思い通りにいかない、の向こう側

 よく、この世界の特徴のひとつとして「思い通りにならない世界」であることが挙げられる。

 もちろん、夢が叶うことはあり、思い通りに物事が運ぶこともある。

 ただし、あなたの人生のすべてを包括的に見る視点では、圧倒的に思い通りになっていないことのほうが多いはずだ。「ああ、思い通りにいかなかった」と自覚的に思える事柄もあれば、思わずテレビのリモコンを足で踏んずけたので勝手にスイッチが入ったとか、離れた場所からゴミ箱にゴミを放ったら外れて、結局ゴミ箱手前まで歩くことになるなど、それほど大したことない事柄まで含めて、実にほとんどのことをあなたはコントロールできていない。



 筆者は本書のメッセージの中で、たまに「思い通りにならないことを味わうのが目的で、この世界が創造された」というようなことを言うことがある。

 単純に考えたら、ヘンだ。思い通りにいかないということは、素直に考えたらやっぱり楽しくない。

 次元を越え、存在そのものが根本的に違えば、あちらは本当にこちらには信じがたい発想をするのかもしれない。だから、「思い通りにかないことが本当に好き」なのかもしれない。

 でも、その理解で終わってしまっては、この二元性に生きる私たちの役に立たない。今回私は、この「思い通りにいかないことを味わうのがこの世界の存在目的」という言葉をもうちょっと修正する必要があると感じたので、言い直しを試みる。



 本当に、究極に「思い通りにいかないことそのものを味わうのが大好き」なのだとしたら、マゾだ。

 思い通りいかない苦痛を味わって終わり、などというのが人間肉体という道具をこさえてまでやりたかったことのはずがない。それはつまり——



●思い通りにいかない、ということを求めているように見えるのは、表面上のこと。

 その思い通りにいかないことを通してこそ、感じられる『喜び』があるからだ。

 それは、物事が思い通りにいった時に感じる喜びとは異質なものである。



 思い通りにいかないことが喜びになる、というのはヘンに聞こえるかもしれない。

 その代表例が、『子育て』である。

 短期的に見てみれば、その時々でこんなにイライラしたり落胆したり、怒りが湧いたりする営みはない。もちろん、子どもはかわいいし、愛してもいるだろう。幸せを感じる時間もある。でも、それとは関係なく実にタイヘンなことが容赦なく降りかかるのが子育てである。 

 でも、実に不思議なことに、残念な例外もあるがしかし大枠で人類は——



●その実に思い通りにいかない代表格であるその行為を、大枠では放棄してこなかった。親たちは、成し遂げてきた。だから人類は増えてこの地球に在る。

 これは、ある意味すごいことである。



 裏を返せば、子育ては「思い通りにいかない」その大変さで終わらない、ということだ。そこをつかんでいるからこそ、世の親たちは子育てを放棄しない。あきらめない。今日も、弁当を作り、面倒を見、必要なら相談にも乗り寄り添う。

 もちろん、嫌われたりケンカも多いかもだが……

 


●思い通りにいかないことの向こう側



 そこに、何かある。それを得るために、人は思い通りにいかないことを経験しようとする。

 結論として、思い通りにいかないことをわざわざ体験しようとするそのわけは、人間側視点では「思い通りにいかないからこそ得られる喜び」のためである。そう考えると、「思い通りにいかない」に対して二つの見方があることが分かる。



①短期的スパンでしか見れない。



 子どもが学校で問題を起こした。受験に失敗した。ご近所にも恥ずかしいことをした、等々。

 目の前の「思い通りにいかない」事柄の内容が重すぎる時など、人はイライラする。思い通りにいかない=最悪、という単純な思考をしている状態。



②長期的スパンで、物事を見る。



 長い長い子育てを終え、子どもがそれなりに一人前になって、巣立っていく時。

 社会人になったり、嫁に行ったり。ケンカばっかりしてきた気がするけど、一言「今まで育ててくれてありがとう」と言われた時。

 そういう時に感じる喜びは、気も遠くなるほどの「思い通りにいかなかった戦い」の積み重ねの果てにある。もちろん、それは実際に積み重ねた者にしか味わえないが、しかしある程度「こういうものだろう」という予測が魂でできる。期待もあこがれもできる。

 それを見据える視点がどこかにあるから、人は目の前の「思い通りにいかない」を受け止め続けることができる。そのモチベーションを保てる。

 思い通りにいかないということは、そのイヤな見かけに似合わず「まったく別の素敵なもの」を裏に隠し持っているものなのだ。それを見つける「かくれんぼ」こそが人生である。

 思い通りにいくことを目指すより、思い通りにいかないことに真摯に向き合って、思いがけない全く別の「宝」を得ることの方が、単に物事に成功する以上の深い味わいがある。



 これまでの経験から、今回みたいな話をすると「じゃあ子どもが欲しくてももてない人間はどうしたらいいのか。そういう人の気持ちはどうなる」と文句を言ってくる人がいるので、一応フォローすると——



●何かを生みだす。クリエイト(創造)すること。

 自分の子どもでなくてもいい。何かを「育てる」こと。



 これだったら、幅広く誰でもできる。

 子育てよりも手軽に、「思い通りにいかない向こう側の宝」を見つけられる。

 あなたが先生になって、誰かを教えるということでもいい。ペットを大事に飼う、ということでもいい。音楽や小説・絵画などの芸術作品を、産みの苦しみと喜びをもって世に誕生させることもいい。

 私たちは、その気になればどんな手段でも「思い通りにいかない向こう側を覗ける。その「覗けた瞬間」こそが、これまでの苦労が報われる瞬間なのだ。

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