ルパン三世はなぜクラリスを連れて行かなかったのか

 これは、とあるアメリカの、小さなキリスト教会の牧師のお話である。

(ちなみに実話です)

 その教会の建物は古く、修繕が必要な状況であった。そして牧師は良くも悪くも「いい人」であったので、献金は信者が喜ぶために後先考えず使ってしまう人であった。滅私奉公をしてしまう江戸時代の武士のようなタイプの人物だったため、結果牧師は自分と自分の家族の暮らし向きが貧しかった。

 ただ、人がいいというところでは得をする人であった。そんな牧師の人柄を慕う人は少なくなく、ある日のこと教会の信者が百万円(一応日本円のだいたいの価値に換算してます)という大金を教会に持ってきた。

 これを献金しますが、どうか牧師様自身やそのご家族のために役立ててほしい、と強くお願いをした。この信者も、牧師が自分じゃなく教会や信者のためにばかりお金を使うことに胸を痛めていたからだ。少しは自身(家族)の喜びや幸せのためにも使ってほしい一心から、そう言ったのだった。



 しかし。この牧師の生真面目さ・頑固さは手ごわかった。

「いや、そういうわけにはまいりません! ここは神の家です。すべては神様のため、神を崇める教会のために使われるべきです! この献金は、教会の建物修繕のために使わせていただきます」

 その言葉通り、百万円は教会の建物の壁面修繕と塗装、雨漏りの修繕に全額消えていった。しかしその牧師はのちに、自分の息子に次のような告白をしている。

「あの時な。百万円を献金箱に入れて、底に当たってゴトリという音がした時、なんだか得も言われぬ嫌な気分になったよ。頭では神様のため教会のため正しい使い方をした、と思えていたんだが、やっぱり何かが間違っていたな。それが最善だったのだ、と100%思えない自分がいたことは否定できないんだ」



 今はだいぶ状況が落ち着いてきたが、コロナ禍がたいへんで報道もそれ一色だった折、読者の方からこういう質問をいただいた。私は個人的にコロナワクチンに関しては反対の考えなんですが、そのことを周囲には言えずにいます。おそらく、自分がかわいいんでしょうね。ホンネを言うことで、周囲に波風が立って自分が不利益を被るのが怖いからだと思います。



●ホンネで思っていることを、対立を恐れて言えないことは弱さなのでしょうか?



 これが、質問者の聞きたいことのキモである。

 対する筆者の答えは、実にシンプルである。



●いや、ホンネで思っていることを、対立を恐れて言えないことは弱さだと考え、本当は言いたくないのに頑張って言うとしたら、それは偉いどころかサイテーです。

 気持ちがついていかないのに、正しいからと従ってしまう行為こそが弱さです。



 冒頭の、教会の牧師の話を思い出してみよう。

 牧師だって人間だ。生真面目さと使命感のゆえに、どうしても教会と信者のためにお金を使ってしまうが、心のどこかには自分もたまには気晴らしをしたい・奥さんにいいものを買ってあげたい・子どもたちをたまには遊園地とか旅行に連れて行ってあげたい、とかあったはずなのだ。いい人であるということは、同時によき父親でもあっただろうから。

 なのに、百万円という金を手にした時、そりゃ全額自由に使えとまでは言わないが、例えば百万円の内70万は建物修繕に充てて、残り30万はありがたくプライベートなの幸せのために使わせていただく、くらいしてもよかったのだ。

 それを、牧師としてはこれ以上正しいやり方はない、というくらいの方法を無理して選んでしまったのだ。全額教会のため・自分のためには1円たりとも使わない、と。結果、牧師は神に褒められて精神的に充足、どころか訳の分からないモヤモヤに悩まされ続ける、という百万円全額神にささげた割には見合わないオチとなった。

 牧師は、少しくらい自分と自分の家族のために使えばよかったのだ。そうしたい思いは否定できないものとして実はあったのに、それを認める勇気がなかった。



 コロナ禍において、世の主流・常識(良いか悪いか・正しいか正しくないかは別として)では、ちゃんとコロナワクチンを打つことは良いことであり、最終的には個人の判断とはいえ、一人でも多くの人がちゃんと接種することが推奨される空気が支配していた。

 だから、あなたが普通の一般人だと仮定して、ワクチンを打ちたくないし子どもにも打たせたくない、という立場を親や友人・地域の人に堂々と明かすのは、はコロナ禍真っ盛りな時代にあっては『白い目』で見られることだっただろう。それによって生じる不利益は無視できないものがあるだろう。

 一番大事なのは、あなたとあなたの家族が日々安全かつ喜びをもって生きられることである。正しいからといって、その信念を貫き通すためにやせ我慢をして、自分のみならず家族まで巻き込む、というのはアホである。

 そんな立場を堂々と明かすことに意味があるのは、一部精神的に突き抜けてしまったような人や、活動家(逆にそれを推進しようとする運動で利益がある人)だけである。一般人は「ホンネを言わないことは弱さだろうか」なんて思わなくていい。素直な心のまま、自分と自分の家族家族可愛さ優先でゼンゼンかまわない。あなたは坂本龍馬でもジャンヌ・ダルクでもない。使命(正しさや信念)のためにすべてを懸けなくていい。



 ただ、紛らわしく見える例はある。

 ルパン三世の「カリオストロの城」というアニメ映画がある。最後の場面でクラリスはルパンに「私も泥棒になるから、連れて行って!」と抱きつかれて懇願されてしまう。ルパンは一瞬、本当は連れていきたいが頑張ってあきらめようとしたが空いた後、連れていけないと言う。オジサンのようになっちゃだめだ、とも。

 これって、本当は一緒にいたいという素直な気持ちがあるのを知ってて、でも理屈では自分といないほうが彼女の人生にはいいという「正しさ」があって、その正しさをやせ我慢して選んでしまったんじゃ? ルパンは間違った選択をしたんじゃ?

 それはちっと違う。



●採用する本心は、一番奥にあるものを選ぶのが原則。

 この場合、ルパンは心の一番深い部分でクラリスと別れることがベストだと思っていた。一緒にいたい、というのはそれよりも浅い部分にある甘い感情であり、ルパンはそれをちゃんと分かっていた。

 だから、葛藤しているように見える間はやせ我慢を決行するための間ではなく、自分の気持ちにちゃんと整理をつけるという意味での間だったのだ。

 ルパンは「別れることが正しいから頑張って選んだ」のではなく、「別れることが最善だと心で判断できていたが、長く苦楽を共にして情が移った分、自分の甘さや弱さが別れがたくさせていることを見抜いていて、短時間で気持ちの整理をつけた」というわけなのだ。

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