そん時でないと、分からん!(後編)

 ここからの記事を読む上では、この前回の投稿記事『そん時でないと、分からん!(前編)』を読了済みであることが望ましい。その続きになるので。

 その内容は、要約するとだいたい次のようなものであった。



●自分の気持ちや信念など、その一瞬一瞬の生ものである。

 一瞬の有効期限であり、毎瞬更新手続きが必要となるものである。

 ひとつの信念を長期間貫くには、かなりの保持エネルギーが必要になる。

 今ここのあなたの信念は、あなたがその時点で保持しているすべての情報を元に算出されている。

 よって、時間が経過し現実体験や感情経験などの情報データが追加で増えていくと、総合結果を出した時、その細かい結果が以前と違って当然なのだ。ケースによっては、時間がたつと結果が180度以前と違っていても不思議ではない。

 だから今以外認識できない分際で、「こういう時ならきっとこうだろう」などと未来予測をしても、「下手の考え休むに似たり」である。



 イエスの弟子、ペテロが 「死ぬようなことがあっても、先生から離れません」 と胸を張って宣言しても、実際にその場面になった時に、臆病にも逃げだしてしまった。前回の記事の時、私はこのエピソードを例話に使ったのであるが——

 おそらく、こう考えた方もいるのではないか。



●筆者さんの理屈は、ちょっと考えすぎだ。

 実はこれは、ものすごく単純な話。

 ペテロのイエスへの思いは、もとからその程度だったのだ。

 それが、実際に試される場面になって、化けの皮がはがされただけ。

 メッキがはがれただけ。正体がバレただけ。

 だから変化したわけではなく、「状況的に偽れなくなっただけ」 。



 確かに、長らく世を支配した常識的感覚だけに、説得力がある。

 同じ理屈のお話をひとつしよう。

 例えば、「信じていた人に裏切られた」という体験。

 とてもいい人だと思った。そして好きになり、信頼した。

 ある日、その人物は事情でどうしてもお金が要る、都合してくれないか、と言ってきた。頼れるのはお前だけだ、お金は必ず返す、そしていつか一緒に幸せになろう——。で、あなたは言われたとおりにする。

 しかし。お金を渡して少し経ったある日、その人は、いなくなった。連絡も取れなくなった。一度招かれた家に行ってみたら空き家になっており、もう誰も住んでいなかった。

 さて、このお話に先ほどの主張、すなわち皆さんが慣れ親しんできた発想を当てはめよう。



●相手は、最初から「詐欺師」だった。

 私をだますつもりで、近付いてきた。私はそのことを見抜けず信頼し、半年余りとはいえ楽しい時間を過ごした。本当に楽しかっただけに、相手は舌を出して接していたのかと思うと、はらわたが煮えくり返る。

 真実は結局、そういうことだったのね。

 私があの人と過ごした期間は全部、無駄だったのね。ニセモノだったのね!



 相手は、最初から詐欺師だった。

 最初からだます目的だった。しかし、騙される方は良心的にとらえ、罠にはまってしまった。最後、相手が本性を現した時、真相が明らかになった。

 何も、私が相手を信頼していた時間は詐欺師ではなくて、騙されたと分かった瞬間から「詐欺師」になったわけではないはず——。



 でも、ここで筆者は皆さんがぜんぜん耳慣れない主張をしてみよう。



●あなたが相手を信頼して生きれていた時、相手は詐欺師ではなかった。

 この人は実は詐欺師だった、と認識せざるを得ない状況になってはじめて、その人は詐欺師になったのだ。



 常に、「今ここ」しか存在していない。

 だとすれば、宇宙の王たるその人が「相手を信頼できる人物」と本気で思って、幸せな気分でいられた時期があるとするならば、それは本当に「そうだった」のだ。

 そして、今ここという現在進行形の、変化する状況の積み重ねがあって、相手が実は詐欺師だ、という宇宙のシナリオの流れになった。

 それは、そのタイミングで「分かるべくして分かった」のだ。だから、今そう認識したらいいし、考えるべきは「今、そしてこれからどうするのか」である。

 過去の事を、グチグチ考えても仕方がない。仕方がないのだけど、長らくその悪い癖が馴染んできた人類は、ここでおかしな作業をする。



●幸せだった過去の瞬間、すなわち過去の「今ここ」すらも、汚すのだ。



 あなたは確実に、その時(相手を信じれていた時期)は「幸せ」だったのだ。

 それはあなたが宇宙の王として精一杯認識しようとし、選択しようとした結果。

 最善を尽くした結果。だからあなたは胸を張ればいい。

 なのに、「相手が詐欺師だった」という、ある時間上の一点の出来事のせいで、 理屈上の正しさの整合性を取るため、「結局あの楽しかった日々も意味がなかった」と過去のすべてまでを全否定し、自分をいじめる。「騙された」という、もうその一点しか見えない。

