負の感情に視点の変化を使い過ぎるな


●安けさは川のごとく 心浸す時

 悲しみは波のごとく わが胸満たす時

 すべて安し 御神共にませば



 この文章は、キリスト教で使う讃美歌(聖歌)にある『やすけさは河のごとく』という歌の歌詞である。

 聴いていただければ分かるが、心穏やかになる実に優しいメロディーである。

 歌詞の意味としても「どんな悲しみがあっても、神が私と共にいるので、心は平安だ」という意味合いであり、歌の作者が得た境地である「神と共なる内的平和」への感謝を歌い上げたものである。



 何の予備知識もなければ、勝手な想像をしてしまうかもしれない。この歌を作った人は、さぞ愛と喜びに溢れている状態の時、一番心穏やかな時に作ったんだろうなぁ、と。

 この歌が作られたのは1828年。スパフォードという男性クリスチャンによる。

 彼は法律事務所を立ち上げ、人生に成功していた。

 ある時、休暇に家族での海外旅行を計画。仕事で忙しかったスパフォードは、妻と4人の娘を先に船に乗せ現地に送り、自分は後から追うつもりだった。

 しかし、妻と4人の娘たちの乗った船が沈没。妻は助かったが、4人の娘たちは亡くなった。

 彼は、生き残った妻を迎えに行くため船に乗った。その船が、娘たちの死んだ海域にさしかかった時に、この歌が生まれたのだ。

 決して、平安の時、喜びの絶頂の時にできた歌ではない。

 歌そのものは、平安と静けさと喜び、感謝に満ち溢れているのに、この歌が生まれた母胎は、娘たちが死んだという絶望と悲しみの中だったのだ。

 クリスチャン時代、この歌の誕生秘話を聞いた時には、驚いたものだ。



 宮部みゆき原作の小説で 『ソロモンの偽証』という長編小説がある。まだ読んでない人は読んでほしい。本でなくても、映画化されているので映画でもいい。

 登場人物それぞれが、見てる方も胸が痛む過去や傷を抱えている。

 それでも、傷だらけになりながらも、必死で生きている。

 今すべてがうまくいっていて、人生が平穏無事な人から見たら、この作品の登場人物は「悩み過ぎ」「クヨクヨしすぎ」「嘆いて何かがうまくいくなら嘆いたらいいけど、どうにもならない。なら、気持ちを切り替えてもっと物事の良い部分に目を向けるべき」という感想とアドバイスが出てきそうである。

 泣いたってどうにもならない。物事の見方を変えることで、負の感情や囚われから逃れることができる——。そのように言う自己啓発やスピリチュアルは少なくない。

 でも今の筆者なら、そのアドバイスの的外れ具合というか、空気の読まなさ加減が分かる。今苦しんでいる人に「視点を変えろ」とか「気持ちを切り替えろ」なんていうセラピストやカウンセラーがいたら、二流だ。



●あんたが、クライアントと同じ苦しみを体験してみやがれ。

 そんな対岸の火事みたいなこと、言えなくなるから!



 筆者は本書で、『視点の変化』の大事さを説いてきたクチである。

 その私が言うのも何だが、視点の変化を使ってうまく生きることが大事だという意見は変わらないが、「使い過ぎ」はいけないな、と最近思うようになった。

 車のブレーキは、過度に踏みすぎると効かなくなることがあるらしい。

 薬や栄養ドリンクも、ポイントを押さえてたまに飲むなら効きも良いが、しょっちゅう常用していると、それが普通となりたまに飲むのに比べて効果が下がる。

 それと同じような感じで、負の感情(苦しみや悲しみなど)に対処するのにフォーカスする視点をずらしてかわそうとするやり方は、どうしても苦しい場合にたまに使うのは良いが、多用するとあなたの魂は学びや成長を逃す。単なる「痛み忘れ」程度で終わる。

  


 スパフォード氏が、娘4人を一度に失うという悲劇を体験した中であのような歌を作れたのも、「現実逃避」しなかった賜物だと思う。向き合い、感じ切ったからこそ、突き抜けることができた。

 決して泣かなかったわけでも、悪いことは考えずいいことだけ考えようと思考を操作した結果でもない。小細工せず、素直に悲しんだ。心行くまで突きつけられた思いを味わいきったその先に、思いもかけないものが待っていたりするのだ。

 私も経験があるから分かるが、大きな悲しみがやってきた時、逃げたりかわしたりすることなどほぼ不可能だ。強引にでもそれをすると、精神のバランスが崩れる。



●悲しみそのものが悪さしてその人の精神を崩壊させるのではない。

 悲しみを必死でかわそうとする行為こそが、その犯人である。

 なぜなら、できないことをあえてしようとするので、無理が生じるからである。



 受け止めきれない悲しみは、天は背負わせない。

 攻略不可能なゲームは、販売されてたら詐欺だ。難しいけど、やりようがあるというのがゲームの良心的な在り方だ。天がそれを崩すわけあるか。

 だから、小細工せず受け止めたらいいよ。感じ切ったらいいよ。

 泣いたらいいし、苦しんだらいい。自分を責めたければ責めたって構わない。「自分を責めるな」なんて正論、相手の今の気持ちが分かれば軽々しく口になどできないはずだ。

 生きるって、テクニック使って苦しみや悲しみをいなして、ハッピーに暮らすことじゃない。諸行無常に支配された一瞬一瞬を、真剣に迎えていくことである。

 その正面勝負の果てに、つかめるものが絶対にある。

 逃げていたのでは、それをつかめない。

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