ダメな批判と分かる二つの特徴

 先日、ある記事にこのようなコメントをいただいた。



●はじめまして。率直に言わせてもらっていいですか?

 本当の賢者は、自分のことを 『賢者』 とは言わないと思うんです。

 一言、失礼しました。<(_ _)>



 これは、本書内のある記事のコメントとして来たのだが。

 今回の記事の内容は、こんなコメント来て腹立つ~!ではない。

 実はこれと同じ内容のものは、これまでいくつももらっている。せっかくだから、今日はダメな批判がもつ二つの特徴について指摘してみよう。

 言うまでもなく、今紹介したのはボンクラな批判の最高の例である。



①そもそも記事を読んでいない。最初から批判する気でいる。

②好奇心がない。



 たとえば、Yahoo!の映画レビューというサイトでも問題になっていること。

 ある作品(または監督・主演俳優)のアンチが、その作品をただ貶めたいがために、ろくに作品を見もせずに悪口を投稿する、ということがあるようである。

 例えば、マンガ原作の映画を「そもそも映像化するのが間違い」とか、「主人公がこの俳優なんて、イメージが合ってない。絶対失敗する」とか。

 まだ公開すらしていないのに、そう決めつけて低評価を投稿するのだ。映画を愛する良識ある人たちは、「批判するにしても作品をちゃんと見た上で評価して」と呼びかけている。



 まず指摘したいのは、このコメント自体がの記事の内容に対する感想や意見ですらないこと。要は、記事とは関係ない。

 少なくとも、その人なりに一生懸命やっている他者の発信に何かコメントを残すなら、筆者なら最低限のエチケットとして記事自体に関係する内容のことを述べる。それが、「ちゃんと読みましたよ。その上で、こう言わせていただきますよ」というメッセージにもなるし。その上で「本当の賢者は、自分のことを賢者とは言わないんじゃ?」と思いどうしても本人に言いたくなったら、個人あてのメッセージとして送るだろう。それがフェアプレイ精神だと思うのだ。

 せめて、私の記事にどう思ったかを添えてほしかった。百歩譲ってその後で、「賢者云々」の意見を最後に言うのは、まぁありだと思う。

 でも、残したメッセージはただ「賢者」のネーミングへのイヤミだけ。

 このことから推察されるのが——



●記事にまで関心がいく以前の問題(著者のネーミングセンス)でつまづいたので、それ以上知ろうとする意欲が失せている。



●たとえ読んだとしても、すでに悪い第一印象がついてしまっているので、最初から批判するスタンスで読んでいる。読む前から、「批判することがもう決まっている」 読み方になっている。



●ちゃんとは読んでいない。批判する目的ありきで読むので、斜め読み飛ばし読み。(全く読んでないことすらある) そんなの記事への感想など出てくるはずがない。



 実は、筆者もこれはそれほど偉そうには言えない。自分も気付いたらやってしまっているだろうからである。例えば、普段から「引き寄せ系」が好きでないと「ああ、この人引き寄せ系の人かぁ」と認識してしまうと、その人の書いた記事をすでに色眼鏡で見る回路が出来上がってしまう。

 一度何かの印象をもつと、常にその印象がつきまとい、何が書かれてあるのかだけを公正に見る、というピュアな視点を失う。私ですらやってしまうので、逃れることは不可能。ただ、やってしまった後に「気付く」ことはできる。

 コメント書いて、エイッと送信ボタンを押してしまうまでの間の時間は、気付きには十分である。その時間で自分のエゴに気付けないのは、ボンクラである。



 あと、タイトルとかでそこから推察される「言いたい結論」などが何となく想像できる時なんかに、勇み足をやるよね。

 たとえば、菜食主義者の人が『菜食主義者のおかしなところ』というタイトルの記事をネットで見つけたとする。もう、タイトルという最初の部分で「賛成できない」という結論めいたものがその人の胸にあふれるので、もう本文は読まなくても問題なし、ということになってしまう。

「人生のすべてのことは思い通りになります!」 なんてタイトルのメッセージがネットでシェアされていたら、筆者などはまず「何を寝言言っとるんだ」となる。私は、個としての自分のキャラの役どころと特質があるので、最初にそう思っちゃうところは仕方がないと思っている。

 でも、私が気を付けているのは、そう思ったあとの作業をちゃんとする、ということだ。好き嫌いから反射的に、まだ熟読もしてないのにある結論的な感想を持ってしまった自分であることを認め、気を取り直してその記事を「気を付けて読む」。

 最初から、そのメッセンジャーなり考え方なりが「気に食わない」という理解上の障害があることを分かって、注意して読む。私は、何か言う必要があるならそうまでしないと言わない。仮にそこまでのことをできないなら、私は絶対他人に文句は付けない。ゆえに私が文句を付けるのは、よほどのことである。



●きちんとした批判は、相手への本当の理解とコインの裏表の関係にある。

 真剣な批判者は、真の友達に転じる可能性を常に秘めている。

 だって、「相手に関心がある」ことでは、同じだから。



 本書の記事につく批判は、9割がカスみたいな言葉の羅列である。相手にする価値すらない。

 でもかつて、ふたつほど「ほほう」と感心した批判コメントがある。私は、それをもらってむしろうれしかった。というのも——



●これだけのことが言えるということは、よっぽどこの記事を読み込んでくれたんだなぁ!



