芋虫
『江戸川乱歩』という推理作家は、日本では有名である。
名探偵コナンの苗字にも使われているほど、日本の推理物の象徴のような存在。
横溝正史の金田一耕助と並んで、江戸川乱歩の生みだした明智小五郎は、名探偵の代表格として国民的に認識されてきた。ただ、その常識が通用するのは中高年世代で、若い人は名探偵といえばコナンか金田一少年(金田一耕助の孫)くらいなものではないか。
筆者が小学生時代、江戸川乱歩の少年探偵シリーズがポプラ社から出版されていた。(今も売ってるのかね?)
当時クラスメイトたちは女子と男子の垣根を超え、皆貸し借りし合って読んでいて大人気。その少年探偵シリーズの最初の「まえがき」には、いつもこんなことが書いてあった。
●この物語は、大人向けに書いたものを、少年少女の諸君が楽しめるように書き直したものです。
たいがいはそんなんばっかなので、「大人向けのってどんなんだろ?」と考えた。
当時、親が警戒するエロTV番組として、天知茂の「美女シリーズ」があった。内容は大人向けにエグく、女性のハダカが結構出てくる。
子ども時代の筆者はそういうのがある (少年探偵はバーモントカレーの甘口みたいなもので、本当の乱歩はそっちのほう)ことは知ってはいたが、じっくり見るのはハードルが高かった。ビデオ録画もまだない時代、親がいない時にたまたま番組がやっているという偶然でしか見れない、手の届きにくい代物であったのだ。
そんな筆者が中学生になり、ある程度小難しい文章も読めるようになった頃、大人向けの「乱歩の原作」に挑戦した。
今でこそ復刻版でたいがい読めるが、当時はほぼ「絶版」扱いだった。
角川文庫から出ていた大昔のものは、在庫がたまたま残っている以外取り寄せでも手に入らなかった。私は一般書店だけでなく古本屋まで奔走してコレクションしまくったが、結局全作品の半分も手に入らなかった。
その当時、たまたま手に入ったもので、喜んで読んで少々後悔したのが『芋虫』という短編。
これは推理物ではない。どんなお話かというと……
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須永中尉は、戦争で四肢やのどや聴力などを失った。
目で訴えるか、鉛筆を口で使って短い言葉を書くか、尻や肩や頭を使って身体を動かすことでしか感情を表現する手段を持たなくなった。その姿は、言うなれば『芋虫』であった。
妻の時子は、主人が生きて帰ってくると聞いて喜んだが、その姿を見て打ちひしがれた。最初こそ、体を犠牲にしてお国のために武勲を挙げた須永に、新聞も褒めたたえる記事を書き皆がほめそやしたが、やがて戦争のことも語られなくなる頃誰からも見向きもされなくなり、誰も以前のように見舞ったり気にかけたりしなくなった。
時子の親戚にも誰も協力的なものはおらず、冷たかった。
二人は、時代に取り残されひっそりと暮らした。
最初は、献身的な介護を他人に褒められ嬉しかった時子も、やがてそう言われるのが苦痛になっていった。時子は、夫に対して歪んだ情念を持ち、ぶつけるようになっていた。
これは、誰にも言えなかった。
夫は、四肢もなく言葉も発せない。テレビなど娯楽も豊富でない当時は、彼のような者は「性欲」にいくしかどうしようもなかった。
もしかしたら、最初は夫の願いに応えるという健気な動機だったのかもしれない。他にすることのない須永の性欲は旺盛で、何度も何度も交わるうち、時子は自分でも良く分からないドス黒い欲望に支配されていった。
そのきっかけは、須永の「目」にあった。
須永は、一応は筋金入りの軍人であった。
四肢を失い何もできないとはいえ、矜持というものは残っているのか、はたまたセックス漬けの日々に罪悪感が生じているのか——
時折、須永は時子にも理解できない不思議な眼をして、天井の一点をジッと見つめていることが増えた。その眼を見ていると、時子はなぜか自分が取り残されたような、須永だけに遠い世界に行かれてしまったような、そんな得も言われぬ恐怖に駆られるのだった。
その恐怖を打ち消すかのように、時子は須永の体にドス黒い欲望をぶつけた。須永の体をおもちゃのように弄ぶことが、時子の密かな楽しみにすらなった。
そんなある日、やはり須永は天井の一点を見つめて「あの目」をしていた。
「そんな目をしてもダメよ……」
時子はいつものように須永の体を弄ぼうとするが、この日は珍しく須永は目で訴えた。鋭い目で。
自分の中の間違いを指摘されたようなバツの悪さが増幅されて、逆にそれが怒りと転化してしまった時子は、恐怖から「何よ、こんな眼!」と叫びながら、須永の目を潰してしまう。
狂気が去って我に返った時子は、何度も須永に謝り医者に見せ、ずっと看病して付き添った。何度も「ユルシテ」と須永の腹部に指で文字を書いた。
ある日、時子が少し用事で須永から離れた隙に、須永はいなくなった。
書置きには一言「ユルス」とだけ書かれていた。
夕闇が迫った頃、時子が外を探すと須永が這いながら、古井戸へ向かう様子が見えた。やがて、ドボンという音が聞こえた——
ここから最後は原文を味わっていただきたいので、そのまま抜粋する。
……時子はそれを見届けても、急にはそこへ駆け寄る元気もなく、放心したように、いつまでも立ちつくしていた。
まことに変なことだけれど、そのあわただしい刹那に、時子は、闇夜に一匹の芋虫が、何かの木の枯枝を 這 っていて、枝の先端のところへくると、不自由なわが身の重みで、ポトリと、下のまっくろな空間へ、底知れず落ちていく光景を、ふと幻に描いていた。
~完~
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今回の記事では、今の話に関して筆者が「どう解釈するか」を述べるつもりはない。そこは皆さんの感じるに任せるのがいいと思うからだ。
相模原で起きた、障がい者の殺人。『火垂るの墓』というジブリ映画で、なぜあの兄妹は死ななければならなかったのか。
その答えに通じる何かが、この物語にはある。
もの言えない、抵抗できない「障がい者」は、ただこの須永のように「ユルス」と、自分を理解できない外の世界に向けて言うしかないのだろうか。
いつも我々は彼らに「ゆるしてもらう」しか、どうしようもないのだろうか——。
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