良くない変化は見逃すな

 大昔、『8時だヨ! 全員集合』という高視聴率のお化け番組があった。そのコントの中で、志村けんと研ナオコが貧しい夫婦を演じた次のような場面があった。



志村:「ただいまー メシは?」

研 :「おかえりー ごはんこれから作るの」

志村:「何、メシ作ってないだって? オレはね、報道関係の仕事なの、報道関係! ハードなんだから、疲れて帰ってくる旦那のためにメシくらい作っておけよ」

研 :「アンタね、えらそうに報道関係って言うけど新聞配達でしょう。新聞配達のどこが報道関係なのよ!」



 当時、ただウケるだけで誰も問題に思わない感覚だった。これがもし今、ゴールデン帯の時間に放送でもされたら、「職業差別」「新聞配達も立派な仕事。なんか下に見ている」「新聞配達をしてくださっている人に謝れ」なんて言ってくるクレーマーが出るんだろうな。

 もちろん、実際にクレームをつける人は一部だろう。でも見逃してはいけないのは、TV局に電話したりSNSに批判を上げるなど実際の行動はしなくても、「心の中で思った」でしょ。あ、これ職業差別だよな、って。これが昔なら、その発想すら出なかったのである。今とは別の面でたいへんだったけれど、昭和はなんともおおらかな時代だった。

 ちなみにイエス・キリストはこのように言っている。



●情欲をもって女を見る者は、その心の中ですでに女を犯したのである。


 → 心の中で思ったのは、実行したのとそう変わらない(実行してしまったのは、様々な条件がものすごい確率で整ってしまったという特殊性のせいでもあり、実行しない人のほうが人として上等で優れているというのは的外れ。似たり寄ったり)



 つまり、無理にひねり出すことなく心の中で自然と湧いて出たら、実際に言わないだけであなたもクレーマーなのだ。世間では良く「ノイジーマイノリティー」という言葉を使って、うるさく目立つ人は一部にすぎずその人たちの声が大きいだけで、実際のクレーマーは少ないという理屈を言う人がいる。だから目くじらてて「バッシング社会」と嘆く必要はないと。

 いや、心の中で思うならやっぱりあなたはクレーマーなのだ。



 今の世の中、筆者の目からしたら「細かいことにこだわりすぎ」。

 それがいい方に働いているなら何も言わないが、かえって裏目に出ているというか、社会を後退させかねないほどに「よいほうに生かせていない」。

 ならば、今こそ見つめなおす時だ。昔より倫理的にうるさくなったが、それで社会がよくなったかと言えば否である。昔のTV番組では女性のヌードはたびたび当たり前のように登場したが、今では深夜帯ですら見なくなった。そこまで規制した結果世の中が性的に健全になったかと言えば、そんなもの変わりはしない。



●今の社会、実は何も効果がないのに表向き「いいことやっている」という自己満足的政策が多すぎる。実効性がないものは厳しくやめるなりやり方を改善するなりするべき。



 たとえば冒頭の「新聞配達は報道関係じゃない」発言。

 コントの流れを見れば、あの当時の時代と社会意識の背景を加味すれば「言葉上はアレだが見下す意図はない」ということは感じ取れる。当時はそれができる人が多かったから問題にならなかった。本当にバカにしているのかただの冗談なのか、誰にでもわかったからだ。

 でも今の時代、「その加減すら自分で分からない」ような人が出てきたのだ。そういう人は、文脈や非言語的情報(表情や口調、仕草)などから言葉を越えた奥の気持ちを察することができない。上澄みの言葉に囚われるので、やたらただの言葉狩りのようなことになる。もっと議論すべき、考えるべきことはたくさんあるのに、おかしな方向性で「生真面目」になってしまったのが令和を生きる日本人なのだ。



 はっきり言って、時代は全体的に良いか悪いかで言うと悪い方に進んでいる。

 老人が「今どきの若いもんは」的に、ダメ出しをすることがある。それに対して「その老人だって、若い頃はそのまたおじいちゃんから今どきの若いもんは、って言われていたはず」という理屈を出してきて、そう目くじらたてなさんな、と言う。お互い様ではないか、と。



●そういう言い訳をして、明らかにダメなことから逃げるな。



 問題は問題として、小理屈こねずに素直に認めて、改善しろ。

 確かに、「歴史は繰り返す」ということはある。でもこの場合の歴史とは数百年単位での史観であって、たかだか十年や二十年の時代の流れなどには適応されない。だから、結局いつの世代(時代)もおんなじなのさ、という理屈はただの言い訳であり、自分が問題に向き合わない口実なのだ。これでいいじゃん、という。

 今日もネットニュースを見ると「言葉狩り」の多さに辟易とする。どこの芸能人がこう言った、これは差別ではないのか、謝れ。

 もちろん、本当に問題のある言葉もある。だから私たちはより心のアンテナを磨いて、「その言葉は本当に責められるべきものか、スルーしてもよいものか」を判別できる人間でありたいものだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る