依存から自立へ
ウルトラマンシリーズの第五作に、『ウルトラマン
他の特撮ヒーローと決定的に違う点が、「男女ペアでの合体変身」であった。
美しい言葉で言うと「男女の愛、協力が悪を倒し、世界を救う」というところだろう。だが反面、身もふたもないことを言うと「二人そろってないと変身できない不自由さ。二人で一人前、ひとりでは半人前」ということである。
聖書には『神は自分に似せて人を創造し、男と女とに創造した』という一文がある。つまり、男女のひとつとなった状態は『神』を表わしているとも言える。そういう意味では、ウルトラマンAは『神の象徴』だと言っても過言ではない。
ゆえに男女がひとつになって変身し力を発揮するというのは、子ども番組の枠を超えて「哲学的、スピリチュアル的」とも言える重厚なテーマを扱った画期的なことであったのだ。
でも、やはり時代が早かったか、子ども番組でそれをやるのは「画期的過ぎた」のか、シリーズもまだ中盤の第28話で、女性側の南夕子がいなくなってしまう。以後が、北斗星司という男性の単独変身となる。
その理由は、まぁおおまかには『大人の事情』というやつである。
個人的には、結局特撮ヒーローものの王道である「男性ひとり変身」に戻ってしまった経緯を残念に思った。あれはあれでいいじゃないか、と。
男と女が協力してひとつの何かを生みだす。それは、生命を生むという神秘にも似た「神々しさ」さえ感じさせてくれたからだ。男女二人の変身への苦情の代表例は、「せっかく変身後のヒーロは力強い男性のイメージなのに、そこに女性が加わることで弱弱しいイメージがかぶってしまう」「子どもが変身ごっこをする際に、男女合体変身では困難」などという意見があった。
商業ベースあっての番組だから、視聴者や外野の声はある程度無視できないだろう。でも、そんなしがらみなど分からない一視聴者としての筆者は子どもの頃、南夕子の降板を何よりも残念がった。思えばこれが、子ども心にも「世の中って理想通りにはいかないんだなぁ」と感じた最初の出来事かもしれない。
決して、その頃からませていた(女好き?)だったわけではない。(キッパリ)
でも、今になって別の思いが湧いてきた。
そうか! これは、せっかく男女ペアの愛のヒーロ像の誕生だったのが、結局皆の要求や大人の事情によりそれを描き切ることを断念させられた「残念なウルトラマン」だったのではない。
●むしろ、人間のスピリチュアル的自立の物語なんだ。
そのように感じるようになった。
最初、北斗星司は、南夕子というパートナーと一緒でなければ変身できなかった。
例えば、世の人には皆、大切な人がいるだろう。恋人。親友。親、子ども、兄弟。恩師。かわいい後輩——。
その人が存在することが、守ることが「生きがい」となっていることだろう。
あなたがいるから、生きていける。あなたこそ、私の拠り所——。
思わず「東京砂漠~♪」と歌ってしまいそうだが。
でも、そこには「弱さ」がある。
例えば、あなたの幸せが相手あっての「幸福」であった場合。
あなたの生きる原動力が、愛する者を守ることであった場合。
その守るべき対象に何かあった場合を考えてみよ。死んだり、言うに堪えぬひどい目に遭ったりした場合。あるいは、離れ離れにならなくてはいけなくなった場合、あなたの人生は足元から崩れていく。幸せな時間の中ではいいが、いざその支えをいきなり取り去られた時のあなたはどうなる?
筆者は、だからと言ってそれぞれの事情で一生懸命に生きておられる皆さんに対して偉そうに、「もしものことを考えておけ! 常日頃から覚悟しておけ!」などとはとてもではないが言えない。
だから、個々の魂はその都度、何か人生の大きな岐路に立たされた時、「試練を受ける」こととなる。厳しいが、それがこの世界に生きる、ということでもある。
北斗星司は、途中夕子というパートナーを失う。
もちろん、喜んでうれしく送り出せたわけでもない。内心、寂しくないわけがない。しかし、すべての物事は視点によりいかようにも変化する。
この「ひとりになった」という現象は、自分の元から大事な人が去っていった、というマイナスにも見えるが、これは見方を変えると——
●自立の絶好のチャンス
何かに依存せず、自らの力で切り開いてく旅立ちの瞬間
……なのだということが言えるわけである。
彼は、南夕子を失ったのではない。
逆だ。南夕子という存在が傍にいたのは、北斗星司が魂の成長を遂げ、「スタンドアローン(自立独立型)」になる上での通過儀礼(イニシエーション)だったのだ。
つまりは、夕子がいることがベストで、そのベストな状態に欠けが生じた、という視点ではなく、そもそも最後には「自分はひとりである」ことの悟りへと導くために必要な「一時期の研修期間」だったと捉えられるのである。
悟り、というものの本質のひとつに「依存というものの正体を見切る」というのがある。目の前の状況はいつまでも続かない、という継続的なる冷めた自覚である。
もちろん、悟ったからといって家族や友人がどうでもいいわけではない。それなりに大事だし、守りもする。愛おしい、とも感じる。
だが、どこかにキンと冷えた芯棒のようなものが、胸の中にある感じなのだ。いつ何時、「諸行無常」に翻弄されようとも、覚悟はできているというような。
もちろん、手放しで何も努力しないとか、手を打たないで完全お任せ放置、ということではない。ゲームは、操作するゲームパッドを手放したり気を抜いたりしたら、一気に戦局が悪くなる。
人事を尽くしたうえで
愛する者が余計だ、なんてことは絶対にない。いるに越したことはない。
ただ、いてもいなくてもそれに左右されない内的世界がある、ということ。
分かってしまうと少々人情的に寂しい気もするが、でも進んでいく。誰もが、魂の旅路の中で最終的には通過する。
あなたにその時が来た、と思えばちょうどそれは「一人での変身」ができるようになったのだ。他者に依存しなくても、自分で歩けるようになる時。愛する者を失い、生きる気力を失いメソメソ泣き暮らしていた地の底から、上の光を目指して這いあがる時なのだ。
一人で生まれ、最後はひとりで還っていく。
ゆっくりでいい。もっと後でもいい。
あなたのタイミングで、覚悟されよ。
最終的な、絶対な幸せは、自分の中だけにしかないことに気付くでしょう。
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