傷付くメカニズム
『ヤマアラシのジレンマ』という言葉がある。
寒空にいる2匹のヤマアラシがお互いに身を寄せ合って暖め合いたいが、針が刺さるので近づけないという、ドイツの哲学者、ショーペンハウアーの寓話に由来する。
人間関係の機微というか、奥ゆかしさを感じさせる表現ではある。
でも、この言葉は人間側の勝手な都合でできた言葉である。
そもそも、ヤマラアシの立場に立ってみれば、そのあるがままが自然で完璧。
ヤマアラシには、針の存在などちっとも困らない。あるのがそもそも当たり前なのだから。
彼らは同じ種同士で交流する時、頭部をすり寄せ合ったり、針を避けて必要な部位を接触させる術を心得ている。というか、息を吸うみたいにそれが当たり前で、「不便だ」とは露程にも考えていないだろう。
背中をすり合わせられない自分たちは不幸だ、なんて思ってない。その世界を、外側の「人間」という、実に好き勝手にものを考えるやつらが、「自分がヤマアラシだったら」というアホなことを想像する。近付いたら、痛いだろうなぁ、と。
●そら痛いですわな。
ヤマアラシの生態もよう知らんと、自分の尺度で想像してるんやから。
体を接近することをゆるせることが、親愛の証しと思っているのは、人間である。
愛もその度合いが進行すれば、肌が触れ合うこともゆるせるようになる。
で、それを勝手にヤマアラシに当てはめて考える。自分たちが何かを理解するという知識欲求(あるいは表現欲求)のために、なんでも勝手に利用するのが人間である。当のヤマアラシたちに、ジレンマなどない。
さて、話は変わりますが、あなたは最近「心が傷付いた」経験をしましたか?
誰かに傷付けられた! あるいは傷付いた! と思えることが何かありましたか?
(超厳密には心が傷付く、という文字通りのことは起こり得ない。あくまでも人が生きる上でそう捉える方が便利だから比喩表現として用いているだけ。それはまた膨大な別方面の話になるので割愛)
傷付く、傷付けられるというのはどういう場合に起きるものか分かりますか?
●情報不足。
はい、たったこれだけです。
たとえば、めっちゃ日常な範囲のことで考えよう。
コンビニのレジに並んでいる順番抜かし。車道での強引な車線変更。あなたの好きな人が、あなたの嫌いな誰それと一緒にどこかへ出かけた、と聞いた時。
妙に、心の底にモヤがかかったような、何ともすわりの悪い気持ちになる。個人差によって、その濃度や強度はピンキリである。
抑え込む人もいるし、口に出して本当に文句付けてくる人もいる。でも、相手の事情を良く知れば、その怒りや不満は、立ち消えになるものである。
もし、仮に相手の本当の気持ちを読むことができた、として。
行列の順番抜かしをした人物が、「ただ列に気付かなかっただけ」であり、本当に悪気がなかったということが実感として知ることができたなら、要らぬイライラが消える。なんだぁ、全然悪い人じゃないじゃん。でも、要らないトラブルを招かないためにも周りには気を配るんだよ——。そう思えて終わり。
自動車の運転に関しても、その人なりの悩み事や考え事があったのかもしれず、疲労や急いでいる特殊事情などがあるのかもしれない。もちろん、だからといって何でもゆるされる訳ではないが、少なくとも事情を想像してあげるのはどうか。
相手のホンネが仮に読めるとしたら、それは学校の教科書の問題の答えが全部載っている虎の巻を買うようなもので、正解はするが努力したり成長したりする面白味がない。
この世界には、正解を簡単に手に入れて楽をするために来たのではない。分からない中で、限られたヒントから模索し、その人なりの納得を手にするために来た。
それが本当に正解かどうか、この地のレベルで答え合わせなどできない。死ぬまでには、億千万(日本語としてヘンだが、郷ひろみが使うので)の答えがある。
どれが正解かなど分からず、ただ「納得」があるのみである。正しかろうが間違っていようが「これがいい、これでいい」というような。
『七つの習慣』というロングセラー自己啓発本でも、地下鉄でうるさい子どもたちに顔をしかめて、しつけはどうなっているのかと父親らしき人物に注意したところ、数時間前に子どもたちの母親が死んだことを知る。それは、もし注意した人物がそのまま声をかけなければ、「あの日ものすごく行儀の悪い子どもたちがいた」という認識を、墓場まで持って行ったはずである。
もちろん、厳しいことを言えばだからといって車内で騒いでいい、という話ではない。でも、そうしてしまった「背景」を知ることで、余分な怒りや見下しは減る。
傷付く、という現象のほとんどのケースは、「情報不足」で説明できる。
パズルのピースがどっか欠けている——。そんな違和感にも似ているのが「ムカつく、傷付く」の原料である。その現象の真相に、数ピース足りない。でも人間はせっかちなので、その数ピース足りない状況で「締め切り」にしてしまい、それだけを前提として物事の判断を急いでしまう。
だから、貴重な情報が欠けたまま、レジで順番を抜かした人物を「人間失格」みたいな勢いで軽蔑したり、指示器を出すのも不十分な状態で急な車線変更で割り込まれたら、やたら攻撃的な気分になる。地下鉄でうるさい子どもは、「今時のしつけのなってないガキ」であり、あなたはイライラしたままである。その子たちの母親が死んだなど、知ろうともしないあなたには想像もつかないだろう。
ということで、本日のオススメ。
【あなたに時間的余裕がある場合】
●情報を集める。物事の全体の輪郭がクッキリするまで、気分や都合で判断しない。
もし、随分過去のことだったり、情報収集が困難な場合は、考え得る限り「あなたの心が一番落ち着き、納得する」解釈を探り、採用する。
※この場合、決して「自分に都合が良い、自分の利益になる」解釈というのとは一致しない。この場合の落ち着く解釈とは、たとえ悲しい、辛い認識になったとしても、それが一番納得される解釈であるなら、深い意味で「心が落ち着く」となるのである。決して、単純に「あ~よかった」という、あなたサイドに有利な無難な解釈のことを意味しない。
【あなたに時間的余裕がない場合】
●そもそも戦わない。取りあわない。忘れて、別のことに関心をもつ。
社会生活で他者のふるまいにエッと思っても、かなりの確率であなたは相手に問いたださないだろう。面倒だから。情報収集などする情熱はないだろう。
ピースの揃わないパズルは最初から取り組まない。メーカーに不足分を注文する面倒を引き受けてまで完成させる気のないパズルは、捨てる。
それでも、どうしてもそのこと考えたいなら、強引でもいいから相手に何か事情があったと考えること。
ただ、起きたことの代償によっては、相手を無罪放免にはできないこともある。
いくら事情が分かったとしても、だからなぁなぁにはできないこともある。(殺人・犯罪・交通事故や盗難などの被害)
その時も、「罪を憎んで人を憎まず」で、取るべき責任は取らせて相手の命にあなたの攻撃性を向けないこと。ゆるせないけど、事情を分かれば一生を修羅の道に捧げることまでは防げる。
今日のケースは、相手が明らかに「あなたを攻撃する意図をむき出しにして接してくる」場合を除く。それは、さらに厄介な別カテゴリーの問題の範疇になる。
現代社会人の大敵は、情報不足に睡眠不足!(笑)
今日も元気で、行ってらっしゃい。
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