愛は法則に勝てるか

 あるデパートの開店時間前の話。

 朝10時の開店を待って、並んでいる人たちがいた。

 数人の固まりになっていたが、そのうちの一人の女性が、入り口の前に立っていた守衛らしき人物に声をかけた。「あの、どうしてもお手洗いに行きたいのですが。開店時間前だとは思いますが、ちょっと入れてもらえませんでしょうか」

 それを聞いた守衛さん、こう断った。「10時になるまではどなたも入れない規則です。申し訳ありませんが、真向いにあるお店の方ででも頼んでみてください」



 これなどは、生真面目な人にたまたま当たってしまった不運と言えるかもしれない。上層部が、末端にそこまで徹底してほしいと思っているかどうか謎である。

 それにしても、困っている人を前にして「責任ならオレが取る!」くらいの勢いで入れてあげるくらいのことはできないのか、と思ってしまう。

 でも実際、そうして優しい顔を見せて便宜を図ったら、実は窃盗の常習犯で、見事してやられた……みたいな話もあるので、一概に責められない。マニュアル対応だとなじっても、当のバイトの人だって、何か問題を起こしたくない心理もある。彼にも生活が懸かっているのだ。

 今の社会構造は、実に世知辛さを生み出す宿命にあると言わねばならない。

 ちょっと違う話では、やはりデパートの開店前、冬に外で待っている老人が「寒いので中で待たせてもらえないだろうか」という懇願を、やはりガードマンが断った話もある。そういう話を聞くと、実に規則というものが恨めしくなる。



 とあるスピリチュアルメッセンジャーが、このようなことを言っていた。



●私たちが「自分でなんとかしなければ」ともがく際、自由意志の法則により天の助けは得られません。創造主たる私たちが「自分でなんとかする」と思っているからです。



 これは、一理ある。(でも絶対の真理とは言ってあげられない)

 この文脈で言う「天」は、さっきの話で言う 「守衛さん」 の立場である。

 助けてあげたらいいのに、そこには 「自由意思の法則」(デパートは防犯上、何があっても関係者以外の人間を店内に入れてはいけない) が優先するわけである。

 たとえば、ランプの精がご主人様から「明らかにそのご主人様のためにならないこと」 を頼まれた場合。頭では「やめたほうがいいのに」と思っても、実行したくなくても、「ランプの精は頼まれたことは遂行しないといけない」という優先法則がある場合、やはりそうする。

 でも、この世界観では「愛は法則性に勝てない」。



 一応皆さんに聞いてあげるけど、本当にそれでいい?

 あまり、現代人の好きそうな結論(真理)じゃないけど。

 気持ちでは、こうしてあげたい(愛)けど、事情がゆるさない (法則性が適用され、好き勝手にはならない)。皆さんが、その真実を認めるというなら、話は早い。もう議論は終わりだ。

 この世の根源、もっとも深いところは愛などではない。法則性であり一定の原理であり、もっと奥底まで分け入れば 「くう(一元)」 になる。

 そこは、至福とか完全な愛とかではない。



 筆者は最近思うのだが、「真実よりも、あなたがこの世界にどう在ってほしいのか」のほうが大事ではないか、と思うようになってきた。宇宙の真理は何か?と問い悟ったような人に教えてもらって「なるほどそうなのね」では怠け者である。



●あなた自身がどうなのか? どう思うのか?

 さらに突っ込んで、どう思いたいのか?

 あなたにとって、もっとも願う「宇宙の真理像・根源像」は何?



 色々なスピリチュアルを見ていると、無条件の愛とか至福とか完全ハッピーとか、そういう桃色一色バラ色一色のようなスピリチュアルがあったりする。

 実情からはかけ離れているが、私はそれはそれで人を集めて存続していく権利はあると思う。



●だって、いい世界じゃないか。

 愛が一番なんだから。

 だとしたら、それは真理性や法則性だって凌駕するんだろ?

