Q&Aのコーナー第五十五回「死んだ祖母にまた会えますか?」

 Q.


 先日祖母が亡くなり、これまでスピリチュアル系の本を読み浅っておりましたので「祖母の魂は続いている! 死んだら会える!」と家族に熱く語る私でしたが、結局こちらがこの世を生きている間は日常会話ができるわけでもないので面白くありませんで。

 またこちらが死んだ時には、祖母が別の生まれ変わりに旅立ったあとでしたら会えないんじゃないかと考えますと、しんみりとした話題でありながら「不条理だな、腹たつなあ」と一人ツッコミをしてしまいます。

 もし祖母の魂が生きているのなら、一般人でも分かる亡くなった人のメッセージの読み取り方ってありますでしょうか。それとも「メッセージ読めた!」と思う事も結局自分が勝手に意味付けしているだけで、起きている出来事にはな~んもあの世からのメッセージはない、で決まりなんでしょうか。



 A.


 あなたがそんな危なっかしいことでは、たとえ会える可能性があるとしても、あなたの祖母も現れるのを控えたくなるでしょう。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 理屈抜きに、質問文から感じるのは「依存」です。

 なので私が仮にあなたの祖母だとしたら、絶対あなたの前にそれと分かるように現れないでしょう。

 昔話じゃありませんが、奉公先に出した子どもに、一人前になる前に会ってしまうようなもの。甘え心が出て、里心がついてしまい、目の前の困難に立ち向かう力が出てこなくなる。

 だから、親は決して子どもが憎いからではなく、愛ゆえに会わない。涙を飲んで、帰らせる。

 質問の文章を読んで感じたことですが——

 あなたの望みに祖母が答える(祖母の存在が実感できる、あるいは会えずとも祖母からと分かるメッセージを受け取れる)ことは、あなたのためにならないような気がします。



 今から、この質問者さんが本を読み漁って構築してしまったスピリチュアル的な認識の是非を検証していきますが、まずは一番にこれを伝えたかった。

 あなたは、せっかくスピリチュアルをやりながら、一番肝心な「自分が人生の主人であり、自分が見ている世界の創造主、つまり神である」という最大のキモを外している。あなたは、何かに助けられないとダメな自分だとどこかで思い込んでいる。

 あるいは、失礼な言葉になりますが「助けてもらって得したい、楽したい」という無意識下の甘えがあるように感じます。

 そんなあなたの前に、霊が現れたりメッセージを語ったりできません。依存させるのが分かっているからです。たとえ依存までいかなくても、助けることであなたが自ら成長しようとしない、という状況を生み出す可能性があるからです。

 私が質問者の祖母なら、百歩譲ってあなたの祖母がメッセージを伝えるとしても、自分からだと分からないよう最大限の工夫をすると思います。ちょうど、主人公が苦労する系の物語の中で、母親が自分からだとバレないように陰で援助したりするのと理屈は同じです。



「祖母の魂は続いている! 死んだら会える!」

 これは、マチガイ。

 日本語のややこしいところなのですが「祖母の魂」ってなんですか?

 あなたの祖母の田中光江さん(仮名)という魂がある、という理解ですか?

 光江さんがひとつの魂を所有している。同じようにすべての人類も、おのおのひとつ魂を持っている。そういう理解ですか? つまり、人の数だけ魂がある、と。

 ありません。

 


●この世界には、ひとつの命しかない。



 これが、究極の基本なんですが——

 神意識がこの物理宇宙ゲームを開始する時に、架空ルールを作りました。

 究極的に意味はないが、この世ゲーム世界でのみ通用するルール。

 人はそれを「真理」と呼んでいるようです。

 ものすごく大切で絶対のものだ、と思われているケースが多いようですが、これすら究極の真理などではなく、創造物です。

「真理は人を自由にする」という言葉が聖書には書いてあります。なのに、その真理を絶対視することで、それを自分に課し人にもその物差しを当て、不幸になっている人がいる。これでは何をしているのやら、です。



