意識は大事、だから何?

 今朝、あるネット記事が私の興味を惹いた。

『世界中の科学者・哲学者たちが「意識が重要」と語り始めた根本的理由』

『人間の心に、意識が生まれるその瞬間』

 それは是非聞きたいずら! と期待を持って読んでみたのだが、結局政治家の答弁のようにけむに巻かれて終わった。日本語として何が書いてあるのかも分かりづらかった。アントニオ・ダマシオという大学教授のお言葉を紹介したもののようだが、結局意識を生んだものは何? ってなって予告編だけがものすごくいい映画のようだ。



「意識が大事だよね」ってのは分かる。うん、その通りだ。

 でも、だから何? って話だよね。

 空気を吸うことは大事だよね、ってのとどこが違うのだろう? 確かに大事だよね、でその話題はそこで終わってしまう。なぜならそれ以上に話の深まりが期待できないからだ。

 意識が大事だ、と思えたその人はその後外で困った人や助けを必要としている人がいたら手を差し伸べられるような人になる、ということだと考えていいのか?



●意識が大事、という議論の行きつく先は「助け合い・博愛」でないとただのごまかしである。そう主張する人間の行動が前後でそう変わらないなら(困っている人の横を忙しいから関りになりたくないからと素通りするなら)、本当の意味で意識が大事だとは思っていない証拠である。



 ~が大事と声高に主張する人に限って、実は本当に大事だとは思ってないんだよね。商売ネタ? 名声を得て食っていくためには、「私は意識が生まれるメカニズムにせまった!」と言うほうが宣伝効果が高いのかもしれない。

 私は、意識がどうのように生じたかとかに興味はない。実際知らない。



●賢者とは何でも知っている者のことではない。何を知っておくべきで、何が知らなくてもいいことかの線引きができる者のことである。



 私の流儀からすると、意識がなぜ生じたのかなど知らなくていいカテゴリーに入る。霊界のこととか、多次元宇宙のこととか、非二元(空)のこととか、そういうものは人生シナリオ上知る羽目になってしまった人を除けば、まず知らないほうがいいことである。

 この世界は、そういうことを知らなくてもエンジョイできる設計になっている。いや、むしろ人によっては余計なスピリチュアル知識がその人の手かせ足かせになってしまう場合もある。

 意識が重要、という話を論文で発表できたりそれに「んだんだ」と同調するスピリチュアル人間よりも、そんなこと考えてなくても大荷物で信号を渡れないおばあさんに一緒に渡ってあげられるような実行力を持った人のほうが数倍価値があると思うが、いかがだろうか。

 意識が重要、と思うだけでは何にもなっていないのである。重要なら、それを踏まえて「あなたはどう生きるのか」にまで革命が及ばなければただの子どもの遊びだ。

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