バーモントカレーですが何か?

 子どもの頃に、ほとんどの人がお世話になっているであろう「ハウスバーモントカレー」。大人になってくると、せめてジャワカレーにしてくれと思ってしまうが。

 カレーとはそもそもが辛い食べ物であり、子ども用に甘くするという発想があまりなかったその昔、このルーの発売は画期的だった。

 業界の大方の見方は、「甘くしたカレーなんて売れるはずがない」という冷ややかなものだったが、これを覆す大ヒットとなって、以来ロングセラー。



 なぜ、バーモントカレーという名前なのか。

(たまに、バーモンドって最後のトに濁点を付けて呼ぶ人もいるが……)

 これ、アメリカのバーモント州のこと。

 そこは、リンゴとはちみつを摂取する健康法(民間療法?)の発祥地で、日本のハウス食品がそのアイデアをカレーを食べやすくするのに勝手に応用しただけ。

 だから、アメリカのバーモント州に行って本場のバーモントカレーを食べたい!とか言っても現地の人は「オードウイウコッチャワカラヘン」になってしまう。

 まぁ、あまりにも日本人が言うので向こうの人も「ウチの郷土料理のように勘違いされているカレーがあるらしい」とは知っているだろうけど。

 つまり、本当の意味で「バーモントカレー」などというものは存在しないのだ。



 そういうことで言えば、スパゲッティ・ナポリタンもそうである。

 戦後、日本でスパゲッティといえばまさにこれ。あとはミートソース。

 今でこそイタリア料理が浸透し、パスタの種類もバリエーション豊かだが、中高年の子どもの頃ではあの懐かしいケチャップ炒めスパゲッティこそが、思い出の一品でだという人も少なくない。

 恐らく、現地ナポリの人に日本のナポリタンを見せても、ハァ?であろう。

(でもそのハァ? があまりにも多いので、もう日本で勝手にナポリの名が使われていることも知っていてあきらめているかもしれない)

 まるで、自分の県の当たり前が全国でもそのはず、なのにそうでない……ということを知れる「ケンミンショー」なる番組のようなものか。

 ナポリには「ナポレターナ」というトマトソースのパスタ料理が確かに存在するのであるが、日本のそれとは全然別物である。一般的に、日本で言うナポリタンは、ナポリ料理ではないと否定されている。



 このように、本当にはないのにあたかもあるかのように思いこんでいることもある。学校ではそんなこと教わらないし、クイズ番組で知ったとか雑学で知識として調べたとかいうのでもなければ、大人になっても「へーそうなんだ」と知って驚く人も少なくない。

 スピリチュアル業界では、「覚醒(悟り)」をはじめとして、様々に見えない世界の流儀が言語化され、説明されている。そういうのを読んでいると、あたかも「本当にそういうものがある」かのように思いこまされる。

 例えばハートとマインド。これって、どこで厳密に境界線引けるの?

 エゴ、って本当に存在するの? ただ、そういうものがあると考えることで、いろいろ便利に説明が付くだけじゃ?(ただそういうのがあると考えたら納得しやすいというだけの話で、裏付けなどどこにもない)

 もちろん、辛い時にそういう理屈で乗り越えるのはいいんだけど、そういう必要な時だけじゃなく朝から晩まで生き方に全面導入とか、異常だ。

 一時は幸せになって救われても、その感謝の反動から何でもかんでもその考え方を使うようになって、逆に生き辛い人生になっていく人って多いかもしれない。

 そして多分、自分ではそうなっていると客観的に見れていない。



 スピリチュアルにハマると、自分の足元が見えにくくなる。

 痛い目にでも遭って考え直す必要性でも生じなければ、自分が依って立つスピリチュアルそのものがそもそもヘンじゃないのか、ということはまず考えない。

 熱心な時にはそういう発想は不可能になっている。アイドルにハマっている時には、人間として包括的にその人物を見る視点はない(あったらハマれない)し、全美化されるから。

 周りのみんながあなたと同じ言説を支持していて、ストレスのない環境(スピリチュアル仲間同士)では、「疑い」が起きない。むしろ、もっとその信念を「補強」し合うことしかしない。

 もちろん、それで人生幸せになる場合もある。ただ残念ながら、そもそもその内容がこのこの世ゲームをうまくやるのに適していない場合もある。さらには、ゲームブックにはやり方がきちんと示されているのに、それを「独自の読み方・解釈」でやってしまい「うまくいかないんですけど、どうしてくれるんですか」と文句を言う人も出る。

(逆に、指導者側でも自分の論の甘さを棚に上げ「言ってることは間違ってません。あなたのやり方が悪いのでは」みたいなことを言う人もいる)



 もちろん、宗教やスピリチュアルで幸せになれることもある。

 それは、バーモントカレーやナポリタンが実際は存在しないが、勝手に生みだされあることにされたそれは実際に美味しく、ニセモノ(ばったもん)なりにそれはそれでひとつのブランドを築いた。実際に皆の舌を楽しませている。

 だから、究極勘違いだろうが作りだしたえせ真理だろうが、それはそれなりに良い働きもする。それがあるから、何でも正しいか間違いかで斬り捨てるのは人として粋じゃない。

 ただ、それが何か空回りしているとか、何年やっても気持ちや暮らしが上向きにすらならないという時には、真面目に「教えじゃなく、自分のやり方が悪いんだ」と考えたりせず、理屈のほうを疑いなさい。指導者の方を選びなさい。



 スピリチュアルは、一部を除けば大方「バーモントカレー」みたいなもので成り立っているから。この教え(真理)から離れたら、信じて実践するのをやめたらタイヘンなことになるのではないか……などと心配しなくていい。(そこがある意味、向こうの狙いでもあるんだから)

 本気でスピリチュアルをやるなら、「私の信じているものは絶対に真理だ」という方向の信念をもつよりも、「たとえこれがバーモントカレーみたいなものであっても、それでも私はこれが好きなんだ」という思いの方を大事にもってほしい。

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