ご意見番たちの挽歌

 世の中には『ご意見番』と呼ばれる芸能人がいる。本業はタレント・政治家・芸人・スポーツマン・ニュースキャスターなど色々だが、本業にも増して『その辛口な批判で有名』だったする人たちだ。

 某日曜朝の『喝だ!』で有名なオジサンはついに番組降板となった。他にも堀江貴文(ホリエモン)、ウーマンラッシュアワーの村本・オリエンタルラジオの中田・橋下徹などの名が挙げられる。

 ご意見番とは、世間の色々なニュースに対し、持論を展開して評価する人のことである。その性質上、仕方のないことだが発言の多くは何かの「批判」になる。



 しかし、批判はすればいいというものではない。

 その批判の根拠が説得力のあるものでなければならない。でないと、それはただの悪口である。ご意見番として、ある人物を評価する場合のポイントは——



①これまでの実績の積み上げ。(この人が言うなら、と思わせられるほどの信頼を世間から勝ち取っているかどうか)



②感情論でもなく、世間受けを狙った批判でもないこと。言葉上は批判であっても、何かを守りたいという「思いやり」と少しでも世界を良くしていきたいという「願い」が根底になければならない。



③「血」が発動してホンネの発言しているうちに、別になりたいわけじゃないのに結果としてご意見番になった、という以外はニセモノ。これはなろうとしてなるものでは絶対ない。ましてやそのポジションを狙ってなるものではない。



 ①について。

 大物芸人が、だいたいこの位置に来る。ベテラン勢だとビートたけしや松本人志。(和田アキ子は入れてやるべきだろうか?) ホリエモンは、少々微妙だ。あの人は個人の人格や実績と言うより、発言の切り口の意外さや過激さで注目を集めているだけの部分もある。でも、たまにいいことを言うのは認める。

 マツコデラックスは、ベテラン勢とは一緒にしにくいが、それでもまぁご意見番の位置は確立しているだろう。

 一部例外はあるかもしれないが、彗星のごとくいきなり「ご意見番」として世に登場、というのはあり得ない。ある程度、何かの分野でまっとうに活躍して、地位を固めて後に初めてなる資格のあるものである。

 仕事の求人で「~の実務経験2年以上」とかいう応募条件があるようなもので、最初からいきなりご意見番は誕生しない。たとえしたとしても、短命で終わる。 



 ②について。

 最近、ちょっと馬脚を現したのは「尾木ママ」である。

 この人も最初登場した時のキャラからすると見事にご意見番化を果たしているが、最近特に「バランスを欠いた批判」が多くなってきた。男の子がしつけと称して置き去りにされた事件でも、言い過ぎがあり本人も謝罪している。

 もちろん、誰だって「良かれ」と思って行動しているわけで、ご意見番だってその例にもれず、単に人や社会を批判したくてしているわけではない。っていうか、そんなものが趣味だったり好きだったりする者は、逆に本物のご意見番にはなれない。



●好きこそものの上手なれ、ではご意見番にはなれない。



 しゃべり好き、ゴシップ好き、批判好き、話の揚げ足取り好きでは一流のご意見番になるのは不可能である。こればっかりは、好きなほど伸びるとか、好きな度合いと一流になっていく度合いは比例していない。もともと好きである人ほど、なると危ない。むしろ、そういうのが好きでない人物のほうが向いている。

 好きでないのに、流れによって、世間からの要請によって腹を括って「やってやろう」とする時に、本領を発揮できるのである。

 ご意見番なんてやりたいわけじゃないけど、皆が望むしそれに応えるべく腹を括る、という流れが一番自然なのである。なので、そんなやつおれへんと思うが、ご意見番になりたい、あるいはそういうポジションを狙っている人がいるとしたら、こう言っておこう。



