NG集

 人は、頭の中だけなら「色々な可能性」を思いめぐらせることができる。

 あの時ああしていればなぁ! 次どうするか? 将来、これかあれかどちらを選ぶべきか——

 でも、結果として人生が一本の糸のようにひとつの道筋としてしか体験されない。選べるのは常にひとつ。死ぬまでを体験してしまえば、見事に一本の映画になる。

 でも、人は自我であれこれ要らんことを考えることができるので、冒頭で述べたような他の可能性につい思いを馳せる。隣の芝生は青いとはよく言ったもので、思い描く「別の選択」の方が良いものだったような、自分が悪い方を引いたかのような思いにもさせられる。



 香港映画、特にジャッキー・チェンの映画などではおなじみの、エンドロールで流れる『NG』集。

 当たり前だが、うまくいかなかった分は何度でも撮り直しをしている。その、失敗してお蔵入りにするはずの映像をあえて見せてくれているのだ。まぁ、ファンサービスといったところか。

 難しかったり長すぎたりするセリフを、何度も噛んで周囲の笑いを買うシーンとか。命を張ったアクションなので、ワンテイクで完璧にとはいかない。何度も挑むようなこともある。アクションは「格闘」である場合も多く、その場合は他人と息を合わせる部分の難しさもある。



●この世界を存在させている何かは、すべての可能性を存在させる。



 あなたが、何かのことで「失敗した」と思う経験があるなら。

 どこかの別次元では「成功だ!」と思う体験をするあなたがいるということだ。

「今の妻ではなくあの人と結婚していたら?」と思う人がいたら、実際にその人と結婚している次元もある。そういうのを「並行宇宙」と言ったり「パラレル・ワールド」と言ったりする。

 だから、「今の次元では失敗でも、別次元であなたは成功するんだから」と慰めてやれるかというと……はたまた「今の次元ではあの人と結ばれなかったかもしれないが、別の次元では結ばれる世界もあるんだから、期待して待ちな」と期待させてやれるかというと……



●それはちと難しい。



 難しいというのには、ふたつの理由がある。



①それがいつになるのか分からない。



 この世界では、「順番」という概念がある。来月とか来年とか三番目とか、「どれだけ待てばいいか」を示せる基準があるが、この次元を超えたところではこの世界の流儀は存在せず、いつになったらあなたの望む「体験」が来るのか皆目分からない。もちろん死後だが、その死後どれだけかが分からない。

 もっと悩ましい言い方をすると、あなたは「今」それ(別次元のすべての体験)を体験している。なぜなら、並行宇宙のあなたもあなただからだ。ただ、あなたはこの次元限定のことしか認識できないように「認識制限」がかかっているので、死ぬまで「一本の人生映画」しか見れない。例えるなら、水泳競技において、割り当てられた自分の目の前のコースしか泳げないようなもの。

 今の目の前の、可能性のひとつの道筋だけが、あなたの割り当て(担当分)なのだ。それ以上にでしゃばることはできない。



②あなたがいいと思う体験が、本当にいいことかどうか怪しい。



 あなたが「ああだったらこうだったら」とあこがれるのは、あなたが無知だから。

 例えば、あなたが「お見合いで結婚した今の妻ではなく、学生時代に恋い焦がれ、結果片思いで終わったAさんと結婚できていたら……」と考えるとする。隣の芝生は何とやらで、どうもそっちのほうが良かったかのような気がしてくる。

 確かにその可能性も、道筋としては存在する。しかし、ふたを開けてみたら……今の平凡な生活がかえってありがたく思えるくらい、タイヘンな経験になるかもしれないのだ。それが分からないから、我々は勝手な想像でああだったら、こうだったらと架空の絵空事を用いては、現状と比較してわざわざ嫌な気分にひたる、という愚かなことができるのだ。



 もうね、難しく考えないで、あなたの目の前の状況を生きればいいじゃん。

 水泳選手は、自分に割り当てられたコースで、一生懸命泳ぐしかないでしょう。

 人間自我では、今の人生が「映画のNGシーン」で、監督のOKが出る別人生が成功だと捉えるかもしれない。でも、大元の「観察意識」にとってはそうではなく、どれも同価値。

 究極には、宇宙にNGなどない。すべて、一期一会の『名場面』。ただ、その瞬間を生きる者の都合や価値判断レベルによっては、激しく優劣がついてしまう。

 案外、あなたが「こうだったらいいなぁ」と思っている別次元のあなたが、あちらはあちらで「そっちだったらなぁ」とあなたの生きている次元をうらやましがっているかもしれませんよ?



 最後にひとつ、余談。

 ジャッキー映画のNG集は、全部が本当のNGを集めたものではなく「ヤラセ」、つまり「わざと演じたNGもある」のだそうだ。

 ヤラセと聞くと、皆悪いイメージしか持たないだろが、これは実はけっこういい話なのだ。

 もし、NG集を本物ばかりしにしてしまったら、命がけのスタントアクションが絡んでいるので、皆殺気立つほどに真剣そのもの。もう現場の雰囲気はピリピリ状態。その時点でNG集は和むような内容ではなくなる。

 でもジャッキーはそんな空気を吹き飛ばすために、わざとおちゃらける。

 意図的に笑えるNGを出してまで、場を和ませようとしたわけだ。NGシーンの笑えるようなもの、特にセリフを噛むようなやつなどは、ほとんどがサービス精神からのものらしい。

 実際の現場は、NG集をまるごと信じたような「和気あいあい楽しい気分」ではないということだ。でも、お客様にはそういうことに思い至らせないのがプロの流儀。

 こういうことを初めて聞いた、という方も少なくないのではないか?



 我々人間には常に「まだ知らない情報がある」可能性と隣り合わせにある。

 常に情報というものは「アップデート」される機会を待っている。

 瞬間だけ切り取ると、「自分がいかに何も知らないか」に愕然とすることもあるだろう。でもだからこそ、生きることに取り組みがいがあるんだ、楽しみがいがあるのだ、と思うようにしよう。

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