 そのことが感じられたからである。

 最初から気に食わなくて、ざっとななめ読みした程度の感情的批判なら、私をそんな心境にさせることはない。丁寧に細部まで読んでないと出て来ないような感想は、うれしい。

 批判だろうが賞賛だろうが、物書きにとって本当にうれしいのは 「自分の書いたものをちゃんと読んでくれた」 時である。それをしてくれたのなら、その後出てくる反応が何であったとしても、私も居住まいを正して受け止めることができる。



 そして、『好奇心』の問題。

 この世界には、最初から人に嫌われようとする人など滅多にいない。

 誰も相手にしない、ちょっと精神的に問題がある人じゃなければ、その人がすることには全てその人なりのベストであり、良かれと思っての行動でしかない。

 じゃあ、筆者が「賢者」を名乗るのはなぜ?

 私は一応、曲がりになりにも本を出し、一定の視聴者もいる発信をやっている。だったら、私が酔狂に身のほどもわきまえず「賢者」と名乗っていたら、誰にも最初から見向きもされず、世間様に相手もされず私は世の中に出る隙すらなかったはずだ。私は、コメントをくれた人にそこまで考えてほしかったのである。



●この人は、なぜ自分のことを「賢者」と名乗るのだろう?

(私が持ったような感想を皆が持つことは、この人物にも容易に想像できたろうに。なのになぜ、あえてその名前にしたのか? 興味あるなぁ)



 そういうのを、この世界では 『好奇心』 と呼ぶ。

 残念なことであるが、世間の人はこの好奇心を「下衆な」方面でしか使っていない。人を貶め、傷付け攻撃し笑うために好奇心が使われていることが多い。

 本当の使いどころは、ひとつには「全体の幸せに寄与する探求」。まぁ、科学的法則の発見や、皆に役立つ発明の類ね。

 もうひとつは、自分の好き嫌いや主観でものを見ていることに気付き、「なぜこの人はこういうことを言うのだろう?」と、その先を探求するエネルギーとできる。そういう使い方。それができる人が、今の時代少ない。

 気に入らない物事に対して「なぜそうなんだろう」と考えるより、「これはダメだと思います」と最初から否定してかかるほうがはるかに楽。費やすエネルギーも最小で済むし、何よりメンタル的に楽。(決していい意味で楽なのではないぞ)だから世には、楽な方に流される人が多いってことだ。



 キライなもんはキライ。コイツくたばれ、死ね、でたいがい終わる。

 その先が大事なのに!

 好奇心は、マイナスをプラスに転換するのに使ってほしいツールである。

 本書内の記事には、「なぜ私が賢者と名乗るのか」について説明した記事がある。調べようと思えば、いくらでも調べられる。苦労して検索しろ、というのも酷かもしれないが、それだったらまず私に聞いてもいいわけだ。「何で賢者って言うんですか?」 って。

 それこそが「対話」であり、人間には欠かせない生の営みである。

 でも、このコメント主は勝手に「自己完結」してしまった。自分でさっさと結論を出して、それを私にぶつけてささっと消えた。

 好奇心なし。対話もなし。ただ、自分の引っかかりだけがクローズアップされて、相手不在の中独り相撲を取って、価値のない言葉を垂れ流した。

 これは、この世界で最も美しくない行為である。



 本当に骨のある。意味のある批判というのは、先入観や第一印象といったイメージに負けず、きちんと読み込んだ上で物を言うことである。その文章は、相手の文章を細部まで精査したことが明らかににじみ出るものになっている。

 世間では、愛するとは「関心をもつこと」と言われたりする。ということは、真剣な批判というものは実は「愛」と言えなくもない。

 私は時々、特定のスピリチュアルを批判する記事を書くことがあるが、もしかしたら私はそれが実は「好き」なのかもしれない。真剣に批判するということは、相手にそれだけの価値があるからこそする。なかったら、ただ放っておくだけである。



 中途半端ではなく真剣に嫌い合っている者同士は、大親友になり得るということか。(笑)

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