永遠

 ある剣と魔法のファンタジー世界を舞台とするTVゲームをやっていたら、神様が色々登場した。キリスト教のように、超越的な唯一絶対神というのはその世界観にはなく、人間の形をしてるし(してないのもいる)、ペラペラしゃべる。優しい、善を志向するカミサマらしいのもいれば、意地悪だったり、ヘソ曲がりだったり、悪を志向する神様もいる。

 どちらかというと、ギリシャ神話や日本の神々に近い。

 


 その世界では、神様はよほどのことがないと死なない。言い換えれば、絶対に不死ではない、ということである。かなり特殊な状況下でないと神様は殺せないので、だいたいは千年万年を生きてきている。

 神々は人間のことを『定命じょうみょうの者』と呼ぶ。決まった命しか生きれない定めの者、って意味だろう。

 だいたいにおいて、神様が人間のことをそのように呼ぶ時、寿命のある者風情が、と下に見る(バカにする)ニュアンスがある。神様にしたら、ちょっとしたことでも死ぬかよわい存在、というニュアンスもある。

 ゲームの主人公(プレイヤーが操作する)に、ある女神さまがこのように語りかけてきた。



●私は時々、あなたがた定命の者がうらやましく思うこともあるのですよ。

 永遠の命をもつ我々が、あなたがたほどに持てないものがあります。それは情熱です。人間は限りある命だからこそ、生きることに真剣なのですね。

 そのせいで我々より間違いを犯すけど、時々あなたがたのようになれたら、などとらしくないことを考えてしまうのですよ。永遠の命が無条件で即幸せ、などということはないのです。



 人間は、自分以外の立場になかなか立てない生きものである。

 人は誰も死をまぬがれない、という立場だから、不老不死とか永遠の命とか、そういうものにあこがれ、何をしてでも手に入れたいようなものになった。死ねていいなぁ、と人間をうらやましがる神様の立場など、想像もできないだろう。

 死が怖い。できたら死にたくない——。

 その恐怖が、人間を狂わせてもきたし、また生きた証を残そうという瞬間的爆発力も生んできた。だから、人はその一生の間に、ダラダラその数百倍長い時間を生きた場合にまさる功績(具体的な成果だけでなく、他者に注いだ情も含め)をあげる。



 ある覚者は、言った。

 この世界は、宇宙はなぜ生まれたか。

 それは、「無、すなわちくう(一元)への反抗」 である。

「無になりたくない。無に回帰したくない」という衝動である。消えたくない。何かでありたい、という衝動とも言える。

 何かであるためには、自他という二元システムがいる。空、あるいはワンネスでは不都合だ。それが、すべての幻想上の個々の命の根源である。



 身近に、それは感じることができよう。

 今、あるいは明日あなたが死ぬとしたら。あなたという存在がこの世界から消えて、それでも世界はあなたなしで存在し続けている——

 そう考えると、なんとなく怖い。そして虚しい感じがする。

 まれに、悟りを得たりこの世界でもう十分生きたという実感を持てる人がいる。そういう人は、死が怖くないという。で、凡人はそういう境地はスゲー、と思う。

 でも、どっちもどんぐりの背比べである。死ぬのが怖くない、というのはそう大した境地でもないということを指摘しておく。



●死ぬのが怖くない、という人はただ無意識のどこかで、「どうせ死んでもまたやる」と分かってるだけ。

(注:自暴自棄で命なんかどうなってもいい、というレベルの低いケースは論外)

 その宇宙の知恵を、始まりと終わりのサイクルの自然なことをどこかで知っている。死が怖くないのではなく、別口で安心しているだけ。



 ヘンな話だが、新しく始めるためには一度終わりにしないといけない。

 それをリニューアルしないで、ある環境設定(人物設定)のみで永遠の時を生きるなど、息が詰まる。途中、自殺したくなる衝動に駆られるだろう。でも死ねない場合、気が狂うしかない。

 先ほど紹介した覚者は、冗談まじりにこうも言っている。人間がたとえものすごい長寿を手に入れても、200年程度で自殺するだろうと。

 この世界では、不倫がよくないとされているので、生きている楽しみがないからだ。同じ妻(夫)の顔を永遠に見るくらいなら、死んだほうがマシと指摘する。

 この世界のシステムは、一定の寿命を想定してデザインされている。

 この世の枠組みがそのままで人が永遠の命だけ手に入れても、恐ろしく破綻した世界になる。法律や刑法、倫理的タブーや常識などを「長く生きても気が狂わないように変えないと大変」。



●ちなみに、この宇宙に「永遠」という属性をもつ存在はいない。

 上位次元であろうが、神や精霊であろうが(龍だろうが天使だろうが)人間との比較論で命が長いというだけで、終わりを迎えない者はいない。すべて、いつか死ぬ。

(その存在形態には必ず終わりが来る)

 死ねるのは神なんかじゃない! とあなたが言うなら、じゃあ神はいないのだ。



 知的生命というのは、人間にしても神にしてもやっかいなものだ。

 お互い、ない物ねだりをする。

 人間(定命の者)は死にたくなくて、死が怖くて永遠の命を願う。一方で神は、簡単に死なない体と永遠かと思えるほどの長い時間を持て余し、死ぬ定めの人間もいいなぁ、と思う。

 ない物ねだりをするのが、「存在というものをする命」のさがであり、また宿命なんだね。

 でも、そのない物ねだりを散々した挙句、「今の自分を受け入れる、そこに感謝する」境地に行くことが、魂の旅なんだね。静かに今の「在る」を受け止めた時に、この世界では得られるはずのない「永遠」に関するレプリカというか、ヒント(予告編?)のようなものを垣間見れるチャンスが時としてあるんだね。

 それを「悟り」と呼ぶらしいが、無理に得ようとしなくてもいいものである。



 この世界では、「無に帰りたくない」という衝動を持ち続けていさえすれば、その役割を十分に果たしていることになるから。

 それ以上にこの世界を超えた知識を分かろうとすることは、趣味の領域である。

 いや、度を越せば害になることすらあるだろう。

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