モニタリングじゃないのにモニタリング

 海外の有名俳優、キアヌ・リーブスにはその人柄の良さが伝わってくる逸話が多い。人柄の良さ、とはまた定義が何なのか実に曖昧な言葉を使って申し訳ないが、そうとしか言いようがないのだ。

 キアヌがたまたま宿泊していたホテルでバーに行くと、キアヌのファンの男性がいて会話になった。そこで知ったのは、この男性が一週間後に同じホテルで結婚式を挙げるのだ、ということ。

 男性は冗談交じりに「キアヌさんも式に来てくださいよ~」と言ってみたら、キアヌも似たノリで「そうだね、来ようか」と応じた。この時は二人ともバーでアルコールが入った状態であったので、後日男性が落ち着いて考えた時に「あれは僕に調子を合わせてくれただけで、実際にはこないんじゃないか」と考えた。

 しかし当日。新婦が「お客様が外に来ている」と告げられ出てみると、そこにはキアヌの姿が! 新郎から「こないだホテルでキアヌとこんなことがあった」という話は聞いていたが、新郎と同じで「本当に来るとは思っていなかった」。

 主役の新郎新婦も式の参列者もキアヌにはビックリ! 彼は「仕事の長いフライトのあとなんで長居はできませんが」と言いながらも、誰に対しても気さくに応対し、ツーショット撮影にも笑顔で応じたということだ。この新婚の二人には、忘れられない結婚式の思い出となったことだろう。



 日本では「ニンゲン観察バラエティ モニタリング 」という番組があり、芸能人が一般人と触れ合う様子を放送し好評を博している。筆者も好きで見ている番組だ。

 でもこれは、基本的に芸能人たちは「そうすることが仕事として依頼されたから」やっているのである。人にもよるとは思うが、仕事でないならそんなことは自分からはしない、という人のほうが多いだろう。変装したりサングラスをかけたり(コロナ禍だからマスクは誰でもするよね)というのは、できたら「一般人に見つかってやいやい騒がれたり、せっかくのプライベートを邪魔されたくない」と思う気持ちの表れだろう。

 それよりも根本的な問題がある。一定以上の知名度を得、VIP待遇になれてしまうと「その他大勢の有象無象と自分は違うのだ」という無意識化の区別が生じる。人は時としてそれを「見下し」と呼ぶ。もちろん有名人は大衆に好かれることでカネになるので、表向きフレンドリーだがホンネは別であることが多い。

 モニタリングに出演する芸能人が、皆一般人と触れ合うのが大好きなわけがない。番組見てたら微笑ましくて「この人いい人だな」と思えるが、彼らは仕事だからやっているのだということも覚えておいた方がいい視点である。



 筆者は、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に一年半ほど勤務していたことがある。パーク内の色んな所でショーをして回る芸人さんのマネージャー的なことをやっていたのだが、当時私は若い女性の駆け出しアイドルユニットの担当をしていた。平日はそれほどの混雑ではないのだが、これが土日や子どもの学校が長期休みの時期になると、人が殺到する。

 普段、そのアイドルの卵たちのショーが終わると、舞台のそぐそばに専用の車が横付けしてあって、すぐさま乗り込むことで「客に異様に近寄られてトラブルになる」ことを避けるのが常であった。だが、ゴールデンウィークのある日のこと、たまたま車の機械部分に故障が生じ、その日だけ車を使えなくなった。

 さぁ大変だ。その日だけは、シンガーの女の子たちを私も含めたスタッフたちが壁となって「押さないでください!」と立ちはだかったのだが、それにも限界があった。当時の彼女らはパーク内限定とはいえそこそこ人気があって、案の定もみくちゃになった。

 大変な思いをして関係者だけが入れるエリアまで戻ってきた時に、女の子の一人がこう言っていたことを今でも覚えている。「まるでいっぱしの芸能人みたいな体験ができました」

 もちろん、彼女らは駆け出しなので、そういう体験は新鮮なので迷惑に思うよりもうれしかったというのが本当だろう。だがこれが慣れっこになって、上へ行きすぎるとただの迷惑としか思わないだろう。



 まぁ、同じ芸能人でも若いきれいな女性と男性とでは違うということも考慮しないといけないだろうが、総じて実際の一般人と触れ合うのはストレスである。一般人には彼らの映る映像・雑誌を見てそっちで好きになってくれればいいのであって、必要がないのに(仕事でもないのに)実際を見せるのは気が進まないし面倒、というケースが多いだろう。

 何か非日常が一般人を襲えば「これってモニタリングですか?」と口にする人も多い。逆を言えば「モニタリングくらいでしか、違う世界に住んでいる有名芸能人が下界に降りてくる機会がない」ということではないか。

 そこへいくと、キアヌ・リーヴスは仕事でもないのに(モニタリングという番組もないのに)モニタリング状態になってしまっているところがすごい。映画「マトリックス」シリーズの出演で、そのギャラを関係者全員に配ってしまったというエピソードもあると聞いた。それだけ彼にとって俳優とはお金を儲けて生計を立てるということ以上に、使命であり血であり自分を最高に生かせる「役割」であって、それに携われるだけで幸せなんだろうなぁ。だから、必要以上の富は皆で分かち合って喜ぼう、なんてことを自然に思えるんだろう。



 誰もがキアヌみたくなれとは言わない。彼はあまりにもそれが自然で、そういうキャラだから。マネをするようなものでもないから。たとえ彼ほどに異常に「気さく」でなくてもいいから、どんな立場であれ同じ人間であり、なんら違いはないということ・そして自分の今があるのはこうした人々の支えや応援があってこそのものである、ということを忘れないで活動していただきたい。

 筆者も、境遇や報酬や立場がどう、ではなくただ書き手(話し手)として喜びをもってやることができているかを折に触れて自問自答している。そして読者(視聴者)からの質問にも、真摯に答えたい。ただ私の場合、時折厳しいこと言っちゃうけどね! そこは性分(特にうしろの百太郎の)なものでご容赦を。

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