あなたはどこに賭けるのか?

 この世界で絶対にムリなこと。



●すべての人にとって、時間と場所・人種性別文化の違いを超えて、誰にとっても絶対に当てはまる、間違いのない生き方・考え方の提示。



 たとえば、1+1=2とか、地球上で重力が働いている、という事実とか。

 それは、TVゲームで言うと「最初からプログラミングされている設定」。スーパーマリオで言えば、道中設置されているブロックとか。随所に配置されているクリボーとか。

 それは、誰にとっても同じである。その類のことなら、指摘は可能だ。

 


 ただ、精神世界の話において。

 この世の現象や見えない内的世界におけるメカニズムの説明やしくみについて。

 個々の魂の世界だけでなく、その範囲は前世・霊界・他次元にも及ぶが、そういうお話に関しての「絶対な事実」は分からない。

 生き方なんて、人それぞれ。生き方指南の本が沢山世にあるが、どうしてもすがりたい人は仕方がないけど、放っておいてくれというもの。その人の人生なんだ。好きに生きさせろ。

 やっぱり、生まれてからの教育、それを万民に押しつける社会システムのせいで、「自分に自信がない人」「自分より優れている他者に頼ろうとしてしまう人のさが」が植え付けられてしまったのね。

 


 色々な宗教が、「自分のとここそ真理を言っています」と言う。

 スピリチュアルは、そこは宗教ほどではなく「ソフト路線」ではあるが、多少それを匂わせた内容にはなっている。直接的な表現では言わないが、ウチでないと助からんよ。幸せになれるのはこの方法だよ。だから本を買いトークライブにもいらっしゃい。高額だが、長期セミナなんかでるともっと劇的に変われるよ——というニュアンスのことを暗に言っている。

 何度も言ったが、生まれ落ちた時の舞台設定やキャラ設定が最初から違い、その後に辿る人生も全然違ったものになる無数の個々人において、世界観 (この世界に施す解釈)が同じになることはない。

 確かに、ひとつの宗教に信者が大勢いたり、あるスピリチュアルに大勢の人が信頼して実践しているということがある。それをもって 「ホラ、人同士で同じ信念を持てるじゃないですか。この輪が世界に広がれば……」 なんてことを言う。

 そういうことを言う人は、次のことが理解できていない。

 同じキリスト教を信じる場合でも、信者によって信仰のきっかけも、理解の深度も違う。ある部分では、信者同士で全然解釈が違ったりする。 

 大枠の見せかけ的な部分で、思想信条が同じに見えるだけである。深く見ると、誰一人としてきれいに、まったく同じものを信じている人などいない。



 筆者は、本書のようなメッセージをもう9年以上も発信し続けている。

 特に今など、大して儲かりもしないのに相変わらずやっている。

 一体、何のために?

 自分が真理(何が正しいのか)を分かっており、皆が分かっていないようだから、説き続けているのか? 皆が理解しなくても、無条件の愛で (笑)なおあきらめずに、聞く人がいると信じて希望を持って叫び続けているのか?

 ちが~う。

 私は、本書で自分が言っているようなことは、「主観というものしか持てない人間として、生きる以上は主張したいことをただ主張しているだけ」だとわきまえている。つまり、言いたいことを言っているだけ。

 誰が読もうが内容に感心して採用しようが、くだらないと批判しようが、どうでもいい。賢者テラという、分離したいちキャラとして。ひとつの独特の個性をもった一人として、私個人の好きな話をしてるに過ぎない。

 本書を読みにに立ち寄ってくれる人、動画配信を視聴してくれる人、本を買ってくれる人——。

 皆、「賢者テラの賛同者」ではないと信じ、また期待もしている。ただ、「こいつおもれぇ」で、覗いてくれている物好きな人たちであってほしい。

 だって、人生の主人公はその人であり、結局その人の信念のコアを作るのはその人の体験と、それを総合的に分析し生きることに関して出した「答え」なのだから。私などの書くことは参考程度でオーケー。