 今ここにおいてそういう状況の人にこのお話を聞かせたら、怒るだろうなぁ。

 オセロではしを取ったら一斉に白が黒にひっくり返るように、過去のよき思い出も、「全部偽物だった!」という認識のもと、あれもこれもそれも! と、乱暴に投げ捨てだすのだ。その過去の時間だって、あなたは最善を尽くして生きただろうに。



 その人の宇宙には、その人しか存在しない。

 幻想上の登場人物の正体がどうだったからって、王であり神であるあなたに何の権威もない。あなたが確実に楽しい時を過ごせたのなら、それはそっとそのままにしておいてもいいのではないか。

 やればいいのは今、そしてこれからどうその現状の中で幸せになっていくか、楽しくしていくかしかないはず。なのに、そこに目を向けなくさせ、自分の「騙された! 失敗した!」 という恥ずかしさに身を焦がすことに時間を費やさせるとは…

「常識感覚」「これがこうだと分かったのだから、これも解釈を(イヤでも)変えなければならない」という、人類が慣れてしまった悪い考え方のクセ」とは、何と恐ろしいものよ!



 最初から何かの動かしがたい真実があって、この世界に生きる人間はそれを見つけるか、知らずに生きるかの違いだけがある——。

 筆者には、そういう発想がもうない。

 その時その時で、全身全霊でこうだと思ったことが望むところ。そこに後悔はない。たとえ後でそれが実はどうだった、という事実が明らかにされたとしても、それはまたその時に考え、対応すればいいだけのこと。

 全力で生きてきたその積み重ねまで、否定し腐しはしない。そんなことは常に最善を生きよう、と頑張っている自分に大変失礼ではないか。

 


 ちなみに、私が今している話は、皆こうあるべきという真理などではない。

 


●私は、好きでそういう世界観で生きているだけ。

 趣味で、実践してるだけ。

 ああ、それいい! と思ったらあなたも採用してみて。

 アホな!と思うんだったら、無理におすすめしません。

 あなたがやりやすい方、受け入れやすい方でどうぞ!



 そもそも、時間上という幻想の軸の上にあるただ一点の現象のせいで、広範囲に渡る、自分が心血注いで生きた時間を台無しにされる、なんてことのほうがおかしい。

 神であるあなたという宇宙の王の選択が、生み出した幻想のほうにダメ出しされるなんて、あり得ない。人間的な言い方をすれば「それはあまりにも、悔しいじゃありませんか!」ということだ。



 あなたは、過去も今もそしてこれからも、最善のものしか選ばない。

 外部の何者にも、それをけなす権利はない。

 どうか、何か一点の認識や事実だけで、強迫的にすべてをひっくり返さないでください。

 あなたは、何も悪くない。間違ったんでも、失敗したんでもない。宇宙はただ、そうであっただけ。

 テレビゲームの真っ最中に、先ほどの場面を思い出し、こうしておけばああしておけば、と考えます?

 今、ゲームは進行しているのです。目の前のプレイに集中しないと、ゲームオーバーになりますよ!

 ゲームキャラとしての人間には、設定的に限界があるのです。

 過去や(自分が決めつけたに過ぎない)失敗にばかり意識を向けていたら、「今」 に向ける意識のメモリー量が減ります。他の大きなプログラムが起動していて、同時並行で処理中なので、CPUの演算能力も落ちます。

「今」に100%の力を注ぎたいなら、「目をそらされる、くよくよしたくなる過去」を作らないことです。そしてそれは、「どんな過去だったか」という内容自体は関係ありません。どんなことだろうが、あなたがそれに「パワーを与えなければ」、問題のない話なのです。



 もちろん、大事なのは「感情」です。

 あなたが悔しいなら、クヨクヨしたいなら、それもいい。

 ダメ、なのではありません。それも、在り方のひとつ。

 ゲームプレイ的には賢いやり方ではないけれど、そういうモードでいるしかない時には、今は「三次元ゲームの休憩地点」くらいにおもって、ゆっくり足止めを食ってください。それも、ひとつの立派な選択です。永遠という、有り余る時間をもつ「存在意識」には、ちょうどいヒマつぶしです。



 だから、イエスの弟子のペテロがイエスを思う気持ちなど元々大したことなくて、本人がそれに無自覚で、「オレは大丈夫!」と無責任にも思い込んだことで、実際にその化けの皮がはがされる状況が来て、真実があらわになった。この認識は、私のとは違う。



●私は、認めてあげたいのだ。

 その時その瞬間において、「こうだ!」と思ったペテロを。

 だって、本当にそう思ったのだろうから。

 でも、その自分を改めて見つめさせられる事件が後に起こってしまった。

 だったら、その時に改めて見つめ直せばいい。

 今までの自分が愚かだった、バカだったと責めなくていい。

 だって真実、「イエスのためなら死ねる」と思った宝物のような時間があったんだから——。

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