Q&Aのコーナー第七十一回「すべてが決まっているって言ってますが、少しでも疑うことはないんですか?」
Q.
例えば、背中が痒くなって、手を伸ばしかいて、それからトイレに行き、寒くなったから便座が冷たく感じたから電気を入れるなんていう日常のささいなことさえ、あらかじめ決まっているということですよね?
すごい話ですが、でも、たまには「すべてが決まっているわけではないかな」と筆者さん自身思うこともありますか?
A.
覚醒視座からは、その確信は不動のものです。
ただ人として生きてますので、自分で言っておきながら「すべてが決まっている」とは日常まったく意識していません。
皆さんと同じように、普通に生きています。
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この質問者のする勘違いと似たようなことは、スピリチュアル好きによく起こる。
覚醒者やメッセンジャーが、覚醒体験や現実では考えられない神秘的な体験をした、という話を聞くと、つい皆さんは——
●すぐに、そういう人を「あっち側(自分とは違う側)に属する人間」と分類して考えてしまう。
昔、オウム真理教の教祖である麻原がまだ問題を起こす前、ある大学の学園祭に招かれて登場したそうな。
尊師への質問コーナーというのがあり、大学生たちは自分たちの住む世界とは別世界の人間を見るような目で、普通身近な人間にはしないような質問を浴びせかけた。
「テレビは見ますか?」
「お風呂には入りますか?」
「入るなら、シャンプーとか石鹸は使いますか?」
「服は、どこで買ってるんですか?」
せっかく宗教の教祖が来てるんだから、学生ならもっと他に有益な質問ってものがあるだろ! と思ってしまうが、まぁ勉強のことは学園祭の日くらい考えたくないだろうし、仕方がないかも……
尊師は尊師で、お風呂に関して頻度は正確に言えませんが、必要だと感じれば入ります、と真面目に答える。洗うのには主に牛乳石鹸を使ってますね(『メリット』というシャンプーは使ったことがあるとか)と麻原が言うと、学生たちは「へぇ~!」などと驚きの声を上げていた。
もう完全に、宇宙人扱いして喜んでいる。
たとえば、こう考えてみよう。
あなたが、南アメリカのアマゾンに旅行に行ったとする。
そこでは、食用として日本人にはびっくりのある「虫」が、貴重なタンパク源として食されていたとしよう。あなたは、それらが店で売られているのを見たり、旅先で食べるように勧められたりして「ゲ~~~!」と思うだろう。信じられない! みたいな。
で、あなたは日本人なので、当然旅先から帰ってくる。
「ねぇねぇ、アマゾンどうだった?」
あなたは、仲の良い友人にせがまれて、旅行記のような話をしてあげるだろう。
「聞いたらビックリするよ。あそこはね、なんとこ~んな虫を食べるみたいなの!」
そこですかさず、スマホで撮った、皿に盛られた虫料理の画像を見せる。
「うっそ~なにこれ! びっくりやわぁ」 そんな話で盛り上がるだろう。
さて、今のお話で何が大事か?
●あなたは、確かに異国での現実を見てきた。
でもあなたの属するのは日本で、あなたはそれを見たけど自分の基準からはなじまない。受け入れがたい。だから、日本に戻ってきたなら、アマゾンはこんなだったという良い経験ができてよかった、ということでその後あなたはそうそうアマゾンのことも思い出さず、元の日常に埋没するであろう。
筆者確かに、世で「非二元」と呼ばれるであろうところのものを垣間見た。
でも、私は結局その後「解脱」して、一元に根源回帰したわけでもない。やっぱり、依然として「賢者テラ」という分離キャラのままだし、やはりこちらの世界に身を置いている。
だから勘違いしないでほしい。私は、アマゾンへの日本人旅行者と同じだ。
故郷は日本(地球)であり、いくら異国(別次元)を旅して、そこのものを見てきた・感じてきたと言っても、そこの文化に惚れ込んで服装や言語、立ち振る舞いまでアマゾンの住民みたいになって帰ってくるわけではない。(中にはそういう人もいるかもしれないが、こちらで生きるのにかなり苦労するであろう)
●だから、私は非二元の体現者でもなんでもない。
ただ、見て帰ってきただけの旅行者に過ぎない。
筆者さんは「起きることはすべて決まっている」といつも実感されてるんですか? 逆に「やっぱり、すべてが決まっているわけではないよなぁ」と感じられることはありますか?
