オオカミと少年
皆さんはきっと、イソップ寓話の「オオカミと少年」の話を知っているだろう。「
羊飼いの少年が、退屈しのぎに「オオカミが来た!」と嘘をつく。それを聞いた大人たちは武器を持って助けに来るが、徒労に終わる。それを繰り返し、ついに本当にオオカミが来た時には少年の叫びに耳を傾ける者はいなかった。どうせまた嘘だろうと思われたからである。
有名なこのお話の教訓は、『人は嘘をつき続けると、たまに本当のことを言っても信じてもらえなくなる。常日頃から正直に生活することで、必要な時に他人から信頼と助けを得ることが出来るという教訓を示した寓話であると一般には受け取られている。』(Wikipedia より引用)
しかし筆者は、このお話は羊飼いの少年視点ではなく、村の大人たち視点で教訓を考える方が役に立つと思われる。
●誰が言っているかではなく、何を言っているかを重視しろ。
同じ言葉でも、その辺の一般人がブログやSNSで発信しても何も反響はないが、有名人や人気アイドルが言うとものすごい数のいいねがつく。
賢者テラが嫌いな人は、私の言うことは全部きらいになる。私が一般の感覚に照らしても別におかしくない意見を述べても、私が言っているという一点のゆえに受け入れられず、何とかして批判したくなる。
オオカミと少年の話で言えば、確かに大人たちは少年に騙された。そこだけ見れば被害者だ。大人たちがバカにされたことを不服として、もう少年の声になど耳を傾けるものか、と思っても責められない。
責められないが、損はするであろう。村は、そう広くはないだろう。襲われたのは少年の羊であり自業自得だろうが、放っておけばオオカミはやがて別の家畜にも牙を向ける。普通に考えたら少年は羊の所有者というわけでもなく、雇われて世話をしていると考えるのが自然だ。ならば、その所有者である大人が損害を被る。
この世界における、すべてのことはメッセージである。
この世は、あなたへの有益なメッセージで溢れているのだ。あなたに受け取る気さえあれば。この世界は気付きの宝庫だ。
でもあなたが、いろいろと「コレはいや」「この人のことは絶対信用しない」などと色々な評価を付けることで、耳を傾けるもんかという前提条件を作ってしまう場合がある。あなたに好き嫌いが多ければ多いほど、あなたは宇宙からのメッセージに関してかなり限定した量・偏った質しか受け取らなくなる。
確かに、二度もバカにされてなお三度目も信じてやる義理はない。ないが、プライドとか腹立ちというところを我慢して、それでも「ウソでもともと。本当だったらタイヘンだし」と行ってあげれば、万事うまくいったのだ。少年だって、その時助けてもらえればさすがに目が覚めたであろうし。オオカミを撃退できたら村の羊も守れて、まさに一石二鳥である。
●嘘つきをまさかの時に助けることができ、彼が反省し生まれ変わるのを見れる可能性と、彼が死んで「ざまぁ。自業自得」と溜飲をさげる可能性のどっちがいいですか?
前者のほうは、損をすると言ってもそう大したことではない。何よりも人にバカにされるのは我慢ならん、という人はもうどうしようもないが。だが後者は、可能性によっては少年だけでなく、村全体に関わる大被害になる可能性もあるわけだ。
だから、村の大人たち視点での教訓は「たとえウソの可能性があっても、オオカミが来たというその言葉自体を素直に聞いてみることが必要だった。言葉自体ではなく、あの嘘つきの少年の言うことだ、と話者の評価のほうを優先させたことが失敗だった」。
皆さんも多分生活の中で、「首相の言うことは信用できない」「おじいちゃんの言うことは話半分に聞かないと」「あのおばさんの話はかなりの部分デマだ」などと、言葉自体を先入観なしに聞こうというよりは、最初から防御フィルターを設定して、言葉を聞く前から無視する姿勢を取っていることがあるはずだ。
あなたがその言葉をまず信じることで被る損は、ちょっとした労力やささやかなプライド程度なんだから。信じなかった場合、確率としては低いがまれにその言葉が当たっていた場合、あなたは前者とは比較にならない大損害を被ることになるだろう。
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