 それがホントなら、こんな素晴らしい世界(分離した個としての人間にとって)はない。それに本気で懸けられるのなら、人生なかなかのものになる。



 愛が世界で一番強い、すべてに優先されるチカラだということなら、たとえで言うとさきほどの守衛さん(天の法則)は、目の前の困っている人を見て「お役に立ちたい」と愛の感情に掻き立てられる。で、法則(開店前の店内に防犯上人を入れない、という守衛としての原則的義務)を二の次にして 、入れてあげる。(愛の感情が法則性を超越した)。

 


 筆者はこれまで、悟りの視点から宇宙の根源やその存在意義について、結構身もふたもない話をしてきた。私はそれを究極の真実として、皆に広めようとも分からせようとも思わない。

 ましてや、「あなたたち間違っている」などと誤りを指摘する気もさらさらない。

 だから、私のような考えにしっくりくる、あるいはこちらを採用したいと思える方だけに採用してもらえればいい。必要な方に支持さえしていただければ、別に大勢の人気者になどならなくていい。

 私はもう、お役目柄今の主張を取り下げる気はない。あくまでも、私なりの体験や実感から、スピリチュアルや人の在り方について論じていく。

 でも、やはり真実がどうかに関係なく、「望む」ことは素晴らしいとも思う。すべてが愛。根源が愛であり光——。

 最初は何をバカな、という気持ちはあったが、今では私も少々お歳を召して (笑)、多少はまるくなった。宇宙は愛だ、という信念を全力で生きることもなかなか味があるな、と思えるようになった。

 ただ、「愛とは何か」という定義の問題もあるので、こういう議論をすると個々人間での認識のズレが要らぬ混乱を引き起こすこともあるが。他者を猫かわいがりに良い子良い子するだけのようなものを「愛」だと考えている人は、早晩破綻するだろうけどね。



『ジャイアントロボ』という古い特撮番組があった。

 少年の命令によって動き、怪獣を倒す巨大ロボットの話だ。

 ロボは、少年の腕時計状の発信機から音声を認識、受信し命令を実行する。

「飛べ!ロボ」と言われれば飛び、「パンチだ!」と言われたら攻撃する。

 機械ですから。設計された通りに動くのは当たり前である。機械ですから、その原理を超えて動くはずはない。設定されたことを超える力は本来ない。

 でも、この番組の最終回。

 敵の大ボスを抱えて、ロボは地球を離れて自爆を試みる。自分が無事では勝てないほど強かったからだ。それで、相打ちを狙ったわけだ。

 少年は、思わず人情的に「ロボ、戻れ! 行くな!」と叫ぶ。ロボとは長年苦楽を共にしてきた、いわば大事な存在でもあったのだ。

 でも、ロボは言うことを聞かない。なんで? なんで! 



「どうして言うことを聞かないんだ……」



 このお話を書いた脚本家は、どういう思いをこの話に込めたんだろう。



●愛は、すべてに優先する。

 必要なら、法則性や破りがたい枠をも粉砕する。



 そう願ったのではないか。

 我々の住む世界が、色々ありながらも最終そうであってほしいと思ったのではないか。このお話は、中盤で紹介したスピリチュアルメッセンジャーのお話とは正反対である。

 天は、創造主である人間が「自分でやる」と決めているので助けない。

 でも、天がその法則性を破って、助けるという話になるから。だってロボは、機械という枠を、命令は絶対聞くという原則を破って越えて、地球を救ったのだから。

 


 あなたは、目の前で赤ん坊が危ない目に遭っていたら、反射的に助けませんか?

 色々なことを考えた上で助けますか? ことによっては、自己責任だと助けませんか?

 世界が、宇宙が愛だというなら、私はすべてにそのような在り方を目指してほしいと思う。

 もちろん、この世界ではすべてが一期一会の、複雑な事情が絡み合ったまったく同じ経験の二度とない世界なので、いつもいつも愛のために規則をいい加減にすることは現実的ではないだろう。

 全部が全部は状況的に無理でも、できるだけ「便宜」を図ってほしい。

 守衛さんも、融通をきかせてトイレくらい入れてやってほしい。防寒のために、自動ドアの内側くらい提供してあげてほしい。規則より愛が優先される世界であってほしい。

 ジャイアントロボは、フィクションの物語とはいえ、「法則性の縛りの限界突破」 を我々に見せてくれた。もしあなたもロボに同意するなら、愛は奇跡を起こすと思うなら……是非、頑張ってほしい。



 あなたの願うような愛の最優先する世界になりますように。

 あなたがそれに懸けるなら、あなたが夢に一歩でも多く近付けますように。

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