Q&Aのコーナー第六十一回「UFOって実在するんですか?」

 Q.


 UFOって、ホントにいるんですか?



 A.


 実物をあなたが見たり、その実在が世界中で報道されたりしてどうしても認めざるを得ない事態になるまでは、あなたが好きに決めてかまいません。

 一番愚かなのは、今この瞬間実在するかしないかの「合っているほうの答え」でないと気が済まない(間違っている自分は価値がない)と思って正解を探そうとする態度です。



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 この質問をされた方は、最近ブログや本やTV番組なんかで、UFOの存在に関する情報をよく聞くらしい。自分は見たこともないし、いるとかいう感覚はサッパリなんだけど。自分が信頼しているスピリチュアル発信者も「明らかにいる」というような情報を発信しているので、まぁいるんだろうなぁと。

 だから、見たことも聞いたこともなく実感も湧かない自分は、UFOに関してどういう姿勢を取ればいいのだろうか? とそういうことである。

 私がこの方に言ってあげられるのは、2点である。



①UFOはいるかいなかではなく、いるシナリオの人にはいるし、いないシナリオの人にはいない。



②よって、今分からないUFOのことを考える必要はなく、目の前に出現してから考えたらいい。



 多くの人のもつ、この世界に対するイメージ。

 宇宙という、そして地球というひとつの『箱』がある。その中に、無数の人間という 『個』 がひしめいて同居している。

 当然、その箱の中の世界には、ルールがある。決まり事がある。その決まりごとは、そこに住まうすべての者に、例外なく適用される。

 つまり、ある人にとっては真理で、信じない、受け入れない人にとっては真理ではなくなるなんていうことはない。確固たる真理があって、それに到達した人は得をし、知らないで生きていると損をする。

 だからこそ人は「一体何が正しいのか?」を長い歴史の中で必死に問うてきた。

 そういう流れの中にいる私たち現代人なので——



●UFOは、いるかいないかのどちらか。

 白黒はっきりさせて、安心したい。



 こういうイエスオアノーという単純な構造で、世界を理解しようとする。

 でも、この世界はひとつの世界にたくさんの人、という単体構造ではない。もしその構造だとすると、この世界は一つの真理が世界を支配し、皆その正しさを追い、誰がそれをつかみ取れるか、というシビアな競争ゲームになる。



●実は、この世界は多重構造の世界である。



 人間キャラ一人一人が、実はひとつの『宇宙(世界)』を展開させている。

 人はその中に住んでおり、そこにはその人だけで他人はいない。他人はすべて、超高解像度版立体映像ホログラフである。触れば感覚があり、刺せば血が出るという徹底ぶりのリアルさの幻想である。

 その無数のワールドが重なってだぶり、人の目には「ひとつの同じ世界に、たくさんの人がいる」ように錯覚して見える。

 だから、その人のワールドではその人の到達した認識……何を真理と思うか、何を採用しているか、がそのままその人の宇宙の真理となる。

 真理は、人の数だけあることになる。ぶっちゃけた言い方をしてしまうと——



●複数の質の違う真理が、同時に存在できる(ように見える)のがこの世界。



 この構造を理解した上で、UFOや幽霊のお話を当てはめてみよう。

 UFOがいる、という人の宇宙ではUFOはリアルに存在する。いない、あるいはいるという人はいるけど自分は全然実感ない、と言う人にはいない。

 その両方が同時に成り立つ、多重構造世界なのだ。いるかいないかで真実はハッキリしていて、どちらかが正しいというのが常識の大間違い。



 昔、お昼のワイドショーで『あなたの知らない世界』という怖いお話のコーナーがあった。子ども時代その再現VTRを見て、よく怖がっていたものだ。

 あれで、こういう場面がよくある。

 ここにA子とB子の二人が歩いている。A子には、幽霊の姿が見える。



・A子 『ほら、あそこにいるじゃない!見えるでしょ!?』



 一生懸命A子が指さす方向に目を凝らすが、B子には何も見えない。


 

・B子 『はぁ? 何も見えないけど。あんた、目でも悪くなったんじゃない?』



 この状況を、今までの発想だとこう理解するだろう。

 幽霊は、いる。

 A子は霊感があったので、その幽霊を認識することができた。

 B子は、いるのにただ認識できなかっただけ。

 つまり、ちゃんと「在る」ものを認識できたかできなかったかの差と見る。

 でも、私の言う多重構造世界では、そうではない。



●A子のワールドでは、幽霊は存在する。

 B子のワールドでは、幽霊は存在しない。あるいは、縁がない。

 だからB子には見えなったのではなく 「B子の宇宙では存在すらしていなかった」のだ。その二人が並んで歩いて、同じ世界に生きているように見えるのが、この世界の面白い所。



 筆者も、UFOなど分からない。

 見たことない。いると実感したこともない。

 今のところ、そんなことは私の人生ではどうでもいいことだ。もちろん、否定できないものとして目の前に現れたら、その時考える。それで十分間に合う。

 ちゃんと考えておかないとエライ目に遭う、なんて考えなくていい。宇宙は、そんなに了見の狭いところではない。懐の狭い世界ではない。



 この世界では、幼少時代から「予習・復習」ということを叩き込まれる。

 予習というものをちゃんとしておいてこそ、本番の授業で聞き漏らすことがなくなる。つまり失敗しないために、得をするために予習をする。

(もちろん楽しくて予習するという人物もいるだろうが、まれである)

 だから、実感のあるなし、UFO体験のあるなしに関係なく「いるかいないかの真実、UFOという存在に対する正しいと思われる見解」を身に付けておかないとダメだ、と思うのだ。

 自分が間違っているかもしれない、間違うのはいやだ、という不安と恐怖のエネルギーが、その人を楽しくはない「真実への探求」へと走らせる。

 多重構造ではなく単体ワールドであるという箱の中の認識では、そこに「優劣」という概念が生じる。そこで各キャラは「正しさ」というカテゴリーでの競争で争うことになる。

 競争に乗り遅れちゃいけない! ってんで、人はあちこち探し回る。その際にものを言うのが、メジャーな考え方である。売れている考え方である。

 純粋にそれが好きなら、構わない。でも、間違いたくない、損をしたくないという無意識の防衛本能から、支持者の多いスピリチュアルを採用したり、ベストセラーと言われるスピリチュアル本を頼ったりする。

 支持する数が多いのは正しさの証、というのは的外れである。あなたの宇宙には、あなたしかいないのである。だとすると、あるスピをあなたの外の幻想キャラの10人が支持しようと1億人が支持しようと、宇宙の主人公であるあなたの選択には何の意味も力も権威もないのである。あなたの「好み」だけが大事なのである。



 だから皆さん。

 実感のない世界に関して(霊魂やUFOなど)、あわてなくてよろしい。

 分からないけど理解しようと、自分なりの見解を持っておこうと頑張らなくていい。分からんものは分からん、でよろしい。

 分かった時に考えたら、それで十分である。それまでは、自分の目に触れるもの、認識のアンテナに触れるもので十分とし、その中でくつろいだらいい。

 間違っても、自分には世界が正しく見えていないんではないだろうか? 自分の認識が十分ではないんじゃないだろうか? などと自分を卑下しなくていい。



 分からないことは、無理に腑に落とそうとせず——

 その都度主義で、楽にいきましょう。

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