力がない。
あいつはあんなことをしたのに、今なんであんなに成功している?
あの人はあんなにいい人だったのに、なぜ無差別殺人に巻き込まれ命を失った?
赤ちゃんは生まれてからまだ何かやったわけじゃないのに、なぜミサイル爆発に巻き込まれて死んだ? いったい何をしたから?
因果応報が正しいとして、我々はこういった事情に対して説明するすべを持たない。いくら頑張って考えても、全員が「ああそれなら分かる」という因果関係を割り出すことはできない。
●たとえ存在しても、その存在を感知できないなら「ない」のと同じ。
ある奥様が結婚指輪を紛失した。探しても、5年間出てこなかった。
しかし、タンスの引き出しをすべて総ざらえした時、隅っこから出てきた。
指輪は5年間、そこに存在したということは事実だ。でもなくした奥様からしたら、指輪は「なかったのと同じ」こと。認識できないものはたとえあっても「ない」のだ。
ゆえに、正しい因果応報の情報(正確にこーだからあーなった)というのは、宇宙のどこかに存在するかもしれないが、人には分かり得ない。
スピリチュアルとは、そうした「個人の感想や体験から出たその人なりの教訓にすぎないものを、やれ宇宙はとか真理はとかいうたいそうな言葉を持ち出して、盛大に装飾したもの」だと考えていい。
それが、実際に「そうだったらいいなぁ」という種類のものなんで、実害はない。むしろ望ましいので、真理だと言いすぎても人々はそこを問題視しない。ただ、この手法を「誰かに実害が出る」方面で使いだすのが、旧統一教会のような「マインドコントロール」である。完璧に検証したわけでもないものを、うまい言い方と感情に訴える巧みな誘導で「さもそれが絶対真理である」ように勘違いさせる。
筆者は、冒頭の「宇宙とは因果応報に貫かれている場所です」と言ったスピリチュアリストを責めたいわけではない。いいことを言っているし、そう考えて生きたほうがいいのは間違いないから。
でも、我々はこういう「賛成される内容だから真理だと盛っても見逃される」ものも、悪質な新興宗教のマインドコントールも、実は構造は相似形なのにまったく違う評価を受けることに気付いておいたほうがいい。
包丁は、料理を作るためのもので人を刺したり脅したりするものじゃない。それは誰だって分かる。でも、四六時中包丁を握っていたら? 基本料理に使うだろうが、激昂したり精神が壊れた時に、握っているそれをどう振り回すか分かったものではない。だから人というのは「自分の信じたものや良かれと思ったものに関して、悪気なく誇張して他者の注意を引こうとする(アピールしようとする)生き物」なのだということを分かっておくといい。
日頃無意識に使い慣れたものは、ある時思いもよらぬことでうっかり使ってしまい悲劇を起こすことがあるからだ。
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