悪魔より付き合い辛いのは人間

『サウス・オブ・ヘル ~女エクソシスト マリア~』というタイトルの海外ドラマ作品がある。

 かなり前の作品だが、当時筆者が通っていたツタヤでは、大人気な「ウォーキング・デッド」や「新X-ファイル」などの陰に隠れる形で、レンタルDVDがひっそりと置かれていた。まぁ、そんなに大人気ではないなというのは分かった。

 もちろん、沢山借りられることを想定してないせいか、各巻一本ずつしか置いてなかった。だから誰か一人でも借りてたらもう待つしかないのだが、この作品だけは観察していても待てど暮らせど誰もレンタルする様子がなかった!(笑)

 ペットショップでいつまでも買われない犬猫や、誰も拾って行かない犬猫を見た時に「これはお前が飼ってあげろ……という天の声か?」と必要以上に深読みしてしまう時のように(何、そんなのはオマエだけ、って?)、筆者が借りてあげないと誰が借りるのか?という思いになった。

 キャシャーンが借りねば、誰が借りる? まるで我が子を抱えるように、このレンタルDVDを大事に抱えて、家路についたのだ。



 で、早速見たわけだが、ひとつ納得したのは「うん、これ万民受けせんわ」ということ。実際、終わり方はシーズン2へ続く!的なのにあまりに人気が盛り上がらず、最終話の8話の出来が絶望的にひどい。盛り上がるはずのラスボスとの決戦もショボく、映像的にもチープ。

 結局、シーズン2以降が作られることはなかった。

 あまりにも評判の悪い最終話は、当時普通に視聴できずitunesでダウンロードする以外に見れなかった。「オススメできないけど、どうしても結末が見たいって人のために見れるようにはしとくよ。オカネを払ってでも、というご奇特な方はどうぞ」とでも言いたげだ。

 これは見て喜ぶ人を選ぶだろうなぁ、と思った。独特のダークな雰囲気を受け入れられるかどうかと、主人公のルックスが見る側の守備範囲かどうかにかかっている。



 また「エクソシスト」というタイトルにも注意が必要だ。

 往年の名作「エクソシスト」や、その亜流のだいたいの作品に共通するのは、エクソシストが善なる側(神・光)の立場であることだ。聖職者であり、神の力や信仰の力でもって、不浄を清め、邪を払う。

 だが、この作品に関しては違い、主人公のマリアは「悪魔の力で悪魔を制す」。

 彼女の中には、アビゲイルという名の強力な悪魔が棲んでおり、その悪魔が他の「弱い悪魔を食う」。それによって、悪魔退治をしている。

 決して神対悪魔、光対闇という構図ではなく、悪魔対悪魔という感じで、この作品において神様は非常に影が薄い。(ってか何もしない)

 アビゲイルは決して人間の味方というわけではなく、宿主であるマリアとたまたま利害が一致したから協力しているだけである。



 この作品で、悪魔という立場の登場人物(人物と言っていいのか?)のアビゲイルを観察していると、面白い。悪魔とは何か、ということを改めて気付かせてくれる。

 実は、そんなものいない。厳密に言うと、いるにはいるが人間が考えているような存在ではない。

 陰陽の二極のグレーゾーンを行き来して生きているのが人間である。残念だが、存在自体の特性の制限により、その両極にはなることができない。触れられない。

 なれないし仮にいても認知できないので、もしそんなものがいたら? と勝手に想像する。

 だから、悪魔とは「完全なる悪がいるのではないか?」という想像のもとに生み出されたイメージキャラである。架空の「究極の悪」であり、それはバットマンのジョーカーに通じるところがある。(特にダーク・ナイト版のジョーカー)

 神も同じことで、自らの内なる良心(善・光)の完全なるイメージの投影として、そんな存在がどこかにいると考えた。これまた、実在しないイメージキャラである。



 今実在しないと言ったが、いる。

(一体どっちやねん! と言いたいだろうがまぁ待て)

 例えばその昔、昭和の人気女性アイドルは神聖視され、「トイレにもいかない」というイメージで見られていた時代があったそうな。でも、実際の生身のその人は、トイレにも行くしファンが見たらげんなりする行為も陰でしている。だから、そのアイドルは人として実在はするが、ファンがイメージしているその幻想としての「アイドル」は存在しない。例えるとそんな感じ。

 人類が考えてきた「悪魔」はいないが、その正体は異星人や他次元の存在を感知できた者が、価値観や認識流儀の違う、理解不能なそれを悪魔と「誤解」したものと思われる。比較して自分たちよりも極端に「残虐・冷酷」と見えたものは悪魔とされ、自分たちが信じられないくらい「清い、優しい、善」であるものは神だ、と見えて崇めたのかもしれない。

 わぉ、じゃあイエス・キリストは宇宙人だった?