 とにもかくにもワンネスは、無数の個にあえて分裂しました。

 もちろん、『物理宇宙体験ゲーム』をプレイするためです。

 その無数の「個」のことを、魂と呼びます。それがゲーム舞台上肉体という入れ物をまとうと、「一人の人間」と認識される形態になります。

 その魂は、ある人物として、ひとりの人生を生きて終わりではありません。再プレイというものをするのです。これが、「輪廻」と呼ばれるものです。

 質問文の中で、質問者が輪廻について分かっていると思われる個所があるので、ここは大丈夫でしょう。つまり、我々が魂と呼ぶのは、長年月を輪廻はするが、それはゲームキャラをとっかえひっかえするだけで、実は同じ意識体のこと。

 究極には大いなるひとつ、しかない。それが真実だから、輪廻を繰り返す大元の意識体すら、幻想。

 それが、さらに「あなたの祖母」という、目もくらむような長い年月(地球誕生以前にも、別の星で生きてきたはず)の中のたった一瞬のキャラなど、『幻想の中のさらに幻想』という位置づけになる。



 いちゲームキャラの人生は、防犯カメラで撮影した、たまりまくった映像データのようなもの。

 どんなに何事もなかろうが、防犯カメラは一日中、目の前の映像を撮影し続ける。

 その日が終わって過去になっても、何かの事件があって警察に提出を求められないとも限らないので、一応捨てずに保管しておく。ただ、引き出されることはまずなく、ハードディスク内で眠り続ける。

 質問者も何となく想像して書いているように、祖母はすでに誰かさん(新たなゲームキャラ)となって、元気にやっている可能性がある。

 冷たい話かもしれないが、例えあなたが死んだからと言って、あなたが考えているような、あなたの知る祖母そのものに会える保証はない。(もちろん可能性はゼロではないが、望んだとおり会えるかどうかはかなり怪しい。たとえ会えても、それは本当に会えたというよりあなたの願望が生み出している可能性も否定できない!)

 死んだらすべての解答が分かり、すべてが可能(死んだ人に、誰にでも会える)などという幻想は、捨てた方がいい。

 向こうも、こちらとそう大差ない。あなたの意識がつくる世界。だから、皆それぞれ死後の世界が全然違う。

 なのに、スピリチュアル発信者の中には 「霊界とはこういうところ」「あの世はこんなところ」と、さも誰にとっても同じ構造、同じ世界であるかのように、吹聴する輩がいる。大何階層とか、霊性の等級とかを論じて、信じて努力している人のエリート意識をくすぐったり、あなたはこのままでは……と危機感をあおったり。

(よろしければ、こちらのセミナーにどうぞ! 私のセッションで、所属霊界が上がります!)

 自由、以外の理屈はない。

 全部、その人の定義の通りの(望みの通りの)世界を見るだけ。

 意識の反映を見るだけ。

 それで地獄に行くとしても、それは本心でそう望んだだけ。



 地獄というのは、本来なかったが望まれてできたものである。

 行きたい人がいるから、できた(もちろん幻想)に過ぎない。

 あなたが行きたくなければ行くことはまずないので、ご安心を。

 でも、心のどこかで自分が他人や世間に対して「申し訳ないことをした。取り返しのつかないことをした」「自分は罰されて当然」という罪悪感を持っていたとしたら、あなたの表層意識が望んでいなくてもホンネの部分で 「自分を罰することで、償っている感覚が味わえる。それが喜びに繋がる」という心理構造があれば、結果自ら望んで地獄へ行く、という構図が出来上がる。

