体験と実感をしていないことを、軽々しく語るなかれ
皆さんは、この地名読めますか?
●出牛
でうし? しゅつぎゅう?
正解は、「じゅうし」です。
そんなのちゃんと調べたり情報として聞くのでもないと、自力で読めないよ~!
そういう声が聞こえてきそうだ。
確かに「出」という漢字も「牛」という漢字も、小学校低学年の知識で読めはする。でも、そこで習う「当たり前」の読み方の応用では、正しく当てることができないのだ。
スピリチュアルでは、よく「体験(経験)」や「感じること」が重要だと言われる。それは本当である。
たとえば、先に述べた「出牛」という地名は正しくは「じゅうし」と読むのだ、と知ること。
そこで「へぇ~そう読むんだ」と感心し、ちょっと強い感情を味わうこと。そうしたことは強く印象に残り、簡単には忘れたりしない。それは、紛れもなく「体験」であり「実際に感じること」である。
しかし、その体験と感じを未経験の者は、いつまでも本当のところは分からないのだ。「ええっ、じゅうしと読むのか!」というアハ体験をするまでは、ずっと分からない世界なのだ。
だから、スピリチュアルをたしなむ皆様へ。目に見えない、ある種証明もできない、絶対の共通認識も持てない世界のことを他人と議論したりするようなスピリチュアル住人へアドバイス。
●自分が体験として、実感として分かってる世界と、スピリチュアル指導者の話を聞いて「(信頼する先生がそう言うんだからきっと)そうだろう」と信頼して受け入れたに過ぎない内容とを、はっきり区別しておいたほうがいいよ。
世に、『知ったか(ぶり)』という言葉がある。
本当は分かってないくせに、あたかも分かっているかのように、自分は真理を知っているかのように他者に語ることである。悪気はないだろうが、スピリチュアル界では日常茶飯事にあることだ。
スピリチュアルなメッセージというのは、語る方に相応の「責任」が問われる。
その語ったことで、他人が人生観を変えたりして、大きな影響を与える結果となった場合、擬人的に言うがあなたは宇宙からジャッジされる。
あなたが、どれほどの理解の深さと覚悟で、それを言っているのか?
それを口にし、言い切るだけの資格と、それでどんな結果が返ってきても責任を取れる能力と力量があるのか。その点を審判される。
セーフならよいが、場合によってはあなたは軽はずみにものすごいものに手を出したせいで「吹き飛ばされる」現象が起きる。口にした内容とあなた自身が「釣り合わない」場合、何らかの形であなたは不足分の清算を迫られる。
ベンツやBMWという高級車を乗り回し維持するためには、その維持費(ガソリン・保険・メンテナンス費用・高い自動車税)を支払う能力(財力)が求められる。それを払えないなら、車を手放さねばならない。てか、そもそも分相応でないなら無理して「高級車を買う」というのが自然ではない。
盗むか、他人からカネもらって維持費も誰かに頼るか。
それが、「あなたの実感でない、借り物の知識(スピリチュアル的真理)」を、自分が分かっているかのように、深く考えず他者にすすめる」ということに相当する。
メッセージは、必要とする人たちに「広まる」ことが目的だったりするので、たいがいのメッセンジャーなら、他人が自分と同じ内容のことを、あたかも自分のメッセージのように語っても(パクっても)文句は言わない。言うなら、ソイツはちと心が狭い。
誰が言おうが、言いたいことが結果として広がるなら、それでいいはずだ。
ケチなことは言わないが、パクってもいいが、あんたそれ言って大丈夫? というのが心配。
口にすることは、実感と責任を持てる範囲で、謙虚に決めるが吉。
内容もないのに口がうまいと、結果として非常に大変なことになる。
たまに、スピリチュアルメッセンジャー(発信者)としてメシが食えるのを、うらやましがる人がいる。大して重労働をしているわけでもないのに、立ってベラベラしゃべっているだけでチヤホヤされて有り難がられて、お金が入ってくる。あんなボロい商売ないよな。できるんだったら、オレもやりたいわ、みたいな言い方をする人もいる。
●いや。やめておいたほうがいいよ。
めっちゃ危険よ。
よほどの確信と情熱と覚悟がないと、リスク大きいよ。
まさに! その立場を体験・実感した者でないと、本当には分かりにくい。
それでもあえて言葉でお伝えすると、見た目ほど華やかでも楽でもない、ということです。ドキドキワクワクで、やりたいことだけやれてます、っていうスピリチュアル指導者がいたら、多少は「演出」が入っているはず。だって、不可能だもの。
対外的なイメージを操作している人がいたら、早晩その活動は崩れる。表面的な活動面で清算されない場合、プライベートで問題が起きる。
やっぱり、本当に悟りが分かるには、確認しようのない次元のお話を本当に分かるには、自分も体験(実感)するしかない。
その時が自分に来るまではジタバタせずに、目の前のことに誠実に向き合いつつ生きていくしかない。
くれぐれも言うが、この物理次元を超えた事柄に対して、安易に他者に語り分かった風を装うのは、やめたほうがいい。一時的に他者に受けて得をしても、最終的にタイヘンになる。
●読めない地名は、読めないのだ。無理して、知っている読み方を当てはめてもムダ。ちゃんと知る機会が来るまでは、謙虚に「分かりません」でいいのだ。
悟りを求める道において、背伸びはやめましょう。
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