そういう質問をされても、困る。
実感、という意味合いではそんなものはない。結局あとで、人間自我で思い出し掘り起こす程度のものを、本当の「非二元の実感」とは無責任過ぎて言えない。
残念ながら、この世界には「変化」という要素がある。
一瞥体験したその瞬間をマックスとして、日を追うごとにその感覚は遠のいていく。なぜなら、足場がこちらにあるなら、全然相容れないあちらの体験はどんどん不可抗力として遠のいていく。
遠のかない、という人がいるなら、危ない。悪いことではないが、「あちら」に引っ張られる。分離を卒業しにかかってしまう。それが本望ならもちろん問題ナッシングであるが。
今ではもう頑張って思い出すしかない。正味のあの日のあの経験の感覚は。
二元性で、筆者という個が自分の感性の範囲で捉えていることなので、そもそも正確かどうかも怪しいと言えば怪しい。
ちょっと飛躍した話になるが、先ほどのアマゾンへの旅行の話だって、あなたをどっかの秘密組織がさらって、脳手術か薬物かを使い、あなたは実際にはアマゾンに旅行など行ってないのに「アマゾンへ行ってきた」という記憶を植え付けられて、帰されてしまった場合。あなたは組織にさらわれた記憶は都合よく消されているので、友人には「アマゾンへ行ってきた」と、ホンネで話すことになる。
もちろん、パスポートの記録はもちろん、お土産や現地での写真もちゃんと持たせておく周到さ!
筆者は、天に誓ってウソなどついていない。
ただ、それは私という主観においてしか責任を持てない話で、それを超えた次元では何も保証できない。だから、私にとっては「すべて決まっている」はウソではないが、自分が肉体をもった人間に過ぎないことをわきまえているので、無責任とかそういうことではなく正直に「本当のところは分からない。絶対な保証などできない」と言うしかない。
だから、あえて「本書には真理は書いてません」と断りを入れているのである。
筆者はアマゾン(非二元)から帰って後は、日本での生活に戻っている。
だから今、フツーに暮らし、フツーの発想をして生きている。
私は著書でも、本書の過去記事でも「日常ほとんどスピリチュアル的なことは考えていない。きっと、スピリチュアル実践者の誰よりもスピリチュアルを考えていない」と言ってきたはずだが、質問者さんはそこを読まれていないのだろう。
すべてが決まっているって言ったって、そんなの無意味でしょう? この世界で、この世界の流儀で生きるなら!
現地に永住する気もない日本人が、ちょっとアマゾンを見てきたからって、日本を基準にして受け入れがたい文化は旅行後すぐ忘れるでしょう。同じで、私は普通行き得ない次元で、元の世界の基準からは受け入れ難いものを見、知った。で、こっちへ戻ってきたので、「もういいや。くわばらくわばら」って感じ。
だから私は、ほとんど「すべてが決まっている」なんて日常意識しない。
その話題自体を考えないから、「いや、もしかしたらすべては決まってなんかいないんじゃ?」とかいう思考にも行かない。私は普通に過去を思い出し、今日を生き、明日を夢見る。
●相手が人間であれば、非二元なんて本当の意味で体得しているやつなどいないと思いなさい。
いるように見えても、そいつはそういうフリをしているだけか、それがフリだとさえ自覚できないで自己暗示に陥っている「オバカさん」だと思いなさい。
覚醒者やスピリチュアルメッセンジャーを、何か特別な人間だと思わないほうが無難だ。私たちは「旅行者」に過ぎない。現地に永住権を取って戻らない覚悟で知ろうとする者は、有名人になるようなスピリチュアル指導者の中にはいない。
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