それしかない、からそれがある、へ
『新世紀エヴァンゲリオン』ネタで始めさせていただく。
綾波レイが、碇シンジになぜエヴァに乗るのかと理由を聞かれ、「絆だから」と答える。「私には、他には何もないもの」とも。
でも、ヤシマ作戦終了後、身を挺して自分を守ってくれた綾波のもとへシンジが駆け付け、こう言う。
「自分には他に何もないって、そんな悲しいこと言うなよ」
会話の最後、笑えばいいと言われた綾波は、ぎこちなくも素直に笑ってみせる。
悟りというのは、エヴァで言う『人類補完計画』が個人レベルで中途半端に達成されかけた状態を指す。現実的にはほぼ起こらないが、仮にもし達成されてしまったらその者はこの世界から消える。「私は分離個体として存在する」という幻想上の真実でありこの次元を超えた視点からのウソを信じ続けることが困難になるからだ。自分の仮の存在形態を維持できなくなり、ワンネスに還る。
筆者も、先ほど言った「中途半端に人類補完計画が何か分かった」状態で、本来は自分はおらず他人はおらず、ただの幻想であることが分かった。唯一信じられるのは「絶対無」、本来は何も存在しないこと。
生半可に悟ると、それを理解した反動で「虚しさ」が襲ってくる。
その虚しさを埋めようと、意識的であれ無意識的であれ『強く生きよう』とする。
悟り人の個性にもよるが、「芯が強い」「ブレない」という印象を他者に与える場合が少なくない。でもそれは、宇宙の裏事情を下手に知ってしまった者のみがもつ「虚脱感」を埋めようとする現象の表面上の減少に過ぎず、本当に強いわけではない。すごい奇跡的な現象を見て感動しても、あとでそれには手品のようにタネがあったと分かった時のガッカリ感。「なぁんだ。そんなことだったのか」という虚脱感。
一切の雑念も恐怖も疑いもなく、完璧に目的に徹してエヴァに乗れている綾波レイを、たとえば「悟りを得た人」と考えてみよう。「私には、他には何もない(分離個体としての人とは本来何者でもない)」と気付き、そこに徹頭徹尾ブレずに生きることができる。
しかし、肉体をもって生きるということは、悟り人には幻想だろうが実際に目の前で起きている現象としては「自分だけではない」。
綾波に声をかけてくるシンジは、たとえるならこの世界の大勢の人間の代表。彼らは「この世は幻想・他人はいない」をやたら大事にする「分かりかけ悟り人」に語りかける。
「そってホントだろうけど……そんな悲しいこと言うなよ」
たとえ幻想だろうが、この世界には1(いち)以上の数があるのだ。
私がいて、あなたがいる。みんながいる。そしてそのひとつひとつの糸(絆)は、どれ一つとして同じものはない。
それが豊かさ。それを大事にするのが、この世という生きるということ——。
皮肉な話であるが、綾波は「これしかない」を極めた結果、「これこそがある」 にたどり着く。そして、さらに発展して「これもある」にすらなった。
「これしかなかった」のが、シンジというチームメイトと共に生きることで、「これがあるじゃないか」という反転した見方ができるようになったのだ。そこに気付くと、周囲の世界は一気に広がりを見せる。
様々な「他」を意識できる余裕のある視点になると、「これも、あれもある」となり、さらに豊かさが増したような心持ちになってくる。
非二元の罠は、悟った時のインパクトが強すぎ、あちら側に片足をつっこむので浮世離れすることである。常識に根差した当たり前の暮らし、因習、気持ちが乗らないがしなければならないこと(仕事・社会的役割上の義務)に対して後ろ向きになること。もちろんこれには個人差がある。
覚醒の通過点として、そこは仕方なく通過する。でも、またこちらに戻ってくるのだ。結局はこの世界で、無数の人間関係の中で生き続けるのだから。
そこで、「本当は何もない」 → 「幻想だがせっかくこれも、あれもあるんだから」と悟り人は成長していく。
それが、二元で生きるということである。
筆者はかつて、キリスト教の聖職者になろうと努力した。
その研修の過程が、やたら厳しかった、何度となく、自分には向いてないかも、とか辞めよう、とかも思った。でも、40歳近くになって今更他を目指すのも、という気持ちと、やっぱりこの教えが好きで、広めたいという思いがあったから、頑張って踏みとどまった。
私がある時、指導教官のような立場の人に、その胸の内を告白したことがある。
「……辛くても、辞めたくなっても僕にはもう、これしかないんです」
そう言うと、教官はこのように言ってくれた。
●これしかない、んじゃない。これこそがある、だ。
あきらめなければいつの日か、「これも(あれも)あった」と言える日が来るさ。
この世界で、寿命まで人として生きていくと覚悟を決めた私。
もう私には、分かってはしまったが非二元の境地は意識する必要がない。これからは、これもあれもあり、色んな大事なものがあるという世界に浸かりきる。
もちろん、自他の概念を強め他が「在る」とする生き方を選択するということは、そこに仏教で言う『苦』が生じることになる。でも、それは覚悟の上だ。
それを納得した上で引き受け、私は無数の「個」に囲まれて生きる。
苦しいことがあっても、笑うこともある——
そんなこの世界が、私は結構好きかもしれない。
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