(半分冗談だが、でも可能性はゼロではない)

 人間の霊(悪霊)であっても、その極端に邪悪なものは悪魔と誤解される。ただ、100%の純度で悪とか闇というのはないので、やはり悪魔ではない。

 まとめると、こういうことだ。



 神は、純度100%の善のイメージキャラ。

 悪魔は、純度100%の悪のイメージキャラ。

 どちらも、この世界には存在しない。

 ただ、他次元を覗けたら「そのように誤解できる」存在もいるため、神や悪魔だと誤解できる出会いがある人もいるが、その数は多くはない。

 ゆえに、一部の人には人生に関わる深刻な話だが、かなり大勢の人の人生にはあまり関係がない。エクソシストという映画が実話であり、悪魔は存在すると言われながらも、ほとんどの人は悪魔など関わってこない、変わらない日常を営めている。

 あなたも恐らく、悪魔に関して本気で悩むことは一生ないだろうと思う。

 悪魔とは、怖いイメージがありますか?

 筆者にしたら、悪魔など怖くない。



●悪魔より怖いのは、むしろ人間である。



 筆者が今回紹介した海外ドラマを見ての感想は、「悪魔は首尾一貫している」だった。完全なる悪というと怖い感じがするが、裏を返せば悪という価値観において徹底していて、迷いや例外がないということである。ブレないのだ。

 これは、正面からぶつかると怖いが「相手は考え方が徹頭徹尾一貫している、というところは、逆につけこむ余地がある」ということ。

 アウトプットと心の内にズレがある、ということがないため、人間より付き合いやすい。



●悪魔は頭はよいが思考・行動パターンが単純明快なのだ。



 この作品に登場するアビゲイルという悪魔は、スピリチュアルのお手本みたいだ。

 思ってもいないことは言わない。(つまり素直に心から思うことを言う)

 自分に制限や圧力をかけない。(やりたいことを素直に行動に移し、言いたいことを言う)

 欲望に忠実で、それに従って行動することをはばからないという点では「悪い」やつに見える。でも、行動原理的にはめちゃくちゃ「素直」な存在である。

 そこへいくと人間は逆だ。本心を隠す。色々な制約事や損得、計算づくで「心とは裏腹な行動を取る」。

 人間関係がしんどいのは、そういうお互いが見えない腹の内を探りながら生きているからである。そして、たいがいのケースで読みはハズレる。それが、結構なストレスなる。

 だから、悪魔と付き合う方が、ある意味ストレスがたまらない。何せ、一切飾らないからだ。確かに悪を成すためにウソをつくことがあるが、そのウソをつく動機に芯が通っている。人間のように自己保身とか弱さゆえとか迷いからとか、そういうのは全くない。ただ、決めた目的のためにきれいにウソをつくだけ。

 そこ以外では、まったく誠実なやつなのだ。悪いことをする点を抜いたら、こいつほど話していて気持ちのいいヤツはいないかも。

 悪魔との対話は、一種のセラピーにいいかも!?



 もちろん、筆者が今メッセージのネタにしている悪魔は、架空の「イメージキャラ」のほうです。そこ、大丈夫ですか?

 悪魔と誤解する異星人や他次元存在、人間霊の中には、紹介したアビゲイルみたいに多少は話が通じるということもない、エグいのもいる。本当に怖いのもいる。

 だから今回のお話の要点は、「もし仮に、人類が想像するような100%の悪魔がいるとしたら、恐ろしくて近づけないのではなくかえって話せるヤツである。ストレス少なく交流できる単純なやつである」 。

 完全なる悪は、その行動原理は分かりやすく、単純である。複雑に思考して、見た目や表面的な行動からは予想できないホンネを持つ人間のほうが、不可解かつ恐怖なのである。

 絶対悪よりも怖いのは、「矛盾」である。その矛盾を抱えるのが、悪魔ではなく人間の専売特許であることをお忘れなく。

 恐れるべきは、人間なのだ。

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