その都度主義、という世界観

 私は、25歳頃まで『口伝くでん』という漢字を「こうでん」と読んでいた。

 それまでの年月の間に、私の誤った知識が他者にさらされて正される機会がたまたまなかったからだが、それがやっと起きたのが25歳くらいの頃。

「それ、くでんって読むんだよ」

 そう言われた時の、私の恥ずかしさといったら!

 本書を日頃から読んでくださっている皆さんはご納得いただけると思うが、私は国語が得意だ。当時、他の科目はどうでも国語力だけは自信があった。それだけに、この出来事はそんな私のプライドを粉砕する汚点だった。



 さて。

 通常の常識的世界観では、こう言える。



●私の人生の最初から(生まれる前から)、口伝は『くでん』と読む、という確固たる事実があった。その事実は継続していて、でもそれを私が知らず、25歳の時にやっとその隠されていた事実に私が気が付いた。



 ほとんどの方は、そういうとらえ方だと思う。

 でも、私のとらえ方は、違う。



●私は宇宙の王である。

 私が創造主であり、私を監督兼主人公とした映画を作っている。

 ゆえに、私が「こうでん」と読んでいた間は、それが宇宙の真実だった。

 ただ、それを「くでん」だと知らされるというドラマが起こった時。その瞬間から口伝は「くでん」と読む、という真実が私の宇宙に誕生したのだ。



 あなたが、ある事実を知らずに、誤ったものの見方をしていた。

 そして、その事実を知った時にこう思う。私は今まで、間違ってきた、と。やっと今、本当のことが分かった自分になった、と。

 しかし、「今ここ」しか存在しないとすると。過去、現在、未来という直線的な時間の流れはないのだ、とすると。

 自分がある誤解をしていた過去の時点での「今ここ」があったなら、その今ここは最善であったのだ。そして、まさに今の「今ここ」も完璧。

 だったら、同じ今ここである以上、本質的に二者の間に価値の差、優劣はない。



●今まである事実を知らず誤解していたあなたは、その時においては完全。

 違う側面の事実を知って見方が変わったその今も、完全であるという価値は同一。

 間違っても、誤解していた過去が「間違っていた」「正しい認識を持った今のほうが価値があり、優れている」ということはない。



 推理小説ではないが、あなたが今「誤解から解き放たれて、やっと真実を知った」と思っているそのことすら、いつかさらにひっくり返されるかもしれないのだ。

 ちなみに、私は引きこもりや自暴自棄になった時期を経て、キリスト教に出会った時、このために人生のすべてがあった、と思った。人生の疑問が完全氷解した、と確信して疑わなかった。

 でも、それが6年後にひっくり返される。覚醒体験である。

 何かの「正しい見方」を知った気になっても、そんなものは幻想である。そんなものはそもそも存在しない。

 無限のドラマの可能性の中で、さらに物語はいかようにも変化していく。変幻自在に。



●ある真理(真実)が絶対的に、過去も未来も現在をも貫いている。

 それを知ること、つかみ取ることが人生の目的であり、勝利。

 それを知らずに無明に生きること、宇宙の根本原理をつかみ取れずに迷いの中で生きることが敗北。その敗北がいやだから、人は必死でその「確実な何か」を知ろうとする。競争する——


 

 これらの一切が、ムダである。

 そのとらえ方では、幸せになる上で限界がある。

 どんな事実も、あなたが宇宙の王として真剣に、心から採用していることは「最善」であり「真実」。逆に、今あなたがそう思えていない(採用する気にならない)事柄は、いかに素晴らしかろうと、他人が大勢支持していても、それはあなたのワールドにおいては真実でない。



 ゆえに、私が提唱するのは——



●その都度主義



 その時、その時に感じることが真理。

 そしてその次の瞬間に感じることが変わっているとすれば、もうその変わったことが真理。

 何か正しい基準がある、という生き方は世界の半分を否定する。その基準を知らなかった時代の自分は不十分で、知ってからはマル。ただそのマルさえ、未来に新しい情報が明らかになった時、ひっくり返ることがある。

 でも、その都度世界観だと——

 何かを知らずにいたころは、それはそれで最善のドラマだった。そして、今こういう認識で生きていることが「マシになった」「ダメな自分がよくなった」のではなく、今は今の真理があるというだけで、それは過去と比較して考えるべきではない。



 例えば、信頼していた人に騙されたとする。

 騙されたと分かった瞬間、今までの良き思い出が暗黒に染まる。

 オセロでひっくり返されるみたいに、白が黒にどんどん裏返る。

 あの時あの人と過ごした楽しかった時間は、ニセモノだったんだ。

 優しくしておいて、実は心の底では舌を出していたんだわ——。

 そう思うと、今ここで苦しいだけではなく、思い出も汚染される。



 でも「その都度主義が」徹底してくると、今は今、昔は昔でいける。

 騙された今は悔しいとしても、過去その人といて楽しかった事実は、本物。

 宇宙の王であるあなたが、過去の「今ここ」において、本当にうれしかったんだから。それは、そっとしておきませんか。憎らしいけど、そのことでは「素敵な思い出をありがとう」って、そっと手放しませんか。

 今は今、過去は過去の時点の認識を最善として採用してあげると、憎しみも減ります。真面目に、今ここの物差しで過去を悪く塗り替えるような痛々しい作業は、やりたかったら別ですがそうでないならオススメしません。



 その都度、その都度の判断を最前として、生きるということを続けていきましょう。時間軸のすべてを貫く物差しなど捨てましょう。

 捨てるも何も、そんなもの最初からありゃしないのですが。

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