スープは冷めないうちに

 筆者は、映画鑑賞が一番の趣味である。

 そんな私は趣味と実益を兼ねて、鑑賞した映画をスピリチュアルな観点からレビューを書いて発表するのが常であった。でも、映画の中にはレビューしにくいものやレビューするのに困るような作品がたまにある。

『エクスペンダブルズ 』 というシルベスタ・スタローンが主演の豪華なアクション映画があるが、あれなんかもレビュー困難な作品だった。だってあれ——

 でも、これはレビュー書けません。



●本当に、アクションだけ。



 そりゃ、無理すればなんでもこじつけて書けると言えば書けるんだが……正直これは……ドンパチ。すべてがこの四文字で表現できてしまうような、そんな映画。

 でも、私は思うのである。

 高尚な理屈とか教訓とか、スピリチュアル的に言えば「気付き」とか。そんなのが見出せない映画は程度が低いというのは、違う。難しいことは考えないでただ『体感』する。そんな映画もいいじゃないか、と。

『(真実の)愛』とかにうるさい人は、そもそも人を殺すとか暴力を描いているとか、そこですでにアウトなんだろうけど! それで興奮したり、ストレス発散なんて愚かしい、って言われるんだろうな。

 結構です! 私はそれで。



 筆者が昔、まだクリスチャン時代のこと。

 教会組織の『お偉いさん』(関西エリアの長)が、我が小さな教会を訪問することが決まった。いわゆる、「視察」というものの一環であろう。

 さぁ大変。教会は上へ下への大騒ぎ。失礼があっちゃいけない! ってので、皆必死でどうやって迎えるか計画を練った。

 粗相のないように。何とかお喜びいただけるように——

 普通、誰かをもてなしたいと心から考える時って、楽しいはずだと思うのだ。でも、教会での話し合いの場は、ピリピリギスギスしていた。

 気にするのは「失礼のないように、失敗のないように」ばかり。何かが、ずれていた。本来の「おもてなし」の在り方から……



 なんだかんだ悩む間にも、この二元性世界では非情にも時は流れる。

 とうとうそのお偉いさんがやってくる日を迎えた。

 建物内を案内したり。聖歌隊が得意の歌を披露したり。まぁ、それなりに無難に歓迎プログラムは進行していった。

 そして、いよいよ最後の『食事会』となった。

 この後お偉いさんは帰られるから、教会員の皆に「もう峠は越えた」というような安堵感が見て取れた。しかし、それは甘かった。



 うちの牧師は、食前のお祈りの役を、決めてあった。

 弁が立ち、人前で話すことに場馴れしている信者にすでに振ってあった。

 自然に、牧師が指名する手はずになっていたのだが……

 お偉いさんが牧師が何か言う前に、隣に座った教会員に「君、お祈りして」と指名したのだ!

 その人物は男性で、人はいいのだが時に場違いなことやズレたことを言う、ちょっと「クセのある人」だったのだ。さぁ、事情を知らないお偉いさん以外の一同は、青ざめた。

 この後、驚きの展開に!

 一体、どうなってしまうのか~!?

 彼は、このように祈った。



●天のお父様。御名をあがめます。

 今日も、美味しそうな肉の糧を、ありがとうございます。

 特に気の利いた言葉も浮かびませんし、私のつまらない祈りが長いせいでせっかくのスープが冷めてしまってはいけませんので、これで終わりたいと思います。

 アーメン



 皆、笑わなかった。

 呆れたりもしなかった。

 言葉はもっと選びようがあるだろうが、それでも素直な気持ちの伝わる祈りだった。温かいうちに、料理を召し上がっていただこう。そこのところが伝わってくる祈りだった。

 実は彼は、かなりキリスト教式の祈りの常識を無視した。シメのところで「イエス(主)の御名によってお祈りいたします」という一文を入れなかったのは、かなりアウトだ。でも、その場では誰もそのことを責めなかったし、責める思いを持った者もいなかったのではと思う。

 お偉いさんはこの素朴な祈りに痛く感動したようで、後日ある講演の中でこの経験を話題にしたそうだ。もちろん、けしからん! という話ではなく「あまりに素直な祈りに、形式よりも大切にするべきものがあるケースもあるということを強く思った」のだとか。



 エキスペンダブルズも、いいじゃないか。

 祈りはいいから早く食事にしよう、というのもいいじゃないか。

 我々は時として恰好や形式を、合理的成果を気にしすぎる。

 もちろんそれらが要らない、という極端な話はしない。必要なのは、バランスである。でも現代社会では、その辺り結構真面目に過ぎるので——



●もう少しテキトーでいいんじゃない?

 感じ、とか気持ちが大切なんじゃない?

 理屈っぽくなくていいんじゃない?

 楽しければ、とりあえずいいんじゃない?



 スピリチュアルは、何のかの言っても『楽しい』のが一番。

 そうじゃなかったら、何でやるの? って思う。

 難しく考える人が結構いる。結果として、自分で問題を勝手に難しくしている人もいる。もうちょっと、肩の力を抜いていこうよ。

 もちろん、この場合の『面白い』とは、ゲラゲラ楽しい、愉快なという意味だけではない。表面的には楽ではなかったり、苦しかったりすることでも、その人がそこを意気に感じたり、情熱を注いで本望だったりすれば、それもまた「楽しい」になる。



 さ、皆さん。

 スープが冷めないうちにいただきましょう。

 ゲームに参加できているうちに、楽しんじゃいましょう。



※追伸:エクスペンダブルズシリーズにサモ・ハン・キンポーに出てほしいと思うのは私だけ……?(ってか、年齢的にまだアクションやれる?)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る