使徒、襲来

 とある少子化問題について議論する討論番組で、大学教授のコメンテーターが「少子化にはエンターテイメント(以下エンタメと略す)の発展が原因にあるのでは」という少々大胆な説をぶち上げた。

 そこに参加していた少子化担当大臣は「子どもを持ちたくても持てない状況がある。そこを、一人ひとりが自己実現でき、子どもを欲しいと思えばもてる社会を作っていくことが大事だと考えています」というしごくまっとうな意見を言ったが、教授は納得できず噛みつく。

「それは疑問です。お金や仕事の忙しさの問題、キャリアの問題などそういったことさえ解決すれば皆子どもを生もうとするだろうと考えるが、それは甘い。現代は、百年ほど前よりもすごく豊かになっている。(本当の意味で豊かかどうかは別として)色々な刺激があり、ゲームや数えきれない趣味の選択肢があり、なによりスマホがある。エンタメの充実が、子を産み育てることしか本分がない動物としての人間を変えてしまってはいないだろうか?」

 それに対して大臣はまたも正論で返す。

「指摘していることは一理あるが、子どもを持ち育てることは苦労もあるがこの上ない喜びだという声も絶えない。色々あっても、結局は子どもを持ちたいという人間本来の根源的欲求は、社会がどう変わろうが変わらないことに期待できるのでは」

 それでも教授はやはり納得しない。

「人間の子どもの可愛さは進化しないが、エンタメはどんどん進化する。もしかしたら人類は、子どもも増やさずスマホから顔も上げないまま滅びていくのではないかとすら思えてきた」



 多少のツッコミどころはあるが、筆者はこの教授の言うことは一見乱暴そうで実は非常に大事なことを指摘していると感じた。動物は、ハッキリいって狩り(採集)・食事・睡眠・繁殖(交尾)・子育てというこの5つしかすることがない。一日24時間、寿命が来るまでそれしかない。その中でも特に、種として繁殖は重大行為である。逆に言うと、それしか「大事」なことがないというシンプルさがあるので、人間が環境破壊したり追い詰めたりと悪ささえしなければ、少子化問題など動物たちの世界の中ではまず起こらない。生き物としての感覚に忠実だから。

 しかし。人間には理性(知性)がある。人類はこれをギフトとして(動物よりも優れた存在であることの証明として)好意的に「ありがたい」と考える。ただ、うまく使えば確かに神からの贈り物と言えるが、その理性のせいで繁殖行為に対する後ろ向きな捉え方・異性の好き嫌いの激しさ(そこに経済力もからんでくる)・先ほどから言っている子育てより魅力的な「刺激」の数々。子育てする膨大な時間を好きなことに使える、というのも深く考えさえしなければ魅力的な生き方のひとつに見える。

 とにかく、その下手に与えられた(しかもうまく使いこなせてない)知性のせいで、生物としては落第点が付きかけているのが人間だ。



 これでは、そのうちに『使徒』の襲来がある。

 使徒と言えば、アニメ新世紀エヴァンゲリオンに出てくる、人類を苦しめる怪物だ。だが実はあれは怪物ではない。実際、作者もそれを「使徒」と名付けているではないか。使徒は、ある使命を持ちただそれに忠実な天の使いである。



●使徒は、人類へのメッセンジャーである。上から見て、せっかくのゲームなのに「それほど楽しそうに見えない」時に、お前らそれをまだ続ける気なの? こっちはもうお腹いっぱいなんだけど。もう少し楽しませてくれる展開じゃないなら、もうやめにしてリセットしてもらったほうがいいんだけど。

 お前らは放っておいたらダラダラ現状維持しそうだから、背中を押すやつを使者として送るね。それに対応するお前らを見れば、本気で生きたいのかどうか分かるし。打つ手がなく滅びる程度なら、終わっていいと思うし!



 ミクロ的視点では、個人の生を脅かす破壊者だが、天的には「黒船来航」程度のことである。長く惰性で続いた状況を、自身では変えられなさそうなので外部からゲームチェンジャーを派遣されるという干渉を受けるわけだ。

 現代の社会情勢・国際情勢は、せっかくの二度にわたる世界大戦の経験を踏まえた反省・平和への希求の度合いも薄れ、刹那的短絡的自己中心的になってきている。

 エヴァンゲリオンをつくった庵野監督が制作した『巨神兵・東京に現る』という短編作品では、巨神兵が現れた時人々は昔の怪獣映画のように逃げ惑うわけでなく、まずスマホを向けて撮影を始めてしまう描写が、笑えもしまた悲しくもある。

 まずなんでもスマホを向ける・そして人から話しかけられてもすぐにはスマホから顔を上げないような人間。世の中の問題は何か明らかなのに、忖度や自己保身からその分かり切った問題にあえて本気で取り組まない人類。(大多数には取り組まないというよりどうしようもない状況)確かに、「もっと人類歴史続けるの?」と問われても仕方がない。



 先ほどの大学教授は、エンタメが人類を滅ぼすと言った。

 もちろんエンタメだけではないが、それを含んだ複合的要素によりいずれ、人類は「本当に生き続けたいのか。そうなら本気を見せてみろ」という状況に遭遇することになる。使徒襲来はいつかきっとある。その使徒は、アニメのような分かりやすい破壊者ではなく天災や経済破綻・飢餓や戦争という形で訪れるかもしれない。

 これは警告や脅しではなく、皆さん本当に生き物としても知的生命としても、両方をエンジョイして生きたいですか? 本気だと言うなら今をどう変えていきますか? という問いかけなのだ。

 少なくとも、使徒が来た時にスマホを向けるような人間でいることはやめよう、と私は思う。その映像をシェアして、誰が見る? その世界が存続できないなら、いいねをもらってそれが何になる? 現代人のスマホ(SNS)脳は、そこの考え方がマヒして、現実乖離してる状態である。あなたは人間ではあるがそれ以前に生物だということを思い出すことだ。その覚醒の輪が広がればと願う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る