 死後、何に関してもあなたが強制というものをされることはない。

 されている、と思う状況に遭遇したら「何かがおかしい」と思うことをすすめる。

 もしや、これは自分がどこかで望んでいることなんじゃ? という気づきを得たら、抜けるのは早い。



●この世=思い通りにならない、ゲーム世界

 あの世=肉体がなくなる、本質世界



 上記のように思っていただいたら、困る。

 死後の世界すらも、この物質世界の続きのようなもの。

 おなじ家の洋室か和室かくらいの違いで、けっして家の外ではない。

 家の外とは、ワンネス。一元性世界。

 死後の世界ですらも、ゲーム世界の延長上にある。

 霊になったくらい、何だ。自他が認識できる以上、あなたは二元性世界から出てなどいない。死んだ程度で、現世とは全然違う状態になるなど考えが甘い。

 だから、こちらとあちらの違いをそんなたいそうに考えなくていい。

 死後の世界だって、あまり思い通りになどならないはずだ。そういう意味では、ステージが違うだけで同じゲームであることには変わりがない。



 この手の話は、誰かに面と向かってするならいいが、文字にすればするほど誤解を生みやすくなるので、このへんにしとこう。

 話を変えるが、あなたがいくら宇宙の王でも、できないことがひとつある。

 それは——



●他人をコントロールすること。

 相手を、自分の思うように動かすこと。

 あるいは、自分の思うように他人の意識を変えること。



 これは、悪いことではない。むしろ、いいことだ。

 これができてしまったら、この世ゲームをする意義自体が崩壊するので、できなくていいのだ。できた、と思える現象があっても、それは幻想。

 意図でこうしよう、ああ思わせようと思っても無駄。あなたが一生懸命に働きかけたことで、他人があなたの気持ちに同調してくれる現象を見ることはあるが、それだって9割以上はその人自身の決断によるものであり、あなたがその人を動かしたというのはかなり言いすぎであり、傲慢な姿勢である。 

 この質問者には、次のような無意識の前提があるように思う。

 


●祖母は、こちらが望めばまず間違いなく喜んで会ってくれるはず。

 こちらが会いたいと思っているように、あちらでも会いたいと思ってくれているはず。



 美しい期待だが、エゴだ。自分勝手な前提だ。

 祖母のメッセージを受け取る方法があるでしょうか? と聞いている。

 ちょっとずうずうしい。

 祖母がメッセージを送りたがっているのは当たり前だ、という前提がある。

 ある乞食が、たまたま駅前で座っている時に、一万円をある紳士から恵まれた。

 その乞食が、「明日も来てくれるはずだ」と勝手に思い込んで、また駅前に座るようなものだ。

 その紳士に、その乞食に再びめぐんであげないといけない義務など、どこにもない。約束されたわけでもないのに、勝手に期待して座る乞食は、紳士が現れなくても憤る権利はない。

 祖母だって、亡くなられたからには、肉体を持っていた頃とまったく同じ意識、認識でいることはまずない。

 もちろん、メッセージを送る可能性はないわけではない。たださっき言ったように、祖母は自分が露骨に出ることで、あなたの人生上における本質的な学びを妨げるようなことはしたくないはずなので、そこは自然を装うはずだ。

 質問者には申し訳ないが、あなたの祖母はかなりの確率で「他の事に意識が向いている」はずだ。過ぎ去った地上の幻想より、もっと目下大事なことができたはずだ。それを、残された側が相手してくれないと寂しがるのは、あまりにも勝手である。 



 まず、この質問者さんに言いたいことは、キツい表現だが——

 乳離れしなさい、ってこと。

 会えなくて辛く寂しいなら、地上ゲームやめる? で、あの世に会いに行く?

 そこまでの気がないのなら、グダグダするな。

 同じ生きるのなら、シャンと生きろ。宇宙の王として、堂々と生きろ。

 もちろん、まったく人を頼るな、と言いたいのではない。誰かを慕ったり、死んだ人や遠くに去った人を懐かしむな、と言いたいのでもない。

 ただそれは、自分が人生の中心である、というしっかりした芯があった上でしてほしい。それがないのに、故人や会えない誰かに感情をフォーカスするのは、ゲーム上はまずいやり方だ。



 もっと色々言おうと思えば言えるのだが——

 筆者は今幻想上の「時間」に気付きまして。

 書いてて、もうこんな時間か!と。あと、これ以上の文章量は読者さんも疲れるだろう、と。そういうわけで、強引に話を終わらせにかかろう。

 今までの話、気に入らなければ全部忘れてもらってもかまわない。無視してもらってもかまわない。(マジで!?)

 すべての前提をすっとばして、これだけでも感じていただけたら、と思う。

 忙しい、共働きの両親のところに生まれた子どもがいるとする。

 毎日、保育園に預けられる。

 朝、あなたの母は、保育士の先生にあなたを託した後、あなたにこうささやく。



●おりこうさんにして、待っててね。

 できるだけ早く、帰れるように頑張るから。

 すぐに迎えに来るからね。待っててね—— 



 そう言い残して、後ろ髪引かれる思いで、母親は仕事へ向かう。

 でも実際は、思うようにならない。残業が生じたりして、遅くなってしまうこともある。皆迎えが来て、他に誰も残っていない延長保育の場で、寂しい想いをすることもあるだろう。

