インデペンデンス・デイ

『インデペンデンス・デイ リサージェンス』という映画を映画館で見てきた時の話。これは『インデペンデンス・デイ』という昔大ヒットしたハリウッドSF大作の久々の続編ということで、期待値も高かった。

 この時は、レビューも前情報も何も仕入れずに行った。映画情報屋の筆者としては珍しいことである。でもこの作品に関してはそうしたかったのだ。先入観というものをもたずにどうしても観たかった。

 最寄りの劇場で、先行上映が本上映前日の夜にあることを知り、いち早くそこに席を予約。気合を入れて劇場に入ったら、何だかイヤな予感がした。

 あれ、超話題作(のはず)の先行上映なのに、客が15人ほど……なん?

 ガラガラだったのだ。



 映画が始まった。

 あれ、何か……違う。

 もちろん、筋はちゃんと前作の続きなんですよ。前作の登場人物が歳を取っていたり、前作では子どもだったキャラが大人になって恋愛していたり戦闘機乗りになっていたり——

 前作の大統領のちっちゃな可愛い娘が、戦闘機乗りってちと無理が……

 前作の主役ウィル・スミスは出演しない。映画の中では、彼は死んだことになっている。これも大人の事情というやつで、「ギャラが高すぎて頼めない」という監督のコメントがある。

 それくらい、やったれよ。この作品が出世作になったんだから、恩もあるはず。

 これじゃ、売れたらデビュー当時の仮面ライダー役ではもう出てくれないイケメン人気俳優と同じじゃないか。



 世界観も筋も、ちゃんと前作の続きのはずなのに。

 登場人物も、スミス以外はほとんどちゃんと出ているのに。

 なぜか、前作と同じ映画な気がしない。

 眠くはならなかった。特撮もすごかった。でも何か……足りない。

 その足りない感を引きづったまま、とうとう映画は終わってしまった。

 帰る時、何だか残念だった。

 ラスト、続編がさらにあるぞっぽい終わり方だった。万が一本当に作られたらきっと見るだろうが、それはこの作品(一作目)を大好きになった者として、最後を見届ける意味で見るだろう。まるで、不祥事を犯した子どもの親のように、最後まで見捨てない。



 一作目は、もう随分前になるだろうか。30年ほど前か。

 筆者は、この作品に衝撃を受けた。スクリーンで8回は見た。

 その頃は、まだネット予約とかが存在せず、一回の上映ごとに観客を皆入れ替えてしまう「総入れ替え」がほぼなく、ゆるかった時代。

 私は席に居残って、3回上映分くらい繰り返して見ていた。

 夕方7時の回に入って、オールナイトショーまで入れて3回見て、朝日が昇る中始発で家に帰ったことを、今でもはっきりと覚えている。実にいい思い出だ。

 一作目には、それだけの価値があった。映像も当時としては迫力だし、話の筋も面白いが何より『熱さ』があった。私は、具体的に何と聞かれても説明できないその『熱さ』に惚れたようなものなのだ。



 ゆえに、久しぶりに続編が出るとあって、まるで初恋の人に久しぶりに対面するみたいに胸が高鳴ったのだが、出会ってみて相手が「変わってしまった(しかも残念な方に)」というたとえがピッタリな感じがする。もう、過ぎた昔は戻らない。

 筆者は、最近本書で世の中を「憂える」話をよくする。それは、様々な角度から指摘できるが、この「熱さ」が世界に減ってきている、というのもそのひとつかもしれない。だから今回のこのインデペンデンスデイの続編のパワーダウンが、ものすごく象徴的なことに思えた。



『中川家』というお笑い芸人が、M1の審査の席で最近のお笑い界の若手に苦言を呈していた場面があった。

「皆仲が良すぎ」というのである。

 普通に聞けば、「仲が良い」のはいいことである。しかし「芸事」の世界でトップの座をかけてライバル同士がしのぎを削るという世界が本来。

 今はそうでもないらしいが、その昔漫才界の頂点を決める「M-1」や、お笑いのスペシャル番組とかで、出来が悪かったりネタがすべったりしたと自覚するコンビは、収録後の打ち合げには来なかったという。悔しすぎて残念過ぎて、とても他の出演者に顔を見せる気にならないものだった、という。

 他の出演者もそれは十分分かっていて、「そりゃそうだろう」と理解を示し、決してその不在の失礼を責めることもなかった。誰もが、上を目指してピリピリしていた時代。

 そしてそれはお笑い界を悪くする方向へは働かず、むしろ競争することでより良いものが生まれ、「飽くなき向上心」として発揮されることが多かった。



 しかし、今の若手は良くも悪くも(どちらかというと悪い)仲が良い。

 ライバル視、とか意識し合ってしのぎを削るというよりは、皆横並びに仲良し。

 よく言えばギスギスしてないのだが、何だか一昔前はまだ生きていた言葉「ハングリー精神」がないのだ。仲が良く、他を蹴落としてでも一番になってやる(もちろ手段を問わなくなれば人として終わる)くらいの覇気がない。

 スピリチュアルでは、そういう「他を蹴散らして、自分だけが一番」というのはもっともエゴなものとして、生き方としては最悪な例として見るだろう。でも、筆者はこと玄人オンリーの世界の中ではそれも「あり」だと思うのだ。

 人類的、普遍的真理としては適用しない方がいいが、ある分野でトップを目指す集団の中では、互いを敵視するくらいに「熱く」デッドヒートを繰り広げてもいいんじゃないか。

 仲良し、など意味がないのさ。



 このような熱さが、牽引する世界であってほしいと願う。

 もちろん、全体としては世界平和、皆が協調し合って仲良く、がよい。

 しかし、全体をさらに発展する方向へ牽引していけるのは、厳しいまでの「熱さ」なのだ。それぞれが、自分の得意分野、身を捧げて惜しくない分野で燃え上がっていけるなら、この世界の可能性が実に花開くことになるだろう。

 今、時代は「いい意味でも悪い意味でも、無難にこじんまりとまとまろうとしている」。そんな動きになってきている。

 もっと、熱さを持った型破りな「破戒僧」が各業界にもっと出てきてよい。無難に、足元を救われないようにという下手に頭の良い人が多すぎる。

 多少の無茶もいい。それくらいで丁度よい。



 映像もすごいし、よくできてはいるのに——

 その「熱き心」という魂が抜け去ったインデペンデス・デイの続編「リサージェンス」の残念さに、そんなことを思った。

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