踏み台にしてもいい

 大人気TVドラマ 『ドクターX ~外科医・大門未知子』の2021年バージョンもつい先日最終回を迎えた。

 筆者はこのシリーズが大好きで、今までのシーズンは全部見てきた。もちろん今回も見はしたのだが、熱狂度というか「次も見たい」という気持ちが以前に比べて薄れてきたことは事実だ。

 


 以前、ビートたけしが敵役の新キャラで登場したスペシャル版が放映されたことがある。あの絶対神大門が珍しく弱気になり、挫折しかかるというこれまでにない話になっていた。

 絶対に手術を失敗しない、スーパー外科医・大門未知子。世界大会での優勝が期待される人気フィギュアスケーターの命を救う仕事が与えられた。

 しかし、彼女に手術され治されてしまうと都合の悪い勢力の陰謀によって、夜中人気のない道で暴漢に襲われた未知子は、利き手を負傷。手術のメスを握ることができなくなる。

 手術を生業なりわいとする外科医にとって、手はある意味命よりも大事。たとえケガは治ったとしても、プロのスポーツと一緒で、何週間・あるいは何か月も実践をしていないと、その腕が鈍る。感覚を取り戻すのに、かなりの時間がかかる。

 絶対に失敗しない、という厳しい高水準を自らに求める未知子にとっては、そのことが何よりも心に重くのしかかってきた。



 人間不信に陥り、同時に自分自身への信頼と自信も失い、仲間にも居場所を黙ってフラフラ放浪の旅を続ける未知子。どこかの海の近くの断崖に立って物思いにふける彼女に、不意に小さな男の子が声をかける。

「お姉ちゃん、そこから飛び降りたら死ぬし、痛いよ?」

 男の子に強引に手を引かれ、その子の家に連れて行かれる。

「父ちゃんのしし鍋(イノシシ)を食ったら、元気になるよ」

 その男の子と、猟師をしている父親の暮らす山奥の民家で、未知子は医療のことも忘れ、自然だけを相手に狩りを手伝って生きる毎日を送る。

 その家では、母親は病気ですでに亡くなっており、男の子も未知子をまるで母親のように慕い、ある意味では幸せで平穏な日々が続いた。

 一方下界では、未知子を必要とする医療界の仲間が困り果てていた。



 未知子の正体(すご腕の有名な外科医)を知った父親は言う。

「お前の居場所はここやない。お前を待っとるもんが他にいるじゃろう」

 そう言って、未知子のことを思ってあえて厳しく突き放す。

 トラックに乗せられ、都会の病院まで送られていく未知子に気付いた男の子は「行かないで」「ずっとここで暮らして」と叫びながら必死で追いかけてくる。

 幼い男の子の足でトラックに追いつけるはずもなく、その小さな姿はどんどん小さくなっていく。それを見ながら未知子は、自分が救われるきっかけをくれたその子どもへの感謝と、こうまでして戻るからには、中途半端にはしない、という自分の本業への覚悟を定めるのだった。



 自分を見失いかけていた未知子を助けたのは、紛れもなくその男の子である。いわば、命の恩人である。

 その恩人の願いであれば、聞き届けてあげたいのが人情である。未知子もそうだったので、自分の使命に目覚めたとはいえ、心苦しかったはずだ。

 でもその心苦しさを、「自分の天命を知ること」は克服した。葛藤はあっても、山を下り男の子のことを置いていった。

 そこだけにフォーカスすれば可哀想な話になるが、一番大事なのは本人の幸せだ。

 負けて挫折して逃避して、そこでたとえすべて忘れて心休まって生きられたとしても、それはその人物だからこそできる「特命」を成しながら、最大限自分が世に貢献できる道を生きることで得る幸せには、はるかに及ばない。



 人生とは、旅である。

 短いようでいて、その「今」の連続の渦中にあっては、案外長い旅路になる。

 その長い旅路の中には、色々なことが起きる。

 素敵な出会いがある。その関係は、ずっと続くと思われることもある。

 しかし、すべてが移ろいゆくこの世界では、すべての物事に始まりと終わりがある。永遠というものはどこかに存在はするが、少なくともこの宇宙にはない。

 時に、厳しい決断を迫られる場面もある。今までお世話になった人物、友人だった人物に背を向けることも生きていればある。

 その時に、人情的には申し訳なさや心苦しさがその人を悩ます。真面目であればあるほど、優しい人であればあるほど、その悩みは深い。

 でも、それは何も問題ではないのだ。



●もし、あなたが本当に最善の決断をしたのだ、という揺るぎない確信に満ちていたなら。あなたが、かつての仲間や恩人に背を向けることであなたの旅がさらなる高みに向かうなら。

 きっと、ゆるされる。いや、それこそが望まれている。

 相手も、自我では納得しないかもしれないが、宇宙のことわりがゆるす。



 心苦しさは、ちょっぴりでよい。あとは、堂々と前へ進みなさい。

 それこそが、結局その相手もあなたも「生きる」道に繋がる。

 逆に、自分の奥底から聞こえてくる血の声に耳をふさぎ、目の前の恩のある人間に良くすることをあえて選ぶなら、あなたもその人物も共倒れになる。



●一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、 一粒のままである。

 だが、死ねば、多くの実を結ぶ。



【ヨハネによる福音書 12章 24節】



 このイエスの言葉における「死ぬ」とは、目先の安定や利益に死ぬことである。そして、今この瞬間は得があるように見えないが、それでも先を見通す眼が本質をつかみ取ったからこそできる選択、これこそが「死んで多くの実を結ぶ」ことになる。



 今の時代、少なくない数の者がこの「旅の分岐点」を迎えている。

 勇気をもって、感謝しながら取るべき道を取ろう。

 済まなさや罪悪感よりも、感謝を捧げて過去に別れを告げよう。

 あなたの、新たなステージに乾杯。

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