波動調整とゲームバランス調整
あるスピリチュルな情報を発信するサイトで、こんな言葉を見つけた。
●でも、ある覚者から『これからは自分と価値観が違う人とは一緒にいれなくなるのでぜ~んぜん大丈夫ですよ。何も心配ない!』と言われ、喜んでいいやらさっぱり判らなかったのですが、今なら判ります。
言いたいことは、分かる。
近年、アセンションという言葉がもてはやされるのと同時に、皆に広まった概念のひとつである。正しい・正しくないというのとは関係なく、今回は趣味でこの言葉にツッコミを入れてみたいと思う。
皆さんは、この言葉に違和感を感じないだろうか?
私は、感じた。
ここに、二つの可能性がある。
①この言葉を言ったのは、覚者ではない。(発言主が、間違いなく正確に言葉を伝えている場合)
②言ったのは本当に覚者だが、発言主が自分の中の脳内変換器で、自分流の言葉に変えてしまった。(歪んだ解釈をしてしまった)
要するに、伝え聞いた主が一字一句正確に伝えたのなら、思い込み覚醒者。
だって、思いっきり的外してるもん!
でも、言ったのは本当に覚者だが、聞いた人間がそれを他者に伝えようと出力する際に、自分の中で一番近い概念や言葉に変換され、すり替わって出てきた可能性がある。伝言ゲームで、元の言葉がゆがめられてしまうようなものだ。
この発言主自身も、自分はワンネス体験を垣間見た、ようなことを言っていた。いかに、覚醒なんていい加減な基準か、ということが分かる。
もちろん、覚醒がいかに価値がないかを言いたいのではなく、この二元性世界に生きる限り、変化や違い・不確実性というブレーキの「あそび」からいかに逃れられないかを言いたいのである。
その「逃れられない」というのも単に「縛り」を指すのではなく、この世界にゲームを楽しみにきた以上、そういうルールに喜んで従うのだから、いいことなのだ。
まず、先ほどの言葉の大間違いを指摘しよう。
●価値観が違う人とはいっしょに居られなくなる。
これ、寝言。暴論。
これが正しいか間違っているか以前に、こう思っている人に聞きたい。
●あなた、価値観の違う人とは一緒にいたくない?
そういう人はキライ?
どっかに行ってほしい?
もしそうだとしたら、人として寂しい考え方だなぁ。
気の合う(波動の合う)、一緒にいて楽しい人オンリーで人生死ぬまで周りを固めたい? あんた、この二元性の、変化と冒険の世界に来ておいて何寝言言ってんの?
意見の違う人、価値観の違う人。そういう人がいることを味わいに来たんじゃないの?
その中で、完璧な世界では味わえなかった「個の個性」「他という概念」「違いがあることを尊重しつつも、いかに調和して楽しく生きるのか」というのを楽しみに来たんじゃないの?
価値観の違う人がそばにいなくていい、なんて怠け者ゲームプレイヤーだ。
そんな楽勝過ぎるゲーム、誰が長く続けたい? まるで「クリボーも落とし穴もクッパも出てこないスーパーマリオ」だ。
だから、私ならば価値観の違う人が身近にいてもいい。っていうか、いてほしい。そのおかげで、日々の人間ゲームがめちゃ面白いことになっている。
こう抗議する人もいるだろう。
●いや、私がどうしたいしたくないとかの問題じゃなくて、宇宙はそういう法則になってるの! それは、人の意識でどうなれって思おうが決まっている真理なの!
あ、そう。
だったら、もう何も言うまい。
そういう宇宙を生きたいなら、それもいいだろう。
でも、私流に言うなら、皆「宇宙の王」。
あなたのホンネが、反映するようになっている。
ここで、ドキッとするツッコミを入れてみたい。
●宇宙の法則がそうだ、ということを言い訳にしていませんか?
実は、あなた自身が「価値観の違う人を嫌っている」だけでは?
その意識があなたの見る現実を創っているにすぎないのに、宇宙の仕組みがそうなっている、という仮説にすぎない(誰も証明できない)情報を隠れ蓑にしているだけでは?
