素人が銃を扱うと

 アクション映画などによくある場面なのだが——

 拳銃を撃ったことのない素人が撃って、狙ったところとはまるで違う方向に弾が飛んだりする。おまけに、撃ったあとの「反動」を想定していないので、後ろに飛ばされてびっくりする。握り方がいい加減だと、手首も痛める。

 やはり銃は扱いにおいて訓練し、ある程度はこなれないと使いこなせない。


 最近思うのだが、悟り系スピリチュアルの『非二元』の内容も、拳銃のようなものだと思う。しかも、ただの小銃ではない。マグナムだ。かなりの訓練を必要とする。

 ここ最近、悟り系スピリチュアルの敷居が低くなったように思う。それは、その道を切り開いた先人たち……パイオニアたちが道を作ってくれたおかげもあり、その後に続く者が歩きやすくなった。

 そのこと自体は、いいことだ。しかし、不特定多数がこの内容をもてあそびだすと、いささか事情が違ってくる。

 人が沢山いれば、そこには様々な状態の違いがあり、体験の違いがあり、思想信条のズレがある。たとえ同じ宗教、同じスピリチュアルを支持する仲間同士でも、やはり同じにはならない。そのことが事態をややこしくしている。



●他人はいない。ワンネスというひとつの「神意識」しかない。

 この世界は、幻想。なぜなら、自他という分離自体が錯覚だから。

 分離などないので(すべては単に最少粒子の結合体なので)何かが何かを所有するなんてない。善悪はない。価値判断はすべて分離という幻想が生んだ副産物。

 すべては中立。本来意味などない。



 今挙げつらったこれらの「一般ピープルをけむに巻くような言葉」が非二元。

 悟り系の教えの中核を成すものである。確かに、これらの内容は間違っちゃいない。その通りである。

 でも、「間違っていない」ということと「だからそれが人を幸せにする」ということはイコールではない。それどころか、これらの内容は知る本人も他人もかき回す結果にもなりかねない。

 知ったかで、あるいは有名なスピリチュアルマスターにあこがれて、メッセンジャー気取りで非二元を説くと、子どもの火遊びのように危ない。

 今、時代的に「悟った」という人が雨の後のたけのこのように現れ (私もそういう一人だが)、この手の内容の発信がちまたに溢れ返っている。さて、これを喜ばしいことと見るか、ちょっと気を付けたほうがいい現象として見るか?



 例えば、あなたが頑張って貯めたお金で、ようやく念願の車が買えたとする。以前から、とても欲しかったものだ。

 買って間もないある日。車の停めてある場所へ行ったら、車泥棒がもっていこうとしていた。あなたに気付いた車泥棒は、こう言う。

「この車は、誰のものでもない。真に何かを所有することなど不可能なのだ。ましてや、あなたと私は別々の個ではない。本来、繋がっており、実はひとつの意識がお互いの正体だ。他人などいないのだから、私がこの車を使ったところで、宇宙に何の問題があろう?」

 そう言われたら、あなたは「なるほど、それもそうだ」と引き下がりますか?

 恐らくあなたは、自分の車が盗まれることを、納得しないはず。

「それは、オレの車や! 持っていくな~!」 と叫ぶはず。

 そう叫んで、何の恥ずかしいこともない。いや、もしそう「叫ばない」非二元好きがいたら、そっちのほうが異常だと思う。



 スーパーマリオのゲームをやっているとする。

 あなたが仮に、TV画面の中のマリオだったとしましょう。

 そのあなたにとってありがたいのは、コントローラーから送られてくる「具体的指示」ではないですか? 危ないところでジャンプ。穴を避け、クリボーを避ける。

 それでこそ、ゲームクリアというひとつの「ゲーム勝利条件」に近づくわけだ。

 でも、もしもコントローラーから動きの指示情報が来る代わりに、次のような情報を耳元でささやかれたら、どうです?


 

●実はさ、マリオ。お前は幻想なんだよ。

 本当には、お前はいないんだよ。

 お前が理解できる世界の外に、おまえの本当の正体であるオレはいるんだ。 

 だからマリオ、「オレはマリオだ!」とか「おおっ、敵のクリボーが来た!」とか言ってもさ、それは幻想。分離なんてないし、すべてはプログラム。

 きみの姿なんか、ただの画素の点滅の集まりなのさ……



 そんな言葉ばかりが繰り返し耳に流れてきたら、あなたはたまらなくなってこう思うはずだ。



●そんなことより、今飛ぶべきなのか走るべきなのか、そっちの指示をくれ~~!



 そうなのだ。とりあえず生きるために、ゲームで満足いく結果を残すためにも、根源的な話よりもまず必要なのはそれだ。他の話はその後だ。

 でも、一息ついて考えるヒマができてしまったマリオは、先ほどの謎の言葉を思い出して悩む。

「さっきの情報は本当か? オレはゲームキャラに過ぎないのか? まさかそんなことが……」

 おかげでマリオは、実生活上のまともな行動にも支障をきたし、教わった謎の文句(非二元)を周囲にも言いだしたので、変人扱いされキモがられましたとさ。チャンチャン。



 そうなのだ。

 この世ゲームにおいて本当にありがたいのは、ある意味あなたの喜びに具体的に役立つ知恵。

 非二元の教えは、その通りなのだけどそのままでは人を幸せにできない。その世界を見、触れてしまった人にとってだけ自然なだけ! そうでない他者が真似することではない。

 でもその真似をやりだしたのが、近ごろの悟り系スピリチュアルブームである。

(ブーム、ってほどでもないか……)

 分からんもんは、分からんままでええよ。スピリチュアルな講演会なんかは 「内容をモノにしてやろう!」なんてがっつかんとお行き。

 面白い話を聞きに行く、ってくらいのスタンスの方が、力むよりかえって気付きが多いかもよ。



 結局、何の思想信条や確信がその人の根底にあろうと、重要なのは楽しんでいるかどうかだ。充実しているかどうかだ。本気で生きているかどうかだ。

 後悔のない、素直な気持ちに従った選択をしてるかどうかだ。それをサポートできるものが、スピリチュアルである。それができなければ、非二元単体なんて何の価値もない。



 そこの兄ちゃん。

 そんな風にチャカ(非二元)扱っとったら、やけどするでぇ。

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