巧妙な論理のすり替え

●無知を恐れるな。

 偽りの知識をこそ恐れよ。


 ~ブレーズ・パスカル 1623~



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 本書の少し前の記事で、『スピードラーニング』という英語教材に関して、ちと物申す記事を書いた。今回はまた別の点で、ツッコミたいことがある。

 ラジオで宣伝を聴いていると、こういうことを言っている。

 スピードラーニングが、「勉強しない」「CDを聴き流すだけ」で英語がマスターできる、という根拠として次のように説明している。



●そもそも、言語とは勉強するものではないんです。

 赤ちゃんが言葉を吸収する時、勉強なんかしてませんよね?

(ただ、周囲の音を聴いてますよね)



 なるほど~! と説得されてはいけません。

 一見、説得力があるように聞こえなくもない。しかし、致命的な矛盾を巧みに隠して、説得力ある話に化けさせていることが分かる。



●この理屈では、赤ちゃんと大人を同列に考えている。

 双方とも確かに同じ人間であるが、生物的な発達段階という視点では、体の仕組みや外界の捉え方自体が全然異なることを見逃すべきではない。大人になってしまうと、幼児の頃のように吸収できないのだ。それができるんだったら、大人の誰もが語学習得など屁でもなくなるはずだが?

 このスピードラーニングの宣伝は、そこをサラっと無視することで、いかにも聴くだけでいいと受け取れるような認識にミスリードする。



 聴くことが超大事なことは認める。

 ただ、「本当にそれだけで語学が身につく」というのは危険だ。

 大人というのは、いわば人間として肉体的な成長としては完成された状態。あとは、老いていくだけだ。

 その、成長としては完成に行き着いた状態の大人と、成長途上の子ども、ましてや生き物としては同じ種でも外界情報への認識流儀がかなり違う『乳幼児』と同じに語るのは乱暴だ。

 赤ちゃんがこうだから、大人も……というのは、ちょっと理屈として成立させるには無理がある。



 このように、この世界に溢れている情報の中には、本当は比較対照したり因果関係を考えたりするのにふさわしくない2者を、巧みな話術であたかも成立するかのように言いくるめてくる甘い宣伝も多い、ということである。

 何のために? 儲けるために!

 筆者のような立場も、実は気を付けないとこれをしてしまいやすい稼業のひとつである。ただし、こちらの場合スピードラーニングよりも怖い。

 具体的なモノだったら、ウソは言い訳の利かない場合も多い。化学的な効果とか、ウソや誇張があったらすぐに摘発できる。しかし、宗教やスピリチュアルは目に見えない概念的なものを扱うため、この「論理のすり替え」が成功しやすい、という怖さがある。

 内容を厳密に証明する手段がない、ということも怪しげな情報が「真理としてまかり通る」ことに一役買ってしまっている。相手に信じさせてしまったら勝ちなのだ。

 挙げればいっぱいあるが、ここでは一例だけ考えてみよう。



●我々は、もともとひとつ。(ワンネス)

 私はあなた、であり実は分離していない。あなたはいない、他人もいない。

 だから、もとはひとつなんだし、分かりあえる。仲良くしよう。



 私は、『仲良くしよう』という部分には大賛成である。

 でも、この場合その根拠がいただけない。

 筆者が本書の膨大な内容で訴えてきたことからすれば——



●確かに、一元(非二元)において、分離はなかった。

 でも、ここは自他という二者以上を、無数の個を認識できる「二元」という世界。わざわざ「分離」を味わう目的でこちらにきている。

 つまり「もともとひとつだったのだから仲良くできるはず」という理屈は、本来同列に並べて比較対照するべきでない二者を、さも相通じるもののように扱う誤魔化しなのだ。



 アフリカから日本にやってきた人が、アフリカではこうだったということを思いだし、日本でするにはそぐわないことをするようなもの。

 例えば、アフリカでは動物を狩りして生きてきた人が、日本で動物園にいる動物を昔を思いだして殺したら?(まぁ、柵とか檻とかあるんで、簡単じゃないけど)

 家で靴を脱ぐ習慣がない外国人が、日本で土足で家に上がりこんできたら?

 日本でゴミをポイ捨てしても(嫌な顔はされるが)警察に捕まるほどのことはない。でも、何も知らないでシンガポールでゴミをポイ捨てしたら捕まってしまう。

 このように、「あるものがこうだから、これもこうだ」と言えるためには、かなり厳しい条件をクリアしないと、同列には語れないのである。



 そもそも、この次元には「分離上等!」で体験に来ているのだから、分かり合えなくて当たり前。

 でも、それでもそこを乗り越えて、互いが幸せを得られように賢く調整していく。それこそが「この世ゲーム」なんではないか。

 そこに、こちら次元で遊んでいる分には持ちだしてきても意味のほぼない「非二元」や「ワンネス」の概念(概念にした時点でアウト)を語って、それが我々の平和や幸せの根拠とするなど、何の冗談か?

 ましてや、分かり合えることの根拠としてワンネスを持ちだすなど……



●分かり合えなくても、それぞれが気持ちよく生きれるような「妥協点」を探りだすこと。この世界で望みうる最上の「平和」は、それである。

 なのに、誰もが「分かり合える」ことも含めた平和を目指すなら、「苦」が生じる。存在しないものを求めるからだ。ないものを追いかけても、得られるはずがないから。

 でも、そのないものを「ある」とウソをつくのが宗教であり、(時に)スピリチュアルなのだ。



 あなたが弱っている時。悩んでいる時。

 あなたに深く考えさせず、それらのものはあなたの心の隙間につけ込んでくる。

 気を付けるに越したことはない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る