 でも、それが現実なのだ。どんなに夢想しても、目の前の現実が一瞬で変わるわけではない。

 その子にできることは、その時間を(今を) 味わうことだけである。

 状況は変えられないが、その間どんな気持ちでいるかはその子次第。

 来る時にしか迎えは来ない、という前提の中で、どういう意識を選択するのかの自由がある。



 質問者さん。

 あなたは、亡くなった祖母の事にかなり意識を割いておられるようだが——

 あなたが目を向けるなら、世界はもっと広いのです。愛に満ちています。ってか、愛しかありません。

 決して、あなたの祖母のことなどどうでもいいし、考えるなと言いたいのではありません。ただ、それだけですか? と問いたいのです。

 あなたが盲目だから、生きながらにして亡くなった祖母に目が行ってるだけです。

 あなたが本当に魂の声に耳を傾け、素直に従って生きるなら、きっとあなたは故人のことを忘れるでしょう。命日や、法事などの時に思い出す程度になるでしょう。

 それは、薄情とは違います。それこそが、あなたが今ここで生きる、ということに繋がるのです。また、亡くなった祖母もきっとそれを寂しがりはしないはずです。むしろ、喜ぶでしょう。

 理屈じゃなく、そういうものなのです。



 あと、残念ながら正味の「祖母のメッセージ」などはありません。

 百歩譲って存在するとして、あなたには認識不可能です。

 この世に肉体をもって、エゴを抱いて生きている宿命上、あなたは自分の受け取りたいように世界を受け取ります。主観が混じることから、抜けられません。

 覚醒してもダメです。完全に肉体を脱いであちらさんに行ったら別ですが、皮肉な話その時には何の意味もありません。ゲームそのものを抜けているからです。

 覚醒者であっても、主観が混じることから完全に自由にはなれません。ただ、あとでそれに気付く能力がありますので、その都度軌道修正可です。最初から完璧、ということができないだけです。

 だから、あなたが 「祖母のメッセージだ!」 と何かに対して思う時は、あなたがそういうストーリーを紡いでいる。あなたの意味づけに過ぎません。

 でも、それが悪いのじゃありません。ある意味、それをしにこの世界には来ているようなものです。

 あなたが幸せなら、あなたが納得できるなら、どんな物語をこの世界で紡いでくださってもかまわないのです。

 それが、究極の真理である「自由」というものの醍醐味ですから。



 最後に、もうひとつ。

 人は死んだら、ほとんどの人がコンティニューを選んで輪廻するとして——

 じゃあ、過去の誰々の霊、なんてあまりいないんじゃないですか?

 もう、別キャラになって、その田中誰兵衛さんとしてはいてないんじゃ?

 そう考えたら、あの世の誰かが守護霊としてずっとついているとか、おかしくないですか? そういう疑問が生じると思う。



 これを克服する概念は、ただひとつ。

 パラレル・ワールド。

 すべての瞬間(過去も未来も)は、同時並行に存在する、ということ。

 すべてはもう起こり、今起こりつつあり、まだ起こっていない。

 アルファであり、オメガ。最初であり、終わり。

 そのことで、読み解ける。

 時間や歴史を一本の直線で考えると、死んだ人が輪廻したら、もうその死んじゃったキャラとしての自意識のままではいない。だったら、確かに「私はぁ~あなたの三代前の先祖であ~る」なんて言って現れたら、サギだ。

(輪廻を選択せず、あの世に居続けるという選択をその魂がしていれば、話は別。今、輪廻してしまっているケースで論じていることに注意)

 しかし。あらゆる瞬間が、始まりも終わりもなく同時並行的に「起こり続けている」としたら? 今、という瞬間に別宇宙では卑弥呼が生きており、豊臣秀吉が天下統一をすすめている。坂本龍馬が「日本の夜明けぜよ!」と叫んでいる。

 ややこしいが、そう考えると、今ここにおいてで「祖母がまだ祖母の意識として存在できている時間の別ワールド」が干渉してきたと考えると、筋が通る。

 それだったら、すでに輪廻しているはずの魂が、古キャラで接触してきても不思議ではない。それは、あなたの考えているあなたの属している次元とは別世界から来た。

 ハイヤーセルフが「未来の自分」である、という考えもある。それを受け入れるなら、自分のいる「今」に干渉してこれる別の時間の流れもある、ということは 受け入れやすいはずだ。

 文字による説明はもどかしいが、まぁざっとそういうこと。

 今のところ、分かる人だけ分かればよい。

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