 スピリチュアルなどは、百貨店に並んでいてお客様に選ばれる商品に過ぎない。

 お客様が手に取ってくれるまでは、自己主張しない。

「買って、買って~!」などとふなっしーのように飛び跳ねて自己主張し、購入をゴリ押しする商品などあったら怖い。商品はじっと動かず、売ろうとする店の人間側が、ディスプレイなど見せ方をちょっと工夫する程度のこと。

 指導者も一緒になって、自発的に自分の発信を世界に広めようとしていたら、それはスピリチュアル本来の動きに逆行している、と指摘せざるを得ない。

 ハッキリさせておくが、、もし筆者が何のためにスピリチュアルな発信活動をしているのですか? と聞かれたら、それはメッセージを広めよう、人を救おうという高尚チックな理由ではまったくない。99%、生活のためである。ゼニのためである。

 この世ゲームを続けるなら、ゼニを稼ぐ必要があるから、その場合私は節操のないことでもする。山籠もりしたり、寺籠りしたりして世と絶縁する気もないので、多少は世に魂を売ってでも、生きる(……と思う。多分)。

 奥さんも子どももいるからね~。



 この世界で、自分の外の世界に向かって何かを発信するという行為は——



●ルーレットで、ある数字にチップをすべて賭けるようなもの



 ……だと思ってもらうといい。

 あなたは、ルーレットが回っている間、その数字に玉が来ることを全身全霊で願うはずだ。もちろん、あなたにとってはあなたが賭けた数字になるのが最善だろう。でも、あなたの他にもゲーム参加者がいるのである。

 その他人は、別の数字にチップを張っている。もしその数字になれば、あなたは残念かもしれないが、その当てた他人は幸福になる。

 つまりさ、そういうレースだ。戦国時代ゲーム。群雄割拠ゲームなんだ。

 スピリチュアル実践者は、なんでこのことに気付かないんだろう?

 ワンネスとかいう理屈を持ちだして、私たちはもとはひとつなのだから理解し合える、などという無茶な理屈で希望を持っているが、笑える。



●元はひとつ → つまり個々の人間同士は理解し合える



 これ、短絡的思考ね。

 実際は——



●元はひとつ

 → でも、ひとつであり完全であることに飽き、刺激がほしくなった

 → 分離して、分かり合えない体験を楽しむことをを目的としてこの世界を創った

 → やっぱり分かり合えない。でも、みんながゲームを続ける意欲を無くさないように、時々は勝たせてあげる。ひとつになった感覚を味あわせてあげる

 → アメとムチで、宇宙ゲームは続いていく……



 まるで、パチンコ屋や。(笑)

 あっちも商売やから、トータル的には儲けないといけない。お客様に損させないといけない。でも分かりやすく露骨にそれをやると、誰も来なくなる。

 だから、時々出玉を調節して勝たせてあげる。そしたら「あの時勝てたたのだから、頑張り続けたらまたそろそろ勝ちが来るかもしれない」と希望をもって、パチンコ屋に通い続けるのだ。



 この世界のどんな意見も、どんな格言も、どんな著作も、全人類が納得の真理を言うことはできない。いや、ひとつだけある。それは一切は本来無(非二元・一元性の話)という話だが、そんなもん日常生活の助けには屁ほどにもならないので、まったく意味なし!

 結局、生き方とか意識の持ち方とか、何に価値を置くかなんて個性の問題。趣味の範疇。これが正しくてあれが間違い、とかない。

 ないけど、どこかの数字に賭ける以上、それを基準としての「正しい・間違い」は生じる。本書の内容は、そこの議論と指摘に尽きる。

 すべての人に合う真理などないので、本来は黙して何も言わないのが良い。でも、この世界にはあえて「偏り」を体験しに来た。

 それだからあなたは賛同者を得、友を得、ウマが合わない人嫌いな人もいる中でそれでも「幸せ」を求めるために、あなたは自分が一番信じたい思いに賭けるのだ。

 それが、生きる楽しみである。ワクワクドキドキしながら、ルーレットが回るのを見ていればいい。

 その結果どうでも、死ぬまではまだまだチャンスがあるのだから、生きている時間の限り精一杯頑張れ。

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