巨神兵、東京に現る

 皆さんは『巨神兵東京に現る』という短編映画作品があるのを知っているだろうか? 一応、分類上は「ジブリ作品」にはなる。

 そりゃそうだ、ナウシカでお馴染のみあの「巨神兵」が登場するのだから!

 監督は、エヴァンゲリオンで有名な庵野秀明。庵野氏は宮崎駿氏から「ナウシカだけは絶対出すな」と釘をさされていたらしい (笑)。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』と同時上映され、その後発売されたビデオソフトの中にも収録されている。内容はいたってシンプルで、ある日突然東京のど真ん中に巨神兵が現れ、いきなり街を破壊し始めるという、ただそれだけ。

 内容としてはそれだけだが、なぜそんなものが現れるのか、の哲学的(スピリチュアル的)な説明がナレーションで挿入されている。



●世界には寿命がある。

 なのに、僕たちに任せても世界がダラダラと延命するだけなので——

 世界は強引にあいつらを召還する。



 筆者がこの映像の中で注目したのは、巨神兵がいきなり現れた時の人々の反応だ。


 

●ケータイで写メ(動画)撮ってるやつがいる。



 職業的カメラマンなら、まだ意味が分かる。命を張ってでも、今起きている事実を「伝える」という職業的使命をまっとうしたい情熱である。

 そこには「覚悟」もある。でも、写メを撮る一般人にそん立派なものはない。

 写メを撮るということは、今そこで起きていることが「直接自分には関係ない」「とりあえず自分は死ぬことはないだろう」という無意識下のあきれた確信に支えられた行動である。とりあえず「これは他人事です」という姿勢の表明である。

 乱暴なことを言うが、こういう人種が増えたこの世界、神のような何者かに見切りをつけられてもある意味仕方がない気もする。仕事で、注意しても警告しても改善する気の見られない者は、辞めさせられる。そしてそれは、我々自身の刹那な都合からすると無慈悲であり、残酷であり、不条理であるが、究極には「愛」である。

 ただし、我々当事者には一番分かりにくい形での……



 海外のニュースで、車に女の子がはねられた現場に居合わせた人々が、群がってその子をスマホで撮ろうとし、救急隊の救助の妨げになった。

 思わず、隊員の一人は叫んだそうだ。

「人として恥を知りなさい!」

 幸い、その少女は命が助かったそうだが、自分が命の危うい状況で、好奇の目で見てくるような人々がいたことをどう思うだろうか。どう受け止め、どう消化して生きるだろうか……。



 スピリチュアルは、「意識がフォーカスするものを引き寄せる・現実化する」という都合の良い理屈を盾に、愛や希望ばかりを語る傾向がある。

 世界が危ない、何とかしないと系の情報に関して「不安をあおる」のはまるで悪魔かのような扱いをするのが純喫茶スピリチュアル系。汚らわしいもののように見てくるし、そのような発信をする者を巨神兵どころではない「諸悪の根源」とする。

 で、「皆さん、そんなもの相手にしないでいいですよ! ただ愛だけ、喜びだけ見つめていればいいですよ! その意識こそが現実を作りますよ!」とのたまう。

 でも、その程度の市販の薬では、巨神兵や事故現場の負傷者を写メに撮るような人間が一定数いるこの世界に対して効果はない。

 付ける薬がないと、最終判断として破壊者が召喚される。

 それは宇宙の究極摂理で、決して人情レベルで「人間を愛してない」とか「残酷だ」という話ではない。ただただそういうもの、なのである。

 神を責めるのはお門違いで、自分たちこそが謝るべきで、反省すべきなのだ。

 人類は、自らが蒔いたものを刈り取る。



 人類は、全体でひとつである。

 あなたが生まれてこのかた悪いことをしたことなく、(ウソこけ)いきなり世界の終わりを突きつけられる時に「私何かしたでしょうか」と文句を言うのは間違い。神は答える。

「お前(自分だと思っている個体)が何もしてなくても、皆が人類やった結果こういう世界の有様になったんじゃろ? お前らの連帯責任じゃ。っていうか、こちらからみたらお前たちはひとつなのだ。だからひとつ、に責任を取らせるのだ」

 宗教やスピリチュアルをやって、あなた一人高尚でも、無意味である。



●全体勝利でなけりゃ、喜べません!



 清い人、愛に溢れた人だけアセンションして、何になりますか?

 友人知人がいなくなったその世界で、あなただけ(選ばれし者)が入り、それで心から幸せで楽しくいられますか? だから、天国に入るのも皆一緒。不適格として滅びに至るも皆一緒、がいい。

 もし生き伸びた少数がいても、それはラッキーとか助かったという話ではない。命の再生のために、ものすごい重荷を背負った人生になるだろう。

 もうね、今回はあまり難しいことや高度なことを要求しません。

 もしですよ、誰かに不幸があった悲惨な現場に居合わせて、スマホのカメラをそこに向けるような人がいたらー



●せめて自分はおかしいかもしれない、と思ってください!



 これは、人類の末期的症状を示すひとつのバロメーターだと思ってください。

 人数が少なければいい、そういうことをしない人のほうが多いから問題ないという話じゃない。現代社会がそういう人物を生む土壌にある、というただそれだけで一大事なのだ。

 巨神兵が一撃目のビームを撃つまでは物見雄山な野次馬。皆さんは、ナウシカの映画で巨神兵の放つ一発がどれほどの破壊力か見て知っているだろう。まさに、バカは死ななきゃ(ひどい目に遭わなきゃ)治らない?

 これぞまさに、世界の滅びの縮図である。

 この世界で、我々が大逆転できる可能性があるなら、それは「おそれ」と向き合うことだ。怖れ、じゃなくて畏れ。命というものへの畏れと憧憬。



●あなたが命を軽んじてなおそこに無自覚なら、巨神兵が現れる。

 あなたが命をまず大事にして命懸けで守ろうとするなら、巨神兵は帰る。



 あなたは、今後の生き様で自分はどちらだと証明するだろうか?

 やはり庵野氏が監督の「シン・ゴジラ」でも、主人公を演じる長谷川博己の、次のようなセリフがあった。

「絶望的ですけど、この国を見捨てないでいきましょう」

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