●ご意見番は、なりたくてなるものではない。

 仮に、自ら望んで、狙って意図的にその位置につこうと思う者がいたら、その人生航路は余分な困難と借金を背負うものになると思え。



 もちろん、私悟っているので、この宇宙に問題など一切ないと確信して自信を持っているんで好きにします! という方は、私の脅しなど無視して、好きにしてくれたらいい。

 でも、少しでも気にしてもらえるなら、なりたくてなるのだけは絶対にやめておいた方がいいと言おう。なりたくてなると、ある罠が待ち受けている。



●自分のキャライメージをキープしないといけない、という生真面目さが、間違いを起こす。



 たとえば尾木ママなどは、「自分は常に教育や社会問題の分野で、ご意見番として常に何か周囲を感心させることを言い続けないと」と強迫的に考えているように見えてしまう。

 つまりは、カネを稼いで生活レベルを現状から下げずに生きていくためである。そのためにも、自分はいったん世間から認知された位置、『ご意見番』としての居場所を守りぬかねばならない。忘れられないように、注目を集めるように、何か言っておかないと、と焦る。

 その焦りが、失言を生む。



 血で動く、筋金入りのご意見番は、無理に意見をひねりださない。

 出なかったら、出ないままにしておく。そういう時はコメントしない。

 筆者の場合は、どこかから与えられる場合しか言わない。自分の頭で考えたものや、自我(エゴ)発の個人的な好き嫌いでは、発信できない。

 でも、血でなく人為的、意図的に「ご意見番」であろうとする者は、どうしても頭で計算し、その位置づけを守ろう、支持を受け続けようというところにエネルギーを使い過ぎる傾向があるので、どこかで言い過ぎや、ムキになり過ぎた意見が生じる。

 インスピレーションが与えられ、どうしてもこれは言いたい、それによって生じる責任を取る覚悟で言いたい、とまで思うことだけを言い、あとは誰が何を思おうと、こちらが忘れ去られようと、批判が浮かんでこないなら正直に何も言わないことだ。

 ダメなやつは、ある一定期間何も言ってないと「そろそろ何か言わないとまずいんじゃないか」という人間的な心配をする。自己保全のための防衛機制が働く。

 言いたいことを、本当に言いたいタイミングだけで言うのが、バランスのよいご意見番。



 恐らくだが、筆者の個人的感触では、今後何かのスピリチュアリティへの批判めいた内容は激減していくだろうと感じている。それには、理由がある。

 ズレたスピリチュアルを批判し、皆に注意を喚起することに意味のあった時代が終わったから。今、そんなことをしても以前ほど意味はない。

 もう、時代はそれどころではない次元に来てしまったから。

 もっと大変な課題に取り組まねばならず、個人の信念が何だろうが、さして大勢に影響しない。その垣根を超えて団結せねば、地球という居場所そのものが危うくなるという、そういうところまできた。

 最近のドラマの『日本沈没』ではないが、日本が沈むという大事おおごとの前に、他者の批判など意味があるのか。



 しょうがある批判しか意味がない。

 してもしょうがない批判は、まさに労力の無駄。

 筆者は時代が変わったことを感じたので、もうよその指導者がどんなズレたことを言っても、勝手にさしておく。本書では、日々生きるのに役立ちそうな小ネタや、当たり前のことを述べるような記事が続くと思う。

 なぁんだ、もっと宇宙根源論的なすごい話を聞きたいのに、と言う方はサヨウナラ。残念だが、あなたの期待に応えられない。

 最終的に、本当に大事なことはスケールの大きい宇宙論や「究極真理」のたぐいではなく、もっと身近なこと、日常に生きることであり、そのために必要な現実的な小技(知恵)だけでいいのだ、と私は思った。

 だから、目の前の今を生きるのに必要と思われることだけを、シェアしていこうと思っている。おおよそ、ものすごいスピリチュアル専門用語が飛び交う世界の、熱心なスピリチュアル住人たちが何年もそれをした結果、どの程度の位置にとどまりどの程度の幸せさ加減かを知れば、皆さんも目が覚めるというものだろう。

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