スピリチュアルはオプション

 スピリチュアルと一口に言っても広うござんすが、中には時として、宗教並に熱心に『広めよう』という動きをするものがある。

 扱っている内容が、宇宙全体を貫く法則、つまり『真理』であり、誰もが知って益になるものだ、という前提がある場合にそうなる。誰もにとって正しい、と思えないならわざわざしんどい思いをして人にすすめようなどと思わない。

 そして、自分のところを一番の真理だと認識している宗教や一部スピリチュアルにありがちなのが、その理論や実践、それらを通して得られる成果を「人間万人にとって必須なもの」と考えることである。必須だと思うから、親切心から頑張ってすすめてくるのである。



 例えば、キリスト教を例に挙げてみよう。

 キリスト教では、そもそも人間が神の前に『欠けのある存在』であると見る。

 直接我々のせいではないが、人類始祖のアダムとエヴァが誘惑から神の戒めを破ったことで罪を生み、そのせいでその後の子々孫々は連帯的に罪を背負うことになった……らしい。

 だから、人生で悪いことを具体的にしたとかしないではなく、とにかく鼻から息して存在しているだけで「罪人」なのだ。だから、神(キリスト)による救い(贖罪)が必須になるのだ。そしてその救いを受ける条件は、イエスを救い主として受け入れること、すなわちクリスチャンになることだ。

 それなくして、元の完全な姿を取り戻すことができないから。だから、クリスチャンたちは伝道に必死になるのだ。



●人間が焦る時というのは——

「ある状態であるべきもの」が「そうあるべき状態にない」時。

 必死で、何とかしようとする心の動きが活発になる。



 借金も何もしていない状況なら、いつどこでモノを買うかは個人の自由である。どこにも何も返す義務がないので、のびのびしたものである。

 しかし借金をしていたなら、それを返すべきなのが本来の状態なのだから、「そんなモノ買ってるカネがあるなら、返済に回せ」と圧力をかけられることになる。当然、借金した本人も何とかしなきゃ安心して暮らせないと焦ることになる。それと同じことだ。



 筆者はクリスチャン時代、さんざん「すべての人間にとって罪を償うことは必須」だと思ってきたので、信仰生活を律し自分にもそれを強いてきたし、強引な勧誘もして他者にも信仰を要求してきた。

 すべては、その時の価値観で良かれと思ってのことである。でも、今では分かっている。人間に、いわゆる『欠け』という概念で言えるものは存在しないこと。自業自得でないことで、何かの霊的借金を支払うように要求されるいわれはないこと。



 どんな生き方をしていようが、究極論的には「欠陥」「罪」といったものはない。

 ただしこれは根源論的な領域の話で、ゲームの中にいるマリオには、ゲーム内ルールが適用される。だから、この幻想世界ではそれなりの、ルールを踏み外したペナルティというものはある。それをないことにはできない。

 この世次元、すなわち人間が認識できる意識的領域に限っては「罪」や「欠陥」はある。それだって、ただある基準でのものの見方の結果に過ぎないが。



 真剣で気合の入ったスピリチュアルほど、その取り組みが人間には『必須』と考える。もちろん、世界には星の数ほどスピはあるので、何も自分のところのやり方でしか救われない、などと極端なことまで考えるものは少ないだろう。そこまで思いこむのは、どちらかというと新興宗教に多い。

 でもそこまでは思わないにしても、「これを信じないとペナルティがあるというわけではないが、知らないよりは知って実践する方がより幸せになれるのは確実」 とは思っているかもしれない。だからこそ、親切心から熱心に薦めるのである。



●人間は、息をして生きているだけで。ゲームに参加しているというだけで、すでに「義務」は果たしている。

 それ以上、何も求められない。息をして生きていること以外の余分なことは、個々人の選択オプションである。

 それは、求められる義務ではない。また、成果も問われない。

 肩の力を抜いて、好きにやったらいい。



 生きてるだけで、「基本(ベーシック)プラン」はクリアしている。

 あとは、人生のいろどりを豊かにする 「選択オプション」 を楽しく選べばいい。もちろん任意なので、これにせよと強制される筋合いはない。急いで何かを選ばなくてもいい。

 選ぶ際にも、何を選ぼうとこれはダメと(本来は)文句を言われる筋合いはない。



 筆者が自分の活動を大いに広めようとすることに消極的というか、どうでもよさげな態度を取るのは、あくまでも本書で言う内容が誰にとっても絶対な『真理』などではなくて、趣味の領域でありクラブ活動みたいなもんなのだ、ということを徹底して思っているからである。



 百貨店に陳列されている商品は、自己主張などしない。

「お客さん、見て見て! 買って!」などと商品が叫んだりしない。

 おとなしく陳列棚に収まって、お客さんの目に留まるのをおとなしく待っている。

 私は、そのようでありたい。

 皆さんの選択肢のひとつとして、ひっそりとたたずむ。

 だって、オプションだからね。必須以外に、あえてすることだからね。

 皆さんに選んでいただけて、皆さんの人生に彩を添えるオプションとして役立てていただけるなら、こんな幸せなことはない。

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