Q&Aのコーナー第七十八回「対岸の火事にはしたくないんですが」

Q.


 ロシアのウクライナ侵攻をめぐって、色々な報道や意見が世にあふれています。

 でも、このある意味平和ボケした日本では、反戦にしてもいざという時戦えるようにという意見にしても、薄っぺらいものを感じます。

 私はこの件に関して、対岸の火事でいるのは嫌なのです。私たち日本人が少しでも自分事として見るために、何ができるでしょうか?



A.


 できることはなにもありません。

 もちろん、日本に居ながらにしていろいろと調べたりはできますが、現地に身を置いている人の爪の垢ほども分かることはありません。

 大事なのは、その「爪の垢ほども分かっていない」ということの自覚です。そこから謙虚さが生まれ、あなたの人生のバランスが取れていきます。

 むしろ怖いのは「周囲は自分で調べようともしないバカばかりだが、少なくとも私はこれだけ努力して人より分かっている」と思うことです。人は悪気なく無意識にこういった優越感情をもつことがありますが、嫌な言葉ではこれを「おごり」と言います。

 一歩「対岸の火事でいない努力」の仕方を誤ると、かえってあなたの害になることをお忘れなく。 



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 筆者のあまり好きでない言葉のひとつに、「気持ちは分かるよ。でも……」というのがある。でも、これは日本語としておかしい。



●本当に100%相手の気持ちが分かったのなら、そのあとに続く「でも」はない。



 でも、というのは本当には相手の立場に立ててない、ということの証明だ。あなたもその相手と同じ言動や行動になるはずで、でもどうだなんて言えるはずがない。相手はその気持ちだからこそ、あなたが「でも」と言いたいその反応をしたわけなのだから。

 ゆえに、でもと言えてしまうのは「相手の気持ちそのごとくではなく、あくまでもあなたの信念や価値基準に適合する無難な範囲でしか、相手に寄り添おうとしてない」ということ。気持ちが分かると言いながら、結局は自分の思いや意見を押し付けるという行為になっている。

 たとえば、相手がものを盗むとか人を傷つけるとか、明らかに他者を傷つけるような行為をする恐れが相手にあるとしよう。確かに、そういう時は何を言っても止めるべきだというのはある。でも、相手が負のエネルギーに負けそうになっている時に、対岸の火事である「こちら」が言ってはならない言葉がある。



●気持ちが分かる、と言ってはいけない。


 

 ウソつけ。あなたはゼンゼン分かっていない。

 ほとんどのケースで、「あなたの気持ちが分かる」と口にする人は格好つけである。実は、一生どう逆立ちしても分かるわけがないもののひとつが「他人の気持ち」である。

 頭の悪い人は、自分の立場に置き換えて「自分だったらこうだな」というのがその他人の反応とたまたま一致した場合に気持ちが分かる、という。それはただの推測とでも言うべきもので、本当に気持ちが分かったことにはならない。

 もちろん、相手の人生もその後起きることへの責任も全部背負うぞ! という相当の覚悟を持って「気持ちが分かる」という言葉を口にするのならかまわない。筆者は、「気持ちが分かる」という言葉を使う機会はここ一番のレアケースであってほしいのだ。そう日常で軽く使う言葉ではないのだ。



 今回のロシア侵攻という時事問題に関し、日本に住んでいてその怖さを肌で感じにくい私たちが、「これは他人事じゃない」と分かろうとする思いを否定したいわけではない。むしろ、それはよいことだ。

 ただし、筆者は今の日本人の陥りやすいある傾向を見て「気を付けないと怖い副作用があるよ」と言いたいのだ。ワクチンだって、打って100%いいことづくめなんてことはないのと同じ。メリットとデメリットをはかりにかけて、メリットのほうが大きいから打つんでしょ? だから、対岸の火事でいないために情報収集するなど汗をかくことはトータル的にはよいことになるのだが、負の副作用に気を付けてほしいのだ。では、その負の副作用とは?



●自分が努力して調べ理解し、周囲より頭一つ抜きんでるということは、弱い人間にとっては「自分は人より頑張っている」「優れている」「自分はこうやって分かろうとしているのに、周囲には危機感もないバカばっかり」という優越感への誘惑となる。



 健全な範囲では、ブログやSNSで自分の人生哲学や政治的意見を投稿するという行為になる。そんなもの、テレビやラジオでコメントするような仕事をしてもないなら、身近な知人に言うだけでいいし、むしろ自分の胸の中にしまっておけばいい。

 でも、人は教えたがりである。結局、ここに関してはあなたより私のほうがよく分かってますんで、教えて進ぜますよという思いの裏返しなのだ。なので、その投稿にイイネやGoodがつくとうれしい。そら、やっぱり私は間違ってないんだと感じさせてくれるから。

 それがエスカレートして健全でなくなってくると、「義憤」というステージになる。自分と自分に賛同してくれる人はこの問題についてこれだけ理解しているのに、世間の人たちは分かってないなぁ……という段階である。

 顕著な例では極端な新興宗教や、ワクチン反対や陰謀論支持者という形で現れる。コロナ禍でマスクをつけない権利を主張して、ゆく先々で迷惑をかけワイドショーで取り上げられていた迷惑なオジサンがいたが、あんな感じだ。

 その人物を強烈に駆り立てるのが「自分は正しいことが分かっている(逆に相手が分かっていない)という信念である。



 質問者さんの心意気は、普通には立派だ。褒めこそすれ、本来悪く言うものではない。でも今回、筆者があえてこのようなことを言ったのは——



●その美しい初心が、あとあと汚れないでほしい、ずっとそのままでいてねという願い。それが私に、ちょっと厳しめのことを言わせる。



 初心忘れるべからず。

 対岸の火事でいたくない、というのは他の命に寄り添いたい、という愛からのもの。だからそれをずっと持ち続けてほしい。

 この世界でよく見られるのは、最初の心がけや出発の原点は立派なのに、あとあと色々なしがらみが絡んだり他者との関係が複雑になる過程で、結局は力関係や利害関係のほうが重要になってきてしまうという現象だ。人のために、と始めたがついには自己保身、欲望の充足とすり替わり、ついには自分が勝ち得た立場を失いたくないという恐怖からの「他者への攻撃」にまでなったりする。

 この質問者さんが、めっちゃ頑張って調べたり汗をかいたあとも、ずっとあっぱれな気持ちで他の命に寄り添い続けられるよう、陰ながら祈っている。決してダースベイダーのようにダークサイドに落ちないことを願う。

 そういうものに落ちてしまう原因だってそもそもは「愛」だったりするから。この世ゲームはなかなか難易度が高いのだ。

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