相手をその気にさせる

 お笑いの替え歌芸人・嘉門達夫のネタに、『お前やー!』という笑えるものがある。(笑えるかどうか、ツボるかどうかはもちろん個人差があります)



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「この中に一人、キャバレーの前でお客を呼んどるやつがおる。お前やろ」

「いえ、違います」

「なら、九九の二の段言うてみ」

「にいちが2、ににんが4、にいさん寄ってらっしゃい」

「……お前や~!」



「この中に一人、仕事もせんと毎日ブラブラしとるやつがおる。お前やろ」

「いえ、違います」

「なら九九の六の段言うてみ」

「ろくいちが6、ろくに仕事もしてません」

「……お前や~!」



「この中に一人、夫婦ゲンカした妻がおる。お前やろ」

「いえ、違います」

「なら九九の段言うてみ」

「くいちが9、くにへ帰らせていただきます」

「……お前や~!」



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 このネタ面白い、で終わっておけばいいものを、面倒な性格の筆者はこれをいちいち分析して考えてみる。

 人間、うまく生きていけるように、ある意味自分を飾って生きている。

 また人間とは、「ええかっこしい」であるとも言える。できれば本当のところを隠しておいて、穏便に済ませたい。突っ込まれたくない部分は、相手にスルーさせたい——。

 だから最初に「お前やろ」と指摘されて、まずは「いいえ違います」と言っている。これを『防衛機制』という。いい自分、問題のない自分を演出したいから真実を隠すのである。

 でも、あきらめずに詰問相手は奇策に出る。九九を言わせるという!

 問題の核心と、九九を言わされることとの間に関連性を見出せないので、警戒心がゆるむ。それを言ったところで、問題にはならないと踏んで。

 でも、そこに罠が待っているのである。

 


 なぜ、九九を言わされてまんまとネタばれさせられてしまうのか?

 自分の今の境遇(本当のところ)と、九九の言葉が似通っているところにトラップがあるからだ。

 人は、悩み事やホンネを「格好つけから隠したい」という表の思いとは裏腹に、どこかには「言いたい、誰かに聞いてほしい」という逆の心理も併せ持っているものなのだ。

 だから、仕事もせんとブラブラしているやつを暴くケース、そしてケンカ別れした妻を暴くケースでは、そのホンネを引き出すために「言いやすい誘い水」を向けているのだ。

 キャバレーの呼び込みを暴くケースでは、これは単に「習慣(慣れ)」とは怖いものだ、という話。顕在意識で「隠そう」と思っても、反射運動が出るまでに身についたものは、いざというときにウソがつけない。



 これは、スピリチュアルな発信にも言えることである。

 ブログなどのネット媒体や本での文字情報の発信だけでなく、面と向かって話す「個人セッション」なんていうのもそうだ。実は、うまくいく(これは主観的評価にすぎないだろうが)情報発信、うまくいく個人セッションとはこのテクニックを使っていることが多い。

 相手は一応自分の問題を相談しに来ているのだから、必要な情報は全部与えてくれると高をくくっていたら、二流のスピリチュアル指導者である。

 もちろん、本当に自分に限界を感じてサレンダーしきっている人ならやりやすいが、そういう人ばかりでもない。よくいるのは次のような考えの人である。

——



●確かに問題を相談には来ているが、手持ちのカードを全部見せてこない人。

 ある程度は見せるが、できることなら最後の1、2枚を見せないで納得のいく話が聞けたら、それはもうけもの。できれば、このカードは最後まで使わずに話を終えたい——そう考えて情報をできるだけ小出しにしてくる人。



 もちろん、意識的に分かってやっている場合もあれば、無意識にそうしている場合もある。

 そこをカウンセリングする側が突っ込めるかどうかである。そこなしに、クライアントが口にした情報だけがすべてだと信じて、そこから必死に何かを解き明かしてしゃべって終わりなら、底が知れている指導者だ。

 だから、「できる」指導者の話し方は——



●話が煮詰まった、あるいはまだ何かある、という予感がしたら—— 

 問題の核心から、いったん離れたような別角度の話に切り替える。



 すると、隠したい部分に鎧で武装している相手の警戒心が、一瞬ゆるむ。

 しかしそここそが狙いで、そこからうまくもとの話に持っていくのである。

 巻きこまれた相手は、隠しておこうと思ったホンネ(できれば見せたくなかった感情)を、ポロッと出してしまう。一度出たら、しめたものである。あとは、ダムにひびが入るように、決壊まではスムーズである。



 九九の二の段を言ってみろ、なんてホンネの引き出し方は非現実的すぎて在り得ないが! 本当に人と人が通じ合える時というのは、まるで導かれるように、この流れが起きる。

 クライアントも、臨む前には言うつもりなどなかったことを思わず告白していた。セッションする側も、言うつもりのない、ちと言うと冒険なことを言えた。賭けだったが結果、お互いによいところにおさまった——。

 テクニックという言葉は使ったが、これは意図的にやって場をコントロールできないことも多い。やはり多くのケースでは人智を超えた「場の力学」というものに支配されている。

 だから、その場での意図的な人間の機転や工夫といったものはそう役には立たない。役に立つのは、その瞬間何をするかに関係のない「それまで何をしてきたか」「何を見てきたか」「何を感じてきたか」その集大成が問われるのである。

 学校のテストと同じで、その場で踏ん張ったからといって、それまでに勉強してなければ大したことはできないのと同じである。過去に積み重ねたものがないと、いざという瞬間何もできない。

 その集大成が、相手であるクライアントに成熟度で劣っていたら笑い話である。セッションする側がツーペアで、お金を払ってくれる相手がストレート・フラッシュだったら、それはお金をあげるボランティアである。



 いかに、相手のホンネを引き出せるか。

 これが、発信者の真価の問われ所である。

 相手をいい気分にさせるだけのものは、とりあえずの銭稼ぎとしては有効だ。しかし、そこにお金以上の価値(人生を懸けたライフワーク・お金以上に自分の納得を尊重すること を見出そうとするなら、この問題を無視できない。

 たとえ相手を怒らせても、それがホンネなら話し手の勝ちである。

 とにかく、相手が足場を失いうっかり何かにつかまって、「しまった!」と思わせる言葉を言える者が、天性のメッセンジャーである。それが賞賛にしろ批判にしろ、相手をマジにさせるのがプロである。

 この世界は、相手の感情を動かしてなんぼである。

 そこが最初にないのに、次の発展は望めない。

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