とはいえ「価値観が違う人とは一緒にいれなくなる」という言葉を通して言いたい意味は、私も分かる。ただ、この言葉遣いは乱暴すぎるし安逸すぎる、と思うだけだ。だから、私なりにこの現象を説明してみたい。
説明するに当たり、二つの法則を紹介する。
①波動調整の法則
価値観が違う人とは一緒にいられなくなる、というのはきちんとした言い方をすれば、「同じ波動のものは引き合う」ということだ。
そして言い換えれば、「波動の違うもの同士は、引き合いにくいし交わりにくい」。あなたが高い波動でいれば、似た波動の人間関係、現象を引き寄せる(生み出す)。波動が合わなければ、相手との間に引き合う力 (引力) は生まれない。
波動の差が顕著であればあるほど、その落差の力によって吹き飛ばされ、共存しにくい。今の時代は、ゲームとしての(時代の)ステージが上がったので、その現象がかつてより顕著に表れ、働くというわけだ。
ということは、波動が同じだったら、引き合うわけだ。
ここで重要なのは振動数の一致であり、「その人が何を目指しているかは関係ない」。つまり、例えば善と悪という風にベクトルが異なる人物同士であっても、引き合う場合がある。
自民党と共産党、目指す方向の異なる敵同士のような人物同士であっても、引き合うことがある。
例えば、43と―43 (マイナス43)、という二つの数字があるとする。
数値そのものは、全然異なる。
しかし。マイナスかプラスかという方向性(指向性)さえ問わなければどうなる? マイナスは意味なし、として取り去れば、双方ともまったく同じ43。これは、互いが引き合う。
つまり、波動の法則(似た振動数が引き合う)に、価値観や方向性は関係ないので、冒頭の覚者の言葉(とされるもの)が言う——
●価値観が違うと一緒にいられなくなる、とはウソ。
価値観が違っても、目指すものが違っても、引き合い共存する場合がある。
これは、ゲーム(時代)ステージの上昇とは、関係がない。それによって、上記法則が変化したり、特例が生まれるわけではない。
ただ、状況進行上の加速現象に限っては、ある。
②ゲームバランス調整の法則
神意識(人間としてこの世界を楽しもうと考えた大元意識)は、この世界にゲームを楽しみに来た。
ゲームをするからには、楽しいほうがいい。そもそも、完全調和がイヤで「絶対」 に飽きて、変化と冒険と感情ドラマを求めてきたのだから、すべてにおいて完全にバランスの取れた、完全安全なゲームなど要らないのだ。
だから、それを監査する力がある。その力が働くことで、完全なゲーム(退屈ゲーム)を避ける働きの事を、便宜上「ゲームバランス調整の法則」と呼ぶことにする。
反比例のグラフが、いくらゼロに近付いても絶対にゼロにはならないように(漸近線)、どんなに意識を操作して頑張ろうが心がけを完璧にしようが、エゴにとっての脅威(あなたにとって都合の悪い事象)をゼロにすることは、神意識は意地でもしないだろう。
一番目の波動調整の法則しか考えないなら、違う波動の存在はすべて周囲から消えることになる。
しかし、この第二の法則のサポートのおかげで、世界が単純化されることを防ぐ。
同じ価値観、一緒にいて楽しい、生理的にも受け入れやすい存在だけだったら、そりゃあなたは暮らしやすいかもしれない。あなたのエゴは大喜びかもしれない。
でも、そんな世界本当に楽しい?
あなたに異を唱えたり、反対したりする人の誰もいない世界。
ただただ、「快」や「楽」だけが存在する世界。
忘れちゃいけない。不快が存在するから、「快」が理解できる。
苦が存在するから、「楽」がありがたいと思える。
もし片方ばかりになれば、あなたの快や楽に対する感謝は、減るだろう。
引っ越しして会わなくなった親友に似ている。別れる時は、いつまでも忘れないよ! と涙の別れをするが、引っ越ししてそこで新しい友達が出来、時間がたってしまえば……いつしか、過去の親友の記憶も薄れ、ありがたみも薄れる。『去る者は日日に疎し』ということわざのごとし。
例えば、『レ・ミゼラブル』という文学作品(映画も)がある。
主人公のジャンバルジャンから、憎まれ役のジャベール警部まで、実に種々様々な登場人物が出てくる。
金銭の損得しか頭にないテナルディエ夫妻から、使命のために死をも厭わない革命家、権力側の命令にただ従うだけの兵隊に至るまで——
●とても波動が同じだとは思えない者たちが集まり、ひとつの壮大な物語が形作られている。
ジャンバルジャンやコゼット、銀の食器をあげた神父など善側ばっかりで成り立ちますか? 善悪は関係なく、人の目や噂を気にし権力にへつらう人物と、自分の使命のために情熱を傾け命を懸ける人物とは、どう考えたって波動が違うでしょ?
