あなたは負けてなんかない
今は亡き河島英吾という歌手に、生前一度だけ会ったことがある。
高校の文化祭で、コンサートをしに来た。
当時はありがたみがわからず「ウチの高校程度が呼べる歌手って、そんなものだよなぁ」とガッカリした覚えがある。
当時の私にとっての彼は、ただ声がデカくて、よく分からん野性的な迫力がある、くらいの感想しかなかった。
母校の文化祭でその前の年に来たのが、嘉門達夫。(教育上、よく呼べたよな……)黒乳首がどうこう、という歌を歌い皆ドン引きであったが!
で、河島英吾に並んで最終候補に残っていたのが、「今いくよ・くるよ」。
さすがに若い子向けではない、という理由でどちらがマシかと検討され河島英吾になった。世代はズレてるが、こっちのほうがビジュアル的にまだマシ、といったところだろうか。
当時、生徒の投票で文化祭で呼びたい芸能人の集計上のトップは「ダウンタウン」だったが、有名すぎ、忙しすぎ、仮に呼べたとしてもいち公立高校の予算では不可ということだった。
月日は過ぎ。
私も色々変わった。
ついに、全然関心のなかった「悟り」という世界にまで流れ着いた。
そんな今、改めて河島英五の『酒と泪と男と女』この歌を思い出すのだ。
著作権の問題もあり、歌詞をここに載せるわけにはいかないので、読者様はネットで検索するなりして、この歌を聴くか歌詞を味わうかしていただけると、以後の記事の理解の助けとなるだろう。
文化祭でその歌を聴いた時には、「暗い歌!」くらいにしか思わなかったのが、この歌の中で歌い上げられている「男と女」のことが、愛おしくなるのだ。
学生時代に別れを告げ、社会人になった頃、河島英吾が亡くなったと知った。
今思うと、高校時代に会えてよかったと思う。これも宇宙のはからいか。
彼の波動を、同じ場で共有できたことは、古きよき思い出である。
皆さんは、後悔というものをしますか?
後悔、というと少し大げさかもしれない。
日常的によくするものでは、「反省」がある。後悔の小型版。
小型版だろうが大型版だろうが、根本構造は同じ。
●自分が今しがたして過去になった何かの行動や選択に対して「間違いだった・失敗だった」と認識し、自己嫌悪に陥ること。
これのエネルギーが比較的小さく、他の事で紛らわすことができるレベルのものが、反省。
エネルギーが中くらいで、多少の事ではふっきれず、事あるごとに思い出されてはうずくのが後悔。
もう他の事で気を逸らす小技も効かず、負の最大エネルギーに取り込まれるのが絶望。
こう書くと、皆さんはある錯覚をしやすい。
「反省」レベルの苦しみは、比較的対処しやすい。しかし「絶望」レベルになると、解決が困難だ……だという。
原因と結果、等価交換の考えに慣れると、当然そうなる。
小さなことに対処するには、小さなエネルギー。大きなことに対処するには、大きなエネルギーが必要。でないと、理屈として解決できないはず——。
これは、違う。(そう思いたいなら、止めない)
誰が、そんなこと決めたの? それを考えてほしい。実は——
●問題の大小は関係ない。
すべての問題の解決に最低必要なエネルギーは、全部同じ。
魂がその気になれば、どんな問題でも規模や深刻さに関係なく、同じ質量のエネルギーのみで解決可。
私からすれば、大きな問題に大きなエネルギーを使っている人を見ると、趣味でそうしているとしか思えない。でも、この世界は「趣味(マニア) の世界」だから、それでいい。懲りてきたら、疲れてきたらいつでも変わる自由はあるよ、というだけのこと。
実は、反省するべきことなんてこの世界にはないのですよ。
後悔するべきことなんてないのですよ。
絶望するに値することなんてないのですよ。
絶望、なんてものが存在するわけではない。
絶望、と思われるものを幻想として味わう自由があるだけ。
起こるべきことが起こり、起こるべきでないことは起こらない。
そんな世界で、失敗も過ちもない。
孫悟空がお釈迦様の手のひらから逃れられなかったように、我々がこの宇宙を舞台にどんな選択をしたとしても、実質(おおいなるひとつ)の世界では、何ひとつ傷付かない。いや、傷付けることがそもそも不可能なのだ。
よって、反省も後悔も絶望も、我々が勝手に産み出し、あると考え恐れることによってパワーを与えているにすぎない幻想なのだ。
こう書くと、エゴが黙っていない人もいるだろう。
戦争や殺人、病気。様々な問題をあげつらって、逆上する人もいるだろう。
反省はいらないだと? 後悔はいらないだと?
過ちを過ちと認め、よりよい選択を次にできるように反省して生かす必要がないだと? バカな! お前、気でも狂ったのか?
はっきり指摘すると、この言い分はただの『感情問題』なのだ。
冷静に、中立(センター)の位置に立って、意識を拡大させてみれば、分かる。
反省とは、自分のしたことが最善でなかった、他にやりようがあったと認識することである。
過去のデータを参考にして、より良い次の選択に生かすこと、だけならいいのだが、「反省」というものには残念ながら「自分のしたことが間違っていた(最善ではなかった)」という思念もセットになってしまっている。反省がいらない、とはそういことである。
認識の力はバカにできないから、奇跡を起こす。あり得ない世界を、あり得させてしまう恐れがある。あなたがダメだ、という世界を。あなたに価値がない、というとんでもない架空の世界を。
自分は間違った、だからそのツケを味わっている、という世界を趣味で創り出す。
でも、宇宙で起こった出来事であるからには、偉大な叡智である宇宙がゆるした。だからそれは、起こったことである以上最善が起こった。
起こる前までは色んな可能性を検討できるし、「未確定の最善を選ぶ余地がある。しかし、出来事というものは起こったその瞬間に『最善というラベル』が次々と貼られていく。
もちろん過去のある出来事に学んで、今に教訓を生かすと言う行為はしてもよい。
それを「反省」と呼ぶのなら、それでいい。
ただ同じそれをするのでも、「過去のこれは間違いだったから、今度こそちゃんとするぞ!」という意識は余計。
過去のそれはそれで、もう過ぎた「最善」なのだ。だから、過去という幻想のデータを今に生かすのであっても「今をより楽しく充実させるため」にやってほしい。
また、パラレル・ワールドという概念がないと、反省するなという私の意図をくみ取りにくい。
この宇宙は、すべての体験をしようとしている。
それは、無数の個によって、という切り口でも言えるし、同じ個であっても「個の選び得るすべての選択パターン」によっても体験する。
例えば、あなたが何かの良くない事件を選択によって回避したとする。あなたのワールドでは、めでたしめでたし、だろう。
すると宇宙は、ある現象を起こす。あなたが体験しなかったので、別の並行宇宙を生きる「あなた」にそれを回す。
逆に、あなたがある事件を回避できず体験したなら、あなたがその役割を果たしたので、別ワールドのあなたは体験する必要がなくなる。
●あなたが避けたことは、別の次元のあなたを使ってでも、味わう。
あなたが体験したことは、もう引いた後のクジなので、他は引かなくてよくなる。
そこまで意識を拡大すると、胸を締め付けるようなこだわりや不安が和らぐ。
努力してうまくいけば、嫌なことを回避できて、その時は幸せだからOK。
例え回避できなくても、全ての可能性を体験する自分なのだ、と考えれば、自分が引き受けたことによって並行宇宙の無数の自分のために貢献したことになる。後で感謝されること確実。それはそれで、結構なことだ。
私たちは、一本線でしか人生を考えていなかった。だから、選択に失敗と成功があり、よりよいものを目指すことが大切と考えた。その目的のためには、自分をいじめることも他を犠牲にすることも厭わなかった。
歴史、というものもまた一本の線でしか考えられていなかった。だから、滅びることを怖がったり、選択を誤ることを過度に怖がる。怖がるから、余計ドツボにはまってその怖がることをしてしまう、ってのが分かってないんだな。
中立。どっちでもいい。何選んでも最善。
そういう意識状態でこそ、選択する自由を本当に行使できるのだ。
覚悟を決めて言うと——
●何に関しても、反省なんてしなくていい。後悔なんてしなくていい。
(したかったから、仕方がない。趣味の問題だから)
だって、あなたは間違うことなどないのだから。
あなたは、失敗することなどないのだから。
何を選択したって、それが宇宙の目的なのだから。
すべての可能性を味わう、という目的の前に、失敗も成功もない。
正しいも間違いもない。より良い、より悪いもない。ただあるのは「そういう可能性の担当になった」というあるがままの事実だけ。
もちろん、過去や体験で学んだことを生かすのは構わない。
でも、その際 「自分が過去で間違ったのだ」「かつて失敗したのだ」という意識が邪魔なだけだ。そんな的外れな認識、持っても一文の得にもならない。
改めて、河島英吾の歌『酒と泪と男と女』を思い出してみよう。
この歌に登場する「男」も「女」も、自分のした過ちに身を切られるような、身を焦がすような思いなのだろう。
オレがバカだった。私が愚かだった——。
あんなこと、言わなきゃよかった。何で言ってしまったんだろう?
何で、あの人にあんな態度を取ってしまったの? 私ったら……
確かに、センターの観点からは愚かしいかもしれない。
自分が間違いうる、失敗しうるという観点的縛りの中で、余計な苦しみを勝手に味わっている。でもそもそも、この現象界へはその「感情のすべて」を味わいに来たのだ。だから、一生懸命与えられた役を演じる彼らが、私は好きだ。
愛おしい。そして、大事だ。
もし後悔の涙に暮れ、忘れたいがために酒をあおり、眠るまで飲んでしまった人がいたら、そっと、毛布をかけてあげたい。
そして、ささやいてあげたい。
●あなたは、間違ってなんかいないよ。
負けてなんかないよ。
あなたが最終的に選び取ったことなら、恥じなくていい。
感情に負けてしまった。そうあなたは言うかもしれない。
もっと別の道もあった。こらえようがあった、と。
でもそれだって、あなたがその瞬間に良かれと思って選んだ、選択。
どんなものであれ、それは大事だから。
今はただ、ゆっくりお眠り。
起きた時のことは、またその時一緒に考えればいいさ。
飲んで飲んで 飲まれて飲んで
飲んで飲みつぶれて 眠るまで飲んで
やがて人は 静かに気付きを得るのでしょう
そして 見る世界が変わったことに驚くのでしょう
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