スピリチュアルを語りたい人に求められる資質

『響 〜小説家になる方法〜』というマンガ作品がある。平手友梨奈主演で実写映画化もされている。映画の内容は、コミック全13巻中の6巻程度までの再現にすぎないが、実写化としては合格点だと筆者は評価している。興味の湧いた方は、マンガか映画どちらでもいいので触れてみることをオススメする。



 鮎喰あくい ひびきという名の主人公がとにかく無茶苦茶なのだ。

 この場合、無茶苦茶というのは誉め言葉である。いい言い方をすれば「よくよく考えればよくないことなのに、常識ではそれでよいとされていることを平然と破壊する」ということだ。この作品のストーリーを紹介することはあえてしないが、この響という主人公の人となりがうかがい知れるエピソードを通して、文章に限らず何かを他者に「発信」してプロとしてお金をもらおうとする人間には備えてほしい資質について考えてみよう。



●ただ書きたくて、書ければ基本それでいい。売れるかどうかは副産物



 響は、自身が書き上げた小説『お伽の庭』という小説を、出版社の新人賞に応募する。ただそれはよくある「小説家として身を立てよう」という動機ではなく「他人の感想が聞きたかっただけ」。要するに、出版界で本を出す仕事をしている人間が面白いと思えるものなかどうかが知りたかっただけで、応募作品には連絡先すら書いていない。

 連絡先すら書いていない原稿は捨て置かれかけたが、これに目を通した編集員が「傑作だ」と確信し、作者の名前だけを頼りにどうにか公表にこぎつけようと奔走しだす。

 スピリチュアルメッセンジャーの基本姿勢は、どんな形であれ「伝えられれば良い」である。その上で人気が出、世に出るような流れになるのは構わない。ただ、それがなかったらやる気が出ないとか張り合いがないとか、それならそれはあなたの天職ではない。天職とは、それをすること自体に最大の目的があり、売れるか売れないかはオマケ程度に考える。現に響には名声やオカネなどどうでもよかった。



●忖度・妥協しない。その一方でよいものはちゃんと評価する



 響は売れ続けるために自身の本当に書きたいことが書けなくなっていた先輩の有名作家に「あなたつまらない」と言い放ち、新人賞受賞時、態度が横柄で傲慢な同期受賞者を殴る。

 親が大作家であるやはり小説家志望のクラスメイトが本を出版して話題になるも、プレッシャーの結果他人の批評を気にしすぎて書いたその作品をくだらないと正直に酷評。二人の仲は険悪になるが、やがて響の本当の良さに気付いたクラスメイトは指摘された部分を認めて仲直りする。

 小説家になりたくて何度も賞に応募し続けるも芽が出ない山本という男(映画では小栗旬が演じている)がいる。今度賞を取れなければあきらめようと考えていた。というか、生きること自体をやめようと電車の迫る線路の中にフラフラ入ろうとする。

 しかし、マイナーな山本の本を読んだことのある響は、彼の作品を評価していた。偶然山本の自殺現場に居合わせた響は、身を挺して電車を止め、自殺を食い止める。

 人助けをしたとはいえ故意に電車を止めたことで億の賠償金がかかると知るが、芥川賞・直木賞同時受賞でもらえるお金を調べて「じゃあ大丈夫だ」と実にあっけらかんとしている。

 常に、自身の基準に自信をもって正直に世界を評価すること。言っていることとは関係なく相手の人気などを意識して持ち上げたりすり寄っていくことはしない。



 もちろん、上記のような心構えを持てたら成功するとかはない。一流と認めらるかどうかも怪しい。というか、このマンガのようにはたいていはならないだろう。この世界は「本当に良いものは良い」という評価を貫けるほどには健康ではない。それ以外のものが作品そのもの以上に絡んでくる社会であることは疑いようがない。

 たとえば筆者は、自身の書いたものを小説投稿サイトで賞に応募したことがあった。内容に自信はあったが、私ががっかりしたのは編集部が全部の応募作品にちゃんと目を通して決めるのではなく「その投稿作品のネット上での閲覧数(人気度)が採点に加味される」という不思議な条件があった。具体的に書かないが、そもそもPVのないのは審査の対象にもならない、というのを匂わせている。以来、そういう賞には応募しなくなった。(てか今はスピリチュアルメッセージ一本)

 無名なら、どんなに良いものを書いても誰も目にすらしない。時間を有効に使いたい、ハズレを引きたくない多数はランキング上位から読むからね! もちろんこのマンガのように、できた編集者の目に留まり本人が世渡りベタでも引き上げてもらえるケースはないとは言わないがまれであろう。でも響はそんなことほんとうにどうでもいいみたいだけど!



 私は響ほどではない。気に入らなくても殴ったり蹴ったりはしない(笑)。

 ただ、一途に守ってきたものはある。お金が欲しくても、ずっと自分に課してきた決め事がある。



●お金になる話や自分が公に名前が出る仕事の話は、絶対に自分からは求めたり行動を起こしたりはしない。すべて誰かから提案されたり求められたりしてからしか行動しない。



 私はかつて無名の状態から一躍、本が出せたり講演で全国を回った時期があった。それらすべて、依頼されたものをこなしただけで、一度も自分からやりたいとか企画してくれと頼んだことはない。

 世から消える過程でも、危機感を感じて誰かに頼ったり、売れるよう画策したことはない。ニーズがないなら、はいそうですか、とただ書き続けたし動画配信し続けてきた。それがたとえ何にもつながらないとしても。

 響は言う。「私は書きたいから書く。そしてこれからも書き続ける」

 それに尽きるのだ。ある境地にまで行った物書き(話し手)は、書くことそのものが目的で、売れるとか稼げるということは前者ほどの地位を占めない。この世に少なくないのは、売れることや稼ぐことが一番の目的で、書くことはその足掛かり(手段)に過ぎない。逆に売れないなら書く意味がない(誰も評価してくれないならヤメだヤメ!)とさえ考えれてしまう。

 私は、あることが本当にあなたに授けられた天からの使命(ギフト)かどうかを知るためのふたつの問いがあると思う。



①誰も評価してくれなくても(小説なら、極端な話誰もそれを読まなくても)それをしたいですか?



②誰に反対されても、その道を行きたいですか?

 たとえば小説家なら、「お前には無理」「そんなのは世に受けない」とか、親兄弟親戚知人から何を言われようが、書くことがやめられないですか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る