でも同じ世界に共存ができるのである。いや、もっと言えば「させられる」。
ゲームを面白くするために。宇宙監査部が、無味乾燥で簡単なゲーム展開を通過させないのだ。
余談だが、ジャンバルジャンとジャベール警部って、ベクトルが違うけれど同じだった(似た者同士だった)、って見方も面白い。
43と―43。数値そのものは違うけど、プラスかマイナスかという方向性さえ取り除けば、双方43。だから、あそこまで深く関わったんだろう。
さて、今日のお話を整理してみよう。
個々人の人生ゲームにおける、コマ(登場人物)の配置に当たっては、二つの力学が働く。
ひとつは、波動という概念。
似た波動のものは引き合い、違うものは遠ざかる。
これが加速されたと見る視点が、スピリチュアルで最近よく言われる「二極化」とか「価値観の違う者同士は会えなくなる」という情報に繋がってくる。アセンションと呼ばれるものも、ある意味そのことを言っている。
しかしここで注意したいのは、「価値観が違う」ということは「波動が違う」ということを必ずしも示さない。例え目指す方向性がちがっても、「振動数の数値」が一致する場合、引き合う。
宿敵や腐れ縁、ライバルなど、一見違う者同士がいつまでも別れられないのもここに理由がある場合がある。
ふたつ目。波動の法則だけにすべて任せちゃえば、ゲームが単純化されてしまう。
それは、自己の可能性を、客観的に全部観察することを目的とするゲームの大元「神意識」からすれば、本望ではない。
ゆえに、ちゃんと二元性世界の目的が十分に果たされるかどうか、内部監査局が動く。ストーリの面白さ。独自性。登場人物のバランス。
波動の違う者さえ、バリエーション重視でシナリオに用いる。
今、複数の意思のようなものが、いかにも存在するように書いた。
●全てを生み出し、ゲームを観察する「神意識」 。
●波動の法則によって、似た者を引き合わせ、違う者を離す力学。
●ストーリーを調和した面白い内容にするために、極端に登場人物のカテゴリーが単純化されることに目を光らせる、監査部。
●そして、それらに翻弄されつつ、健気にゲーム世界で役割を果たす、キャラとしての私たち。
でも、それらすべては本来ひとつである。
全部、同じ正体。同じ源。
色々いるように見えるのは、この幻想ゲームのためである。
映画見終ったら、クレジット流れますよね?
役者、裏方、膨大な人が作品を生み出すのに関わっている。
映画を成り立たせるために、全部神意識が必要あって生み出した。
価値観の違う人がいるほうが、楽しくない?
そりゃ、時にはムッとすることもあるだろうけどさ。
でも、まったくいない世界って、どうよ。
楽かもしれないけど——
●価値観の違う者同士が、互いを尊重し合って生きる世界をつくることこそ、二元性ゲームの最高の楽しみ方。
異質なものを排除し、気の合う者同士だけで生きる世界を目指そうとするのは、価値観の違う者が同じ空間にいることが心地よくないのは、ただゲームの仕方が下手なんだ。
もちろん、私だって自分を批判する人や波動の合わない人に、頬をスリスリしに行こうとは思わない。大好きよ! とハグハグしに行こうとは思わない。
(まず、相手に逃げられるだろうけど)
でも、私は宇宙があるがままにあることで、完全だと思っている。
①波動と②ゲーム監査部が、完璧に仕事をこなしてくれているという信頼感があるので、今の状況もまたよし、として認めることができている。
本書は、私が楽しみのために書いているので、波動の合わない人、批判する人は要らない。
要らないという意味は、消えていなくなれ、という意味ではない。いてもいい。いやもっと言えば必要なほどであるが「楽しく生きるためには、あまり深く関わらなくていいかな」と思うだけ。
私がエゴで、自意識で「キライな人とも関わらないと!」と頑張らなくても、やり手の監査部がきっちり仕事をするので、キャラであるこちらは、好きな人や気の合う人と付き合う、くらいの気持ちで丁度いいのだ。ただでさえ、イヤなやつと会う設定になっているのに、その上自分の意思でさらに増やしてどうするよ? (笑)
自分と価値観の違う人も、波動の違う人も。
付き合ってみれば、よく知り合ってみればカワイイもんよ。
それが、一緒にいれないなんて、もったいない!
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