ファンタージェン(幻想世界)を守る

 先日、車を運転していたらラジオから懐かしい曲が流れてきた。

『ネバーエンディングストーリー』という映画の主題歌だ。

 私が中学生の頃、体育館に全校生徒集められて、授業の一環として上映された思い出がある。そうやって学校で見た映画を思い出すと、色々ある。

『風の谷のナウシカ』『E.T.』『ルパン三世・カリオストロの城』『じゃりん子チエ』。『未知との遭遇』も中学で見せられたが、当時は良さが分からなかった。

 ネバーエンディングストーリーは古いが有名なので、要らないかとは思うが念のため筋書きを大雑把に。



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 主人公、バスチアンはいじめられっ子。

 母を亡くしてからは父親と2人だけの寂しい生活を送っていた。

 そんなある日、いじめっ子から逃げるために『コレアンダー書店』に飛び込む。

 そこで彼は不思議な本「ネバーエンディング・ストーリー」と出会う。

 本を読むと物語の主人公になれる、本の世界で竜にも乗れる、だから本が好きだと力説する彼に書店の主人は「だが、それらの本は読み終われば現実に戻される。この本は危険だ」と止めるが、どうしても読んでみたいバスチアンはこっそりとその本を盗んでしまった。



 学校をサボって本を読み始めたバスチアンは、ネバーエンディング・ストーリーの世界に浸り始める。

 内容は、「虚無」 による崩壊の危機に瀕した世界ファンタージェンを救うため、草原の勇者アトレイユが旅立つといった冒険小説だった。

 物語に胸躍らせるバスチアンだったが、徐々に奇妙な現象が彼とアトレイユを繋げていく。



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 筆者はこの映画、我々の住む世界に関する悟り系スピリチュアル(非二元)的な解釈に符合すると思う。



 この映画では、「虚無」は悪いものとして描かれているが、実は「くう」。

 ファンタージェンは、文字通りの意味。つまり「幻想世界」。

 ファンタージェンが危ない、というのは本来的にはまったく悪い意味合いではない。幻想から目覚める=身もふたもないが一元性のゼロ(空)に還る、ということ。

 むしろ幻想世界を卒業して(そもそもないのだと気付くだけなので、消滅というのもヘンだ)、原初の根源のみの静寂に還る。大げさに言えば「解脱」かな。

 だから、虚無に浸食されるのはいつかは完全に起こることであり、幻想はいつか終わりが来る。

 でも、いったん夢から醒めれば終りか、というとそうでもない。

 人だって、ゲームソフト一本でゲーム機を捨てたりしないだろう。別の新作ソフトを試したくなるだろう。そうやって、ゲームのワンプレイごとに「キリ」というのはあっても、ゲーム自体は延々と繰り返される。



●だから、こう言うのだ。

 ネバーエンディングストーリー(果てしない物語)、と。

 飽きずに繰り返される、果てしない幻想物語がこの世界だと。



 まぁ、映画だから主人公を善であり正義のヒーローにしておかないといけないからね。必然、ファンタージェンという世界を侵食してくる虚無が、分かりやすい「敵」の扱いになる。

 もちろん難しく考えなければ、この映画は想像力を、夢や希望を失いかけた現代人に力を与えようとするメッセージだということは素直に分かる。しかしそれは、完全に「こちらの世界視点」に固定された、こちらに都合の良い見方だ。

 


●実は、この幻想世界(ファンタージェン)があることのほうが不自然なのだ。

 究極次元の視点で言えば、本来ない「分離」「変化」「陰陽」が異物。

 なくなってもそれは本来に戻るだけで、何ら損失ではない。



 だから我々は、究極根源的なことわりを敵に回して戦っているわけだ。

 かなり分の悪い戦いだ。だって、こちらに理はないからだ。何の大義名分もない。

 むしろ、虚無によって幻想がなくなることは、完全な覚醒である。

 みんな、大好きなんじゃないの?(これ、皮肉です)



『幻魔大戦』という作品においても、同様の宇宙観が観察される。

 高校生の東丈は超能力に目覚め、宇宙を無に帰せんとする幻魔と闘わねばならない現実を知る。幻魔に対抗しようと超能力者を結集するが、幻魔の強大な力にはとても及ばなかった。 

 ラストは地球に急接近する髑髏模様の月と、その前に立ち尽くすかのように見える超能力者たちを描いた見開きの絵をもって、人類の敗北を暗示して終了する。

 つまり、ハッピーエンド(世界の平和な存続)ではなく、絶望(破壊)が結末なのである。筆者は、残念ながら世に溢れる夢と希望の物語より、こっちが本当だと分かってしまった。

 だから、「虚無」も「幻魔」も、幻想を拠り所とする我々には「平和を乱す敵」だが、あちらは「本来ないものを本来の通りにする掃除屋」みたいなもので、なんら悪ではない。  

 向こうを幻魔呼ばわりしているが、『まぼろし』なのはむしろこちらなのである。



●極論、幻想側に正義はない。

 本来ないこの世界を維持させるのは、かなり労力のいることである。

 厳しい戦いになるだろう。

 でも、厳しくともやるしかない。

 私も皆さんも、この「ファンタージェン」が故郷なのだから。

 依って生きる一番大切なものなのだから。たとえ分離だろうが夢だろうが。



 一寸の虫にも五分の魂。

 幻想人間キャラにも、ささやかながら心がある。

 それがあるかぎり、根源にだってケンカを売るだろう。本来ありもしないゲームを続けさせるために。我々が、我々というウソをつき通して、できるだけ長く遊ぶためにも。

 ファンタージェンには、どうあがいてもいつか終わりの日が来る。ならばそれまでの時間を、どう楽しむか? それだけを考えて、あとは心静かに目の前の現実を受け入れていこう。

 来るべき日が来るなら、それを両手を広げて受け入れよう。

 ただし、その時には 「やれることはすべてやった」